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「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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馬場あき子の外国詠 5(ネパール)

2013年07月23日 | 短歌1首鑑賞

 馬場あき子の外国詠1首鑑賞 5                        
         【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)P93


156 生を継ぎはじめて長き人間の時間を思ふヒマラヤに居て

【レポート】(2009年7月)
 人間をとらえ考える様々な角度、たとえば思想、芸術、宗教、民族などから離れて「生を継ぎはじめて長き人間の時間」と、命また種の継承としての人間の長い時間を散文風に詠い起こしているのであろう。個々の命にそくしていえば、そのはかなさは通念となっているが、各々その生の時間である人類としての時間、およそ二百万年を把握不能ではあろうが、茫然と「思ふ」のであろう。これは旅の心用意に、海底隆起によるヒマラヤの成り立ちがおよそ三百万年という知識を得たうえでの「思ふ」であろうと、結句から想像する。その「ヒマラヤに居て」とは平易で無造作にみえるが、しみじみとして、言い難い感慨があり、場としての力が、一首全体を底支えしている。(渡部慧子)

                                      
   【まとめ】
 銀座のおしゃれなお店をあさり歩いていたのでは「人間の時間」は思えない。三百万年という気の遠くなるような時間を経た崇高な山にふれて初めて、人間の歩んできた長い長い時間を思うのである。この歌を読むと、誰の一期か迷った昨日の152番歌は作者の一期だったことが分かる。というよりも作者も含めた人間の一期であり、人類の時間に考えが及んでいたのだ。
                                     
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