かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

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渡辺松男の一首鑑賞  40

2013年10月06日 | 短歌1首鑑賞
                 【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁
         参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         司会と記録:鹿取 未放


74 廃坑のごとくに耳の穴はある老祖父はただ笑むばかりなり

(レポート)2013年10月
 耳が遠くなり人の話について行けなくなったのだろう、老祖父はただ微笑むばかりの好好爺である。「廃坑のごとくに」耳の穴はある、という比喩が的確である。
廃坑は、むろん初めから廃坑だったわけではなく、鉱山や炭鉱で盛んに人や物が行き交い、にぎわった過去を背負った言葉である。そのように老祖父の耳も、元気な頃は活発に働いて、耳の穴を行き交う様々な音や声を聞きわけていたのである。しかし、高齢の今は、行き交うものも少なくなり、聞きわける力も衰えて、「廃坑」となった坑道のようにがらんどうで、ひっそりとした「耳の穴」である。(鈴木)


(記録)2013年10月
 ★鈴木さんがとてもいい解釈をしてくれています。(崎尾)
 ★耳が遠くなって人の言葉についていけなくなる寂しさがよく出ている。(曽我)
 ★歌はよく分かるので鈴木さんの報告がいいなと思った。はじめから廃坑だったわけで
  はないというところ、自分ではこうは書けなかっただろう。(慧子)
 ★渡辺さんは歌の中で、働いて食べて寝る、無駄なことはしゃべらない、鰥夫(やもめ)
  であって、根っからの生活者としてのおじいさんを造形していて、そのおじいさん像
  がとても好きです。ちょっとこれは違う視点で、寂しいですが、「廃坑」が比喩とし
  てすばらしいです。鈴木さんの解釈で、その点がよく分かります。(鹿取)
 ★老祖父は幾つくらいなんだろうね。昔は隠居ということがあったから、この歌の老祖
  父も何かゆったりした感じがする。(鈴木)
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