渡辺松男研究36(16年3月)
【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)121頁
参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
レポーター:鈴木 良明
司会と記録:泉 真帆
293 新幹線にお百姓さんがまどろみて手のあるところ日が射している
(レポート)
出張帰りの新幹線の車中の景か。専らビジネスマンが多く利用している平日の昼の新幹線に似つ
かわしくないお百姓さんが乗り合わせていたので、特に目についたのだろう。スポットライトのように日が射している手は、ビジネスマンの白いすべすべした手と異なり、荒れてごつごつした働く人の手で、これをあえて具体的に言わないところが上手いところだ。「お百姓さん」という言い方に、まどろんでいる人に対する畏敬のような気持ちも感じられる。(鈴木)
(当日発言)
★「手のあるところに日が射している」で具体が見えます。(慧子)
★お百姓さんがまどろんでいるところを見て、自分はこの出張でいろんなものを抱えているけれど、お百姓さんが
こんなふうにしてるってことはいいなー、そういう立場に立ちたいなー、と。そういうふうな歌だと思います。
(曽我)
★「お百姓さん」に親しみや尊敬の念が籠っている。ビジネスマンは顔も手も白いし、すべすべしているが、土に
生きたお百姓さんは、ごつごつした働く人の手。情景だけを言って、色々と読者に想像させる詠み方がいいなと
思いました。(石井)
★お百姓さんは光を司っている人のよう。お百姓さんの手があるところに光が従いてきているような。自然ととも
に生きる人の、正しさとはいわないけれど、強さというか。自分との対比が表れていると思いました。(真帆)
★この歌集には作者自身がおじいさんを手伝い農作業をしている歌もあった。それを背景に読むとこの歌がさらに
よくわかるところもあります。(鈴木)
(事前意見)※
どうしてお百姓さんと分かったのだろう。新幹線だから横並びの席だと思うが、二人がけのお隣でお百姓さんがまどろむまで少し会話を交わしたのかもしれない。膝の上に置かれた手だろうか、その手に光を当てることで手の持ち主をねぎらっているようだ。(鹿取)
※事前にメモしていた意見ですが、当日急用で欠席した為、発表はできず、レポートや当日意見
とは対応していません。
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