かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 292

2016年04月13日 | 短歌一首鑑賞
 渡辺松男研究36(16年3月)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)121頁
     参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明
      司会と記録:泉 真帆

292 はるばると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ𠮟られに行く

        (レポート)
 地方自治体の職員である作者は、課題になっている事項についての対策をとりまとめ、霞ヶ関の所管の官庁に直に説明し、報告しなければならないのだろう。問題のない単なる報告であれば電話や郵送で済むのだが、この歌の書類は、なかなかまとめにくい厄介な書類なのかもしれない。「書類は軽く」というなかに、内容的にも不十分なので「軽い」という意識もあり、𠮟られることは必定なので、身は一層重く感じられるのだ。(鈴木)


        (当日発言)
★本音なんでしょうね。「書類は軽く身は重く」ってとってもリズム感のある言葉で。はるばる𠮟られに行く
 っていうのはせつないなと思いますね。とても尊敬してしまうお歌です。(船水)
★私はこの、「はるばると」と頭に据えたところがお上手だと思いました。書類は軽く身は重くということを、
 なにか他の次元へ移したような詠い方。(慧子)
★かなり気にしていらした感じですね。𠮟られに行くことに対して。書類が軽いっていうのと身が重いという
 のは、反対のものを上手に歌にされていると思いました。(曽我)
★詠み方がすごく明るいですよね。さっき慧子さんが言われたように、「はるばると」これ、たのしい感じで
 すよね。軽いのと重いのと対比しながら明るく詠んで本音を言ってる、すごくなんか良いですよね。これ重
 い話だから重く詠まれちゃうと引いちゃうんですよね。(鈴木)
★お勉強なので伺ってもいいですか?「とぼとぼと書類は重く身は軽く霞ヶ関へはるばると行く」 じゃあお
 かしくなっちゃいますよねえ。(船水)
★付き過ぎっていうか、そういう感じになりますねえ。(石井)
★素朴な感じになっちゃうんですよ、とぼとぼと、と言うと。(鈴木)
★やっぱり「はるばると」じゃないと、なんか、行かないといけないような感じが出ない。(石井)
★こどものような感じの心ですね。素直で。(M・S)
★結局、居直っちゃってるところもあるんですよね。どうにでもなれみたいな。それでもはるばると、書類も
 軽いし、みたいな。(鈴木)
★書類が軽いというのをね、ちょっと揶揄しているような感じと取っちゃったんですね。(石井)
★そうですそうです(鈴木)
★おそらくその書類はどのような内容かはわかりませんけれど、数字をちょっと変えるとか、そんな程度のこ
 とでね、なんで自分はこんな霞ヶ関に行かないといけないんだ、とか何かそんな忸怩たる思いもあるんでし
 ょうね。だから「𠮟られに行く」というような結句に持ってきたのかなと思いました。(石井)
★わざとユーモラスに詠っているんだと思います。植木等さんみたいに。「身は重く」まではユーモラスに詠
 って、「𠮟られに行く」と悲劇的に終る。(M・S)
★そうですね。霞ヶ関へ報告に行く、だと面白くないですものね。やはり「𠮟られに行く」というのが効いて
 いますよね。(石井)


     (事前意見)※
 こういう仕事の現場とか役所のシステムはよく分からないのだが、どういう事情で叱られにゆくのだろう。「書類は軽く」とあるが実際には鞄がぱんぱんになるほど重い書類を提げていたのかもしれない。その書類作成の為に膨大な労力を費やしてもいるだろう。それが報われないで叱られに行く。〈われ〉の落ち度で書類に不備があったりしたのなら叱られるのもやむをえないが、難癖をつけられたり、理解が得られなかったりと不本意に叱られることになったのかもしれない。そんな不服従の気分が「𠮟られに行く」にはあるような気がする。よって「書類は軽く」はいわば「身は重く」と対比させるための虚辞かもしれない。しかし「書類は軽く」があることで〈われ〉は戯画化され、歌は被害者意識に満ちた敗者の押しつけのいやらしさから遠いものになった。(鹿取)
  ※事前にメモしていた意見ですが、当日急用で欠席した為、発表はできずレポートや当日意見
   とは対応していません。


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