五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

県立●●高等学校

2007年05月18日 | 雑記

今日は夕方、久しぶりに母校(定時制高校)の
前を自動車で通った。

変わらないなあ・・・。

ちょうど全日制と定時制の生徒が入れ替わる時間。
学ラン(男子生徒)を着て駅へ向かうのが全日制の生徒、
私服で学校に向かうのが定時制の生徒。
後者が私の直接の後輩たちです。

学ランって、まだあったんだな・・・。伝統のある
高校だから、そう簡単には制服を変えたりしないのだろう。

定時制の生徒は、見てすぐにわかります。
昼間、アルバイトをして疲れた身体で学校へ来てる。
あるいは心か身体を病んでいて、ようやく夕方学校へ。
私は後者でした。

私が卒業してから十数年たちます。
もう、知ってる先生は一人もいません。
それを思うと、なんだかとても寂しいです。

小学校4年生から8年間、学校に行けなくて、独学で
ようやく入った高校。合格して大喜びで家に電話したコンビニも
そのままあります。

入学して2年目からは、地獄。
病にたおれ、入院したりして。今でもあの頃の恐怖を
引きずっていると言っても過言ではないくらいです。
タバコを吸うようになったのも、友人の多くが喫煙者
だったことによります。
大抵、みんな中学生の頃から吸っていて、私も真似して・・・
馬鹿でした。
休み時間に一服してるところを先生に見つかり、逃げ惑った
のも懐かしい思い出です。

当時、定時制に来る人には3つのタイプがあったように思う。

 ①私のような神経科タイプ
 ②全日制に入れないくらい学力がない
 ③一度、全日制に入ったが、何かの理由で退学した(大抵ワル)

何かしら、ワケありな人たちが多かった・・・。
折角バイトして稼いでも、全部バイクやクルマにつぎ込んで
しまう人続出だったし。
当時すでに、「苦学生」なんてのは存在しなかったのです。

勉強でも、甘やかされまくり。
大学へ進学する人は、毎年数えるほどしかいませんでした。
それも、「指定校推薦」という無試験入学。
おかげで大学の講義について行けず、中退する人続出。
私は一浪、予備校に行ったのですが、同期で現役で指定校に
行った4人全員中退・・・。
英和辞書のひき方もわからないんじゃ、そうだわな。

でも、そんな生暖かい高校生活も良いものでした。
生まれて初めて失恋したしな!
今でも付き合いのある友人は、高校の友人ばかりです。
大学の友人は、あまり私生活で親しくなれなかったのです。
高校の友人たちは、温かかった。

自動車で通り過ぎた一瞬、いろんな思い出がよみがえった。
まるで走馬灯。
頑張れ後輩たちよ。頑張って母校の名を高めてやってくれ。
私たちの顔に泥を塗るような事だけは止めて頂戴。
もっとも、私の時代が一番酷い生徒が多かったそうですけど・・・。
S先生、取り上げたタバコ返せー!(私は成人してたのに)