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ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(18)

2006-09-13 | 雲南省旅行記
私たち夫婦の乗った飛行機が大理空港に着陸した。
午後6時10分の到着である。
西双版納とはまったく違い、どこか日本に似た雰囲気である。
蒼山の山波がなだらかに続いている。
空港から見た蒼山は、それほど高い山に見えないが、
最高峰の馬龍峰は四千二十三メートル。
他の峰も三千五百メートル級と高山ばかりである。
大理の町が2千メートルの高さがあり、
それほど高くは感じられないようだ。

空港出口には、楊さんと言い、白(ペー)族の女性が迎えに来ていた。
ティーシャツにGパンを着た、健康そうな女性だ。
運転手は夏さんと言い、小太りの愛想の良い中年男性だ。
空港を出て大理市内に入った。
道幅が広く、整備された町だ。
かつては南詔国・大理国と言う独立国の首都で、雲南の中心地だった、
蒼山のふもとで切り出された石が『大理石』だ。
日本でも『大理石』の名前を知らない人はいないだろう。
もともと蒼山石と呼ばれていたのが、五百年ほど前の明の時代、
北京に天壇が造られたとき、大理からこの蒼山石を大理石の名前で運んだ。
それから、『大理石』の名前で呼ばれるようになったと言う。

劇場か何か、人の集まる施設の2階にあるレストランに案内された。
空港から来る途中で、食事は追加料金を出してもかまわないので、
衛生的に良いレストランに連れて行って欲しいと妻が言ったようだ。
2階がすべてレストランになっていて、混雑していたが、
楊さんが知り合いらしい女性に声をかけ、階段近くにある席を用意してくれた。
スープにご飯、魚料理はテーブルにまで持ってきて、
他にナスビの炒め物やジャガイモを使った料理や漬物などの5品は、
バイキングになっており、高くつまれたお皿とお椀に、
好きなだけ取っても良いようだ。
楊さんに大理の地ビールも注文してもらった。
魚料理は『海水煮海魚』と書いてある。鯉のような魚を、
塩と唐辛子、山椒で味付けした簡単な料理だが、魚が新鮮な為、
凄く美味しい。
洱海で取れた魚を使った料理なのだが、
『海』の字が入っているので、
「大理は太平洋までかなりの距離があるのに」
と、勘違いをしていたようである。

食事が終わりホテルにチェックインをする。
明日の朝は洱海を船で観光するのだが、どうせなら、豪華観光船の方が
民族のショーや三道茶があり、早い目に出てチケットを買わないといけないので
8時に出発することにした。
時間は8時。外はまだ明るい。
大理での宿泊は1泊なので市内観光をすることにした。
フロントで近くに有名な観光地があるかを聞いたところ、
歩いて20分ほどのところに公園があると言う。

ふたりでゆっくり歩き出した。
大理に来てから気付いたのだが、車椅子に乗った人や小児麻痺で
杖を突いて歩く障害者を4人ほど見た。
高校生から30歳前ぐらいだと思う。
すべて同年代の友達らしい人と、楽しそうに歩いている。
日本ではあまり見ることの出来ない風景だ。
日本だと障害者同士や、街を歩いていてもほとんどが、保護者やヘルパーだ。
障害児や障害者が、健常者に混じって生活に溶け込んでいる光景だ。
日本では原則として、障害のもつ子どもと障害のない子どもを分けて教育する。
盲・ろう・養護学校に普通の小・中学校での「特殊学級」などで、
「分ける」ことを前提とする原則分離教育の制度に固執している。
国際社会では、障害者の社会への完全参加と平等、違いを尊重しあい、
ともに生きるという理念と実践を
「ノーマライゼーション」「インクルージョン」といい、
この考え方は1980年代にすでに国連で議論され、主流となっている。
国連での障害者権利条約草案では、
「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育の確保」
「障害のある人が障害を理由に一般教育制度から排除されないこと」
と書かれている。
教育などと難しい事は解からないが、日常生活で良く聞くことは、
障害者の「健常者の友達が出来ない」
「人間関係がうまく行かない(主にコミュニケーション)」
「人付き合いが苦手」という話だ。
私の場合は生まれてからほぼ40年。健常者として育った為、
今まで出来たことが出来なくなったというコンプレックスと、
障害者と認めたくないという意識があって不安定な時期はあったが、
人間関係や人付き合いが苦手ということはなかった。
自分が住む地域の普通の、通常の学級で、障害のない子どもと「ともに学ぶ」ことが、
学習教育だけでなく、障害児のこれからの人生に取って、
人付き合い・コミュニケーションなど社会教育にも重要なのではないか?
中国の北京では、40年前にはすでにインクルーシブ教育が行われていたそうだ。
さっきの風景が納得出来た。

左手の丘に、大きく丸く輝くミラーボールのような
建物
があり、ライトアップした階段を下ると、まっすぐに大理石で作られた
大きな石像が並び、レストランや噴水など何百メートルも続いている。
市の中央にこのような公園があるなんて、すばらしい町である。
自然に加え、歴史や民族と、大理に麗江が私たち夫婦の目的でもある。
どうやら明日はガイドにも恵まれたようだ。
明日は朝が早いので、ホテルまでタクシーで帰ることにした。

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雲南省旅行記(17)

2006-09-12 | 雲南省旅行記
出発は30分遅れの8時30分になった。
西双版納大橋を渡り『野象谷』へ向かった。
タクシーが最初に寄った所は、『蠎蛇園(蠎=おろち)』
私はいろいろな動物を見るのが好きなのだが、
爬虫類、特にヘビは見ただけで足が止まり、
びっくりして声が出なくなる。
真剣に見学しようという気にならない。
妻も気持ちが悪いと、あまり見ようともしない。
ただ、この日は昨日と違い天気がよく、
雨粒が葉の上に残った熱帯雨林の中は心地よく、
さらに民族衣装を着たガイドや従業員を目にする事ができ、
ふたりを楽しませてくれた。

民族衣装を着た若い女性たちは手にデジカメを持ち、観光客を撮っている。
少し先の竹で作った小さな小屋にパソコンとプリンターが置いてあり、
ここでも1枚20元で売っている。

『蠎蛇園』の次は、『蝴蝶館』蝶の博物館だ。
金網で大きなドームを作り、その中で、2千匹の蝶を飼育している。
中国だけでなく、世界各国から珍しい蝶を集め飼育している。
蝶だけでなく、地面にはたくさんの花や木も植えられている。
人間に慣れているのか、敵意が無いと解かるのか、
近づいても、逃げない。
妻は大喜びでカメラを手に写真を撮っている。
私も一緒になって、写真を撮りだした。

川や池のほとりを歩くと、『百鳥園』に出た。
ここでは、蝶の博物館の何倍もの大きさの金網で作った、
囲いがあり、鳥を飼育している。
その他にも、鳥のショーなどもあり、
運転手や私たち夫婦を楽しませてくれた。

これらを後に、『野象谷』に移動した。
ここは野生の象が住む自然保護区で、
運が良ければ、野生の象を見ることが出来るらしい。
入り口に入ると左手に川があり、飼育係の人が、
4頭の象の身体を洗っていた
まもなくショーが始まると言う。
コの字型に造られた会場で、コンクリートの椅子にすわり
開演まで待つことにした。
ここでは飲み物や軽食が食べられるようになっていて、
民族衣装を着た男女が、席まで運んでくれる。
せっかくここまで来たのだから記念に、焼き鳥を2本頼んだ。
スズメより、ひとまわり大きく、50センチほどの竹串に挟んで焼いている。
毛はキレイに取られているが、頭や手足がついたままで、
グロテスクな様相である。
骨ばかりで身はほとんど無く、頭蓋骨をガブッとかじると、
やわらかく、ぬるっとした食感の脳味噌を味わうことが出来た。

いよいよショーが始まった。
象のダンスやマッサージ、サッカー、
人間30人対象1頭の綱引きなど30分ほどのショーだ。
見物客がお金を出せば、象の背中に乗って写真を撮ってくれる。
見物客がお金を出せば、象にバナナの餌をやることが出来る。
などなど、徹底した金儲け主義だ。
ショーが終わり、入り口近くのレストランに入った。
大きな建物で、バイキングになっていて、ステンレスのお皿と器をとり、
中央に建物を2等分するようにおかれたテーブルの上に、料理が乗っている。
ステンレスのお皿と器の中は水が溜まっていて、
どうみても清潔とは言えない。
ティシュペーパーで綺麗に水を拭き取り、妻が料理を取りに行った。
お皿の上には、ゆで卵と枝豆にピーナッツ、少しの料理しか乗ってない。
「食べるものがない。辛いのや、脂っこいものばかり」
さっき、焼き鳥を食べた所なので、お腹の方は大丈夫だろう。
他に店が無いとは言え、もう少しまともな(日本人が入れるような)
店を選んでほしかった。ふと劉さんの方が良かったとつぶやいてしまう。

旅行会社の作ったプランでは西双版納の観光予定はこれで終了である。
タクシーは景洪に向かって走り出した。
残った時間は景洪の市内観光と思っていたら、
タクシーは景洪市内に行かず、途中の空港に行き、
「これでおれの仕事は終わり」
と荷物を下ろし、走り去ってしまった。
時間はまだ、午後2時前。飛行機の出発時間は午後5時30分だ。
景洪空港は、すごく小さな空港で、ロビーに手荷物預かりどころか、
ベンチや椅子さえもないのである。
こんな空港で3時間半も何をしろというのだ。
妻が状態を旅行会社に連絡。
とりあえず、タクシーで市内の大きなホテルに行くことにした。
空港玄関でタクシーに、
「景洪で一番近いホテル」
と言って乗り込んだ。
空港から景洪には車で移動したことがある。
この前とは違う道だ。
ホテルに到着し、タクシー運転手が
「25元」
と言い出した。
わざと遠回りをし、料金も倍以上の金額を言っているのである。
妻が顔を真っ赤にして、抗議。結局5元の支払で済んだ。
ホテルで再度、旅行会社に電話をし、このホテルにいると伝えた。
最初はロビーに二人で座っていたが、最低でも2時間は何もすることが無い。
ロビーの奥に喫茶店があったので、そこで時間をつぶすことにした。
10元で、プーアル茶を頼んだ。
この喫茶店では一人1杯ではなく、ポット1杯分のお茶で
お湯のお代わりが何杯でも良く、何人が飲んでもかまわない。
奥の席では、男性4人がトランプをしている。
平日の昼間から良い男がトランプをして・・・
「劉さんが言ってた、タイ人の男性は結婚したら、
働かなくて良いって、本当なんだな?」
と、納得してしまった。
30分ほどして、ガイド兼運転手がやって来た。
旅行会社から、怒られたようである。
飛行機に乗るのを確認して、ガイドの仕事は終了である。
二人を降ろしてから、タクシーの仕事をしていたそうだ。
市内見学に行こうと言われたが、私たちはもう、
このガイド兼運転手の顔も見たくない。
「帰っても良い。ふたりでゆっくりとお茶でも飲んでる。」
と言うと、
「それでは悪いので、4時にこのホテルに迎えに来ます。
空港までは送らしてもらいます」
最後にくだらない事件はあったが、
西双版納は良いところもたくさんあって、
私たち夫婦を楽しませてくれた。

次の大理を楽しみにしながら、景洪空港を飛び立った。

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雲南省旅行記(16)

2006-09-10 | 雲南省旅行記
7月26日、今日が最後の西双版納。
5時30分発の飛行機で大理に行く予定だ。
劉さんも昨日で終わり、今日は、別のガイドが迎えにくるそうだ。
ホテルでランチバイキングを食べながら妻と話をしていた。
今日が旅行中、最悪の日だとは、まだ解らなかった。

8時にロビーで、ガイドと待ち合わせと旅行会社との約束でしたが、
10分の遅刻で、ガイドの人がホテルに飛び込んできて、
「すみません。遅れました。すぐに出発します」
私たちのスーツケースを持って外に出た。
私たちがどの車か? とあたりを見回したら、
ガイドはロビーから玄関を通り越し、ホテル前に止まっている、
観光バスの荷台にスーツケースを入れようとした。
妻が、
「ちょっと待て! 契約違反だ!」
と大きな声で叫んだ。
どうやら、雲南省省都の昆明で旅行会社と契約したのだが、
西双版納の支店が、勝手にツアーに便乗したようである。
妻が、旅行日程表と契約書を、ガイドに見せ話をしている。
ガイドが携帯で電話しだした。
昆明の旅行会社に確認の電話をしているのだろう。
「私たちはバスですぐ出発します。車とガイドは10分出来ます」
とそっけない表情で私たちに言い残し、バスに乗り込んだ。
バスに乗っている観光客たちが、私たち二人を軽蔑し
迷惑だと言わんばかりの表情で、にらみつけていた。
「私たちのせいじゃあないぞ!」
と言いたかったが、言葉が解からないのと、
バスから降りてきて、殴り合いにでもなったら、
勝つ見込みが無いので、
そっと日本語でうっぷんを晴らすだけにした。
「車1台に、一人のガイドが私たちの契約だ!
ピンはねしようとした旅行会社が悪いんだぞ!
私のせいで、出発が遅れたのとちがうぞ!」

15分ほどしてから、一台のタクシーが私たちの前に止まった。
これが今日の車で、運転手兼ガイドの男性が降りてきて、
ブスっとした顔でスーツケースをトランクに入れた。
「これから野象谷に行きます」
とアクセルを踏みつけた。
「おまえも、急に旅行会社から言われて頭に来てるかもしれないが、
俺も頭に来てるんだぞ!
すでに金は払ってるお客様なのだから、
もっと、親切にしろ!」
と言ったけど、妻は通訳せず、
「よろしく、お願いします」
とだけ、言ったようだ。

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雲南省旅行記(15)

2006-09-09 | 雲南省旅行記
ホテルの方に向かって歩き出したが、途中で寄り道したい所があった。
歩いて来た道で、『盲人按摩』の看板を見たような気がしたからだ。
妻はそんな看板、見た記憶が無い。
でも中国では、これぐらいの都市になるとあるはずだという。
5分ほど歩くと、先ほど歩いて来た歩道の、反対側のビルの2階に
盲人按摩と書かれた窓ガラスを見つけた。
ビルの裏手にある階段を上ると、
表札に『盲人按摩』と書かれたドアがあった。

私の身体は脳出血の後遺症の為に右方麻痺と言って、
右半身の自由が利かなくなっている。
去年の中国旅行の時、上海で初めて『按摩』をしてもらった。
かなりの痛みをともなうが、麻痺側の筋肉がほぐれ、
終わった後は身体が楽になる
特に盲人按摩が凄く効く(様な気がするだけかも?)
壷をしっかりとつかむと言うか、感が良いと言うのか、
私には気持ちが良い。なによりも安い!
日本でのマッサージや按摩は、金額が高すぎて出来ないので、
機会があれば按摩をするようにしている。

中に入ると1時間30元(500円ほど)と書いてある。
受付には年配の女性と、若い女性がふたりいた。
私は全身按摩。妻が足裏マッサージを頼んだ。
奥の薄暗く、按摩用のベットを5つ並べた部屋に案内された。
年配の女性に連れられて、男性がふたり入ってきた。
30歳ほどに見える男性が、私の方の全身按摩だ。
我慢しても大きなうめき声が出てしまうぐらい、
気持ちよく(?)力を入れて按摩をしてもらった。
妻の方は50歳ぐらいと思われる男性に足裏マッサージをしてもらっている。
日本から来たとか、NPOの活動をしているとか話をしているみたいだ。
話が弾んでいるのか、部屋にもう一人の男性が入ってきた。
この店の店長である。
名前を『呉 海峰』と言い、西双版納盲人按摩中心主任だそうである。
(中国では視覚障害者と盲人と少し分けているようである。)
詳しくは解からないが、西双版納での盲人組織と盲人按摩組合の
代表でいちばん偉い人のようだ。
妻に足裏マッサージをしている50歳ぐらいの男性が、
「20年ほど前に、彼と私とがここで按摩を始めました。
 最初は上手くいかず、苦労の連続でした・・・」
と、話を始めた。
障害者が生きていくのは大変で、苦労が付きまとうのは
どこの国や世界でも同じである。
呉さんが、
「家が近くにあるので、按摩が終わったら、お茶を飲みに行きましょう」
と言い出した。
強引なお誘いである。
呉さんは年配の女性と腕を組み、私たち夫婦は後を付いていった。
すぐ近くにある雑居ビルの3階から上が彼の家のようだ。
衣料品店やゲームセンターの裏手の階段を上がって3階にまで行き、
そこからは、鍵の着いたドアの向こうに、彼の家専用の階段が作られていた。
床がタイル張りのすごく綺麗な家だ。
玄関から入ってすぐ、左手の部屋では、マージャンをしていた。
何世代もの人が住む大家族なのだろう。
小学校の先生をしている奥さんに出迎えられた
ここで年配の女性は店があるからと引き返し、
奥さんに案内されてさらに上の4階のリビングに連れられた。
家具や調度品も立派で、片付いた綺麗な部屋である。
「お茶を入れますからね」
本格的なプーアル茶(普耶茶)の入れ方である。
プーアル茶専用のお賽銭箱のような四角い木の台があった。
お茶をこぼしても、下に落ちるようになっていて、
お茶が溜まると、中に引き出しが付いていて、簡単に捨てるようになっている。
細部に龍の彫り物があり、凄く高そうである。
 プーアル茶は時間が経てば経つほど風味と味わいを増し、
まろやかなお茶になると言う。
 ポットから急須に熱いお湯を注ぎ最初に注いだ湯はすぐに捨てた。
二回目のお湯から飲むそうだ。
これを「洗茶」と言い、洗茶は茶葉を目覚めさせるためと、
ごみやホコリを洗い流す為だそうだ。
良いお茶は何杯でも飲めるそうである。

お茶は西双版納が発祥の土地だそうだ。
昔、西双版納の近くで、少数民族アイニ族の勇敢な若者が、
人畜に危害を加えていた豹を退治した。
近くの老若男女が集まりお祝いが始まった。
大鍋で豹を煮て食べ、一晩中踊り明かした。
喉が渇いたので、大鍋にお湯を用意していた。
すると風で飛ばされた、たくさんの葉っぱが、
そのお湯の中に飛び込んでしまった。
その湯を飲んだところ、口に苦味と甘味を感じ、
すっきりした香もあり、口の中が大変サッパリした。
これが、お茶の始まりだそうである。

急須に3回目ぐらい、お湯を注いだあたりから、
口全体に 甘味を感じてきた。
5回目ぐらいから、コクの深さとすっきりした爽快な感じがしてきた。
飲んだあとに感じる後味のが良いのである。
 
呉さん夫婦には小学校の女の子もいて、仲がよさそうだ。
盲目の夫がいて、生活が大変だろうと想像がつくが、
そんな事を、まったく感じさせない良い夫婦だ。
この夫婦は漢民族だ。
西双版納の3分の1が漢民族。3分の1がタイ民族
残りが他の少数民族だそうだ。
漢民族は、文化大革命のときに都市からやって来た若者が、
そのまま住み着いた人が多い。
呉さんは、西双版納の盲目(視覚)障害者協会の理事長で、
北京や上海など中国の大都市、それに日本などとも、
交流関係を持ちたいと考えている。
妻や私の参加しているNPO団体は、中国からの障害者を、
幾度も日本に招待した実績があり、興味があったのだろう。

私は別の面で凄く興味があった。
日本では、都市のメインストリートで、
『盲人按摩』と言う、看板があるかどうか? 
最近は「足裏マッサージ」や「フットマサージ」と言った
綺麗なお店がたくさん出来ていて、
良く駅前などで、綺麗な女の子がチラシを配ったりしている。
町の裏通りに、鍼灸やマッサージなどの看板は見かけることはあるが
『盲人按摩』の看板は見たことが無い。
私は、国民性の違いと、行政の違いが大きいのだと考える。
盲目(まったく見えない)障害者は按摩をしなければいけないと、
国が決め付けるのもどうかとは思うが、障害者に対するフォロー体制は、
日本よりしっかりしているのでは?
障害者に対して、隠す・閉じ込める、と言う意識があるため、
差別に発展するのでは? とも考えてしまう。

「日本に来る機会があれば、連絡ください。
出来る限り、力になります」
と挨拶を終え、ホテルに帰ろうとしたら、

「これを持って帰ってください。
お土産物屋には売ってない、地元の人にしか手に入らないお茶です」
と雲南独特の丸く固めたお茶を7枚、竹の葉でくるんだものを出してきた。
今まで、何度もお土産物屋で見ているので、お茶が高価なのは知っている。

「そんな事されたら困ります。結構です」
断ったが、どうしても持って帰って頂かないと困ると・・・
美味しいお茶に、高価なお茶のお土産まで貰い、
土砂降りの雨の中を、タクシーでホテルまで帰った。

ホテルの冷蔵庫から、お昼に買った『マンゴー』を取り出した。
日本から持って来た、ナイフを取り出し、
今日の出来事を思い出しながら、二人で食べだした。
ほのかな香りがし、凄く甘く美味しい『マンゴー』だった。

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雲南省旅行記(14)

2006-09-06 | 雲南省旅行記
明日は、別のガイドに変わるそうだ。
この二日間、少数民族の文化や芸術、生活や風習、そして歴史など、
根本的な所から考えることができた。
心からお礼を言ってホテルで劉さんと、お別れをした。

洪景最後の夜でもあるので、食事を兼ねて市内見学に出かけた。
町中にヤシの木がたくさん植えられ、南国の風情が漂う。
メインストリートには象のレリーフや、日本での狛犬ようなものがある門や、
たくさんの銅像が歩道に飾られていた。
所々に雲が出てきて、小雨が降り出した。
市役所の前には池や公園が作られていて、
たくさんの人が散歩している。
ホテルを出てから1時間ほどになる。
メインストリートから大きな道路沿いに歩いたが、
お土産屋に衣料品、その他の店はたくさん見られるが、
レストランがない。ホテルはたくさん建っていて、
その中にあるのはあるのだが、料金的に好ましくない。
さらに10分ほど歩いていると、ファッションビルのような建物があり、
エレベーターで3階に行くと映画館があって、
若い人たちがたくさんならんでいた。
どうやら、スーパーマンを上映しているらしい。
廊下にはたくさんの映画のポスターがはられ、
中国人の映画好きが感じられる。

天井から厠(トイレ)の案内が出ていた。
廊下の突き当たりにあったのだが、前に机が置いてあり、
2元と書いた紙の箱を前にして女性が座っている。
「障害者はいくらですか?」
妻が尋ねた。
「障害者は結構ですよ」
障害者に対する対応も感心したが、買い物客や映画を見に来た人にまで
トイレに入るのにお金を取るのは、さすが中国である。
ついでにトイレ番(?)の女性に、食事が出来る所が近くにあるか聞いてみた。
ビルの裏手に数件並んでいると言う。
エスカレーターで1階に下り、ビルの裏に行くと、
ビアホール・お粥・点心・過橋米線・中国風レストラン(?)が並んでいた。
中国風レストランで、炒飯、野菜炒めなどを頼んだ。
チェーン店のようで、高校生くらいの女の子やカップル。
家族連れに、浮いた感じで地元の中年がビールを飲んでいた。
人が飲んでいると飲みたくなるものである。
すぐに漢民族でなくどこかの少数民族と思われる、
まだ10代前半ぐらいのウエイトレスに地ビールを追加注文した。
調理しているのも20歳前後の女性だ。
想像通り凄い量の料理が出てきた。味付けが濃くビールにはちょうど良い。
ビールをもう1本追加しても料金が18元と、凄く安い。
店をでた時には、大粒の雨が降り出していた。
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