今月25日、NPO関西障害者国際交流協会メンバーで北京へ渡航する。
口足芸術家 故安達巌氏と、
同じく北京在住の口足芸術家 劉京生氏らと展示会を開く為だ。
2006年3月、尼崎で劉京生・羅麗艶『わたしの夢』展を開催したとき、
劉さんより安達氏と会って話をしたいと強い要望があった。
二人とも『世界身体障害芸術家協会会員』として
20年前からの付き合いだったが、
国や言語の壁があり、ゆっくりと話し合うチャンスに恵まれなかった。
展示会終了後、私の妻が通訳として食事をする事ができた。
同じ感電で両手を無くしたという体験者どうし、
話も弾み、友情を誓い合って別れた。
このとき、今度は安達さんが北京に出向いて、
展示会を開催しようと約束した。
ところが2006年9月5日
安達巌氏が脳内出血のために帰らぬ人となり、
約束を果たす事が出来なくなった。
北京市障害者連合会と関西障害者国際交流協会が主催となり、
安達巌氏妻であり「ギャラリー雀の道 安達巌館」館長の、
安達晶子さんの協力を得て約束を果たすことになった。
私には、安達さんも劉さんも、
同じ笑顔を持っていると感じた。
逆境にめげず生き抜いた人だけが持つ、
優しい笑顔だろう。
口と足で描く芸術家協会
安達巌氏プロフィール
1939年10月大阪府生まれ。
1948年小学校4年生の春、雀の子を捕るために変電所の鉄塔に登って感電し、
両腕を失った。
1949年母亡くなる
1951年12歳の時に初めて口に筆をとり、自然と絵を描き始めていた。
ハンディキャップを背負い様々な職業を転々としたが、
一生続けられる仕事に就きたいという強い思いから、
本格的に絵画に取り組み、デッサンを始め、日本画、水彩、油絵と
様々なジャンルの絵画を独学、創作した。
1964年25歳の時、東京オリンピック第2部パラリンピックにおいて、
水泳で金、100m競争、立ち幅跳びで銅メダルを獲得した。
1965年 口と足で描く芸術家協会、正会員となった。
1983、1986年インターナショナルハンディキャップアーティスト展世界第1位
1996年インターナショナルハンディキャップアーティスト、
クリスマス絵画展世界第1位。
2006年9月没。