cuminseed

ちょっとだけスパイシー

尼崎市コミュニティ活動功労者表彰式

2007-01-30 | NPO関西障害者国際交流協会
NPO関西障害者国際交流協会が、
尼崎市コミュニティ活動功労者として表彰されました。

尼崎市役所で行われた表彰式には、
理事長・副理事長・理事の3名が参加。

白井市長より表彰状が手渡されました。



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第3回アジア家庭薬膳料理教室(ベトナム)終わる

2007-01-27 | NPO関西障害者国際交流協会
今日、尼崎市小田公民館で
NPO 関西障害者国際交流協会主催
『第3回アジア家庭薬膳料理教室(ベトナム)』
が開催されました。

第1回は韓国家庭薬膳料理
第2回は中国家庭薬膳教室
に続き、今回は、ベトナム料理研究家の
岡田ハンさんを講師としてお招きし、
ベトナム家庭薬膳教室を行いました。
  
   


アオザイを着て料理を指導なさるハン先生は、
凄く魅力的な女性でした。


メニューは、
蓮茎サラダ



蓮の実ごはん 








皆さんの作品を並べて見ました。


蓮花茶

ベトナム料理と言えば、
「生春巻き」
しか知らないという方がほとんどでしたが、
味に加え、美しく細工されたトマトで作ったバラなど、
綺麗に盛られた料理にうっとりされていました。

美味しい料理を食べながら、
NPO 関西障害者国際交流協会の理事でもあり
車椅子障害者歌手「池田和美」さんが
美しい肉声だけ歌を披露するなど、
楽しい時間を過ごしました。

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中国青海省お見舞記(8)

2007-01-24 | 中国青海省お見舞記
甥が円を元に両替する為、タクシーで西寧市に行っているあいだに、
妻の北京に住む姉(四女)に今晩泊めてもらうように電話し、
明日中に、北京から上海に移動する方法を探してもらうことにした。

中国東方航空は、自分たちが勝手に飛行機を取り消しておいて、
西寧空港で搭乗手続きをして、自分たちで何とかして上海浦東国際空港まで行き、
そこで、西寧空港→上海浦東国際空港間のチケットを払い戻しするという。
なんと理不尽な航空会社だ!

モンクを言いたいのだが、中国語が話せないし、
飛行機が出航しないのはどうしようもない事実なのだ。

二日後の上海浦東国際空港発、関西国際空港着のチケットを買っている。
どうしても上海に行かなければいけない。
それに上海の義兄にも会いたい。

空港のレストランで遅いランチを食べながら、
両替に行った甥と、北京の姉からの電話を待つことにした。
甥はまだ、昼食を食べていないのだ。
可哀想なことをしたが、私たちにはどうすることもできない。

一時間ほどして、甥が帰ってきた。
甥の携帯に北京の姉から、
明日の夜に北京を出発、翌朝に上海着の寝台列車の
チケットが取れたと電話がかかってきたそうだ。

上下2段、4人用の個室になっていて、
上海まで12時間かかるという。

頭の中に、別の考えが湧いてきた。

「中国の寝台列車に乗りたい!」

これは、私に中国の寝台列車を乗るために、
神様が仕組んだことなのだ。
都合が良いように思うことにした。

飛行機からの景色も未知の世界だ。
電車の旅も・・・

北京行きの飛行機では、
中国大陸の大きさに圧倒され、
雄大な景色を堪能した。









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中国青海省お見舞記(7)

2007-01-23 | 中国青海省お見舞記
今日の予定は、病院に最後のお見舞いを済ませてから、
飛行機で上海に行き、義兄の家に泊まる予定だ。
(上海蟹をお腹いっぱい食べるという予定もある)

朝9時に、甥がホテルに迎えに来てくれた。
フロントでチェックアウトを済ませて・・・
の予定が、
「15元払ってください!
 部屋で有料の化粧品を使っています!」
とキャッシャーの女性が怖い顔で言うのだ。
「そんなもの、使っていません!」
「いいえ。使った後があります!」

そんなもの、使った覚えが無い。
「何を使ったか、部屋に見に行きます」
とエレベーターに乗り、部屋に行って見た。

ルームメイクの女性が二人。
ルーム担当の女性と男性が部屋の中にいて、
「これを使ったでしょう」
と小さな容器に入った、中国製の口臭消しを差し出した。
そんなもの、あることさえ知らない。
歯ブラシと備え付けの石鹸とシャンプーしか使っていない。
「使ってません」
「絶対に使いました。お金を払ってください」
その時点で私は、キレた!
使ってもいないものを、決め付けて言うのだ。
中国の人には悪いが、
そんな訳の分からない中国製の口臭消しなど、
頼まれても使うものか!!!
15元がもったいないのではない。
泥棒扱いされたことが、頭にきたのだ。
「警察をよべ。私の指紋が付いているか調べろ。
 付いていなかったら、キチンと損害賠償を支払えよ」
妻に通訳しろと言ったのだが、
通訳はしてくれなかった。
「彼は日本人なので、中国製の口臭消しなど使わない。
日本製でもっと良いのがあるからそんなものは使わない」
と言ったようだ。
妻とルーム担当の話し合いで、
料金を支払わないで良いと決着が付いたようだが、
私も、ホテル従業員も機嫌が悪い。
ホテルのフロントがお客さんに対して、
そんな態度でどうするのだと、文句を言ったが、
妻は通訳をしてくれなかった。
これがこれから起きる、今日の悪夢(?)の前兆だった。

病院に行って、義姉との最後のお見舞いだ。

妻と姉とは、
最後の別れになるだろう。

涙を拭きながら、
病院から空港に向け、
タクシーに乗り込んだ。
甥が仕事を休んで、送ってくれた。



タクシーの窓から景色を眺めていると、
山肌に、黒い穴が開いているのがわかる。



文化大革命のとき、若い頃の義姉は、
北京から青海省にやって来た。
そしてこのような穴で生活をしていたという。

11時40分に空港に着いた。
搭乗手続きをしようとしたら、
上海浦東国際空港行きの窓口が無い。

どこに行けば良いのかと、電光掲示板を見たら、、、
取消(キャンセル)
となっているではないか。



ちゃんと年末に、中国東方航空の時間表を見て、
上海の甥に頼んで、
上海浦東国際空港内の東方航空で買ったチケットだ。

空港案内窓口で、どうなっているのか聞いて見た。
「私も分からないんです。
 ただ、上海浦東国際空港行きの飛行機が取り消しになった。
 理由も何も聞いていないんです」
と言う返事だ。
「向かい側に、東方航空のカウンターがあります。
そこで聞いてください」

東方航空のカウンター嬢に聞いて見た
「どうなっているんだ」
と聞いても同じように、取消になったしか分からないと言う。
昨日の上海浦東国際空港行きの飛行機も取り消しになったそうだ。

「私たちはどうすればいいの?」
「済みません。私にも分かりません」

選択は、西寧に戻り明日の飛行機に乗る。
ただし明日も取り消しになる可能性もあり。

北京行きの席はまだ少し余裕がある。

の二つだけだ。

私たちがカウンターで話をしている間に、
同じように上海浦東国際空港行きの飛行機に乗る予定だった人が
たくさん集まりだした。
日本人も3人いた。仕事で青海省に来たそうだ。
一人は夜までに上海に行かなければ行けないので、
席が一つだけ空いている成都行きの飛行機にのるようだ。

悩んでいても時間が経つだけだ。
こんな田舎にいてもどうしようもない。
取り合えず、北京に行くことにした。
北京には、親戚もいるので泊まるぐらいは大丈夫だろう。

カウンターでチケットを買って、、、
「大変だ! お金が足らない!」
「ええ。余裕を見て日本から持ってきたろ!」
「円しかない。人民元に両替しないと。
 この空港、小さいし国際空港と違うから、
両替どころか、銀行も無い。
日本のカードを使うことも出来ない」
 
まさか飛行機で北京にまで行くとは思っても見ないし、
余分に円を元に両替していなかった。

西寧市まで行って両替しないと、
北京にも行けない。

荷物もあるし、
両替が出来る銀行がどこにあるかも分からない。
甥に頼んでタクシーで西寧に行って両替を頼むことにした。
二人で3000元(約5万円)の飛行機代である。


しかし・・・
飛行機が・・・
理由も無く・・・
取消になるなんて・・・

さすが青海省だ!!!
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中国青海省お見舞記(6)

2007-01-21 | 中国青海省お見舞記
チベット料理で昼食を食べ、
通訳の女性を青海大学内の学生寮に送り、
義姉の入院する病院に戻った。

妻と義姉の夫と二人で、介護をしていた。
最近は朝食も取らず、眠ってばかりいたのが、
今日は朝食を食べ、
昼食も、日本から持って行った
「ズワイガニ」を、日本のお鍋のダシで煮た足の身を3本と
日本から持って行った「おでん」を少し食べたそうだ。
義姉は来日したことがあり、日本食が大好きだ。
妻がチャットで、食べたいもの、欲しいものを聞いていたらしい。
2つ持って行ったスーツケースの大きな方ひとつは、
義姉のおみやげばかりが入っている。

病室にはネットが繋がれ、気分の良いときは、
パソコンで北京や上海、日本などチャットで顔を見ながら、
話をするのだ。中国の田舎も進んでいる。

私は言葉も分からないし、病室にあまり長くいても、
「お茶を飲みますか?」
「お菓子、食べませんか?」
などと気を使われるので、1階から9階まで階段を登るなど、
時間をつぶしていた。

2時間ほどして、
昨年に買ったという甥のマンションに行ってから、
夕食を食べることになった。
病院からタクシーで10分ほどにマンションがあった。
6階建ての4階なのだがエレベーターが無い。
部屋は広く、とても綺麗な内装だ。
ローンで買ったのだが、
義姉が癌だと診断される前に買った為、
入院代や治療代を支払うと、
給料だけではローンの支払が出来ず、
困っているという。

中国の医療事情と、日本とでは違う。
兄弟や親戚が助け合って、入院費を捻出しているのだ。
中国は日本より遅れていると思う人もいるかもしれない。
ある面では遅れているかもしれないが、
ある面では、
良いところが、
残っているのだ。

今回のお見舞いも、
僅かながら私たち夫婦も、
協力するための渡航だ。

マンションを出て、
病院近くの中華料理のお店で夕食を食べ、
ホテルに戻った。


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