ホテルの方に向かって歩き出したが、途中で寄り道したい所があった。
歩いて来た道で、『盲人按摩』の看板を見たような気がしたからだ。
妻はそんな看板、見た記憶が無い。
でも中国では、これぐらいの都市になるとあるはずだという。
5分ほど歩くと、先ほど歩いて来た歩道の、反対側のビルの2階に
盲人按摩と書かれた窓ガラスを見つけた。
ビルの裏手にある階段を上ると、
表札に『盲人按摩』と書かれたドアがあった。
私の身体は脳出血の後遺症の為に右方麻痺と言って、
右半身の自由が利かなくなっている。
去年の中国旅行の時、上海で初めて『按摩』をしてもらった。
かなりの痛みをともなうが、麻痺側の筋肉がほぐれ、
終わった後は身体が楽になる
特に盲人按摩が凄く効く(様な気がするだけかも?)
壷をしっかりとつかむと言うか、感が良いと言うのか、
私には気持ちが良い。なによりも安い!
日本でのマッサージや按摩は、金額が高すぎて出来ないので、
機会があれば按摩をするようにしている。
中に入ると1時間30元(500円ほど)と書いてある。
受付には年配の女性と、若い女性がふたりいた。
私は全身按摩。妻が足裏マッサージを頼んだ。
奥の薄暗く、按摩用のベットを5つ並べた部屋に案内された。
年配の女性に連れられて、男性がふたり入ってきた。
30歳ほどに見える男性が、私の方の全身按摩だ。
我慢しても大きなうめき声が出てしまうぐらい、
気持ちよく(?)力を入れて按摩をしてもらった。
妻の方は50歳ぐらいと思われる男性に足裏マッサージをしてもらっている。
日本から来たとか、NPOの活動をしているとか話をしているみたいだ。
話が弾んでいるのか、部屋にもう一人の男性が入ってきた。
この店の店長である。
名前を『呉 海峰』と言い、西双版納盲人按摩中心主任だそうである。
(中国では視覚障害者と盲人と少し分けているようである。)
詳しくは解からないが、西双版納での盲人組織と盲人按摩組合の
代表でいちばん偉い人のようだ。
妻に足裏マッサージをしている50歳ぐらいの男性が、
「20年ほど前に、彼と私とがここで按摩を始めました。
最初は上手くいかず、苦労の連続でした・・・」
と、話を始めた。
障害者が生きていくのは大変で、苦労が付きまとうのは
どこの国や世界でも同じである。
呉さんが、
「家が近くにあるので、按摩が終わったら、お茶を飲みに行きましょう」
と言い出した。
強引なお誘いである。
呉さんは年配の女性と腕を組み、私たち夫婦は後を付いていった。
すぐ近くにある雑居ビルの3階から上が彼の家のようだ。
衣料品店やゲームセンターの裏手の階段を上がって3階にまで行き、
そこからは、鍵の着いたドアの向こうに、彼の家専用の階段が作られていた。
床がタイル張りのすごく綺麗な家だ。
玄関から入ってすぐ、左手の部屋では、マージャンをしていた。
何世代もの人が住む大家族なのだろう。
小学校の先生をしている奥さんに出迎えられた
ここで年配の女性は店があるからと引き返し、
奥さんに案内されてさらに上の4階のリビングに連れられた。
家具や調度品も立派で、片付いた綺麗な部屋である。
「お茶を入れますからね」
本格的なプーアル茶(普耶茶)の入れ方である。
プーアル茶専用のお賽銭箱のような四角い木の台があった。
お茶をこぼしても、下に落ちるようになっていて、
お茶が溜まると、中に引き出しが付いていて、簡単に捨てるようになっている。
細部に龍の彫り物があり、凄く高そうである。
プーアル茶は時間が経てば経つほど風味と味わいを増し、
まろやかなお茶になると言う。
ポットから急須に熱いお湯を注ぎ最初に注いだ湯はすぐに捨てた。
二回目のお湯から飲むそうだ。
これを「洗茶」と言い、洗茶は茶葉を目覚めさせるためと、
ごみやホコリを洗い流す為だそうだ。
良いお茶は何杯でも飲めるそうである。
お茶は西双版納が発祥の土地だそうだ。
昔、西双版納の近くで、少数民族アイニ族の勇敢な若者が、
人畜に危害を加えていた豹を退治した。
近くの老若男女が集まりお祝いが始まった。
大鍋で豹を煮て食べ、一晩中踊り明かした。
喉が渇いたので、大鍋にお湯を用意していた。
すると風で飛ばされた、たくさんの葉っぱが、
そのお湯の中に飛び込んでしまった。
その湯を飲んだところ、口に苦味と甘味を感じ、
すっきりした香もあり、口の中が大変サッパリした。
これが、お茶の始まりだそうである。
急須に3回目ぐらい、お湯を注いだあたりから、
口全体に 甘味を感じてきた。
5回目ぐらいから、コクの深さとすっきりした爽快な感じがしてきた。
飲んだあとに感じる後味のが良いのである。
呉さん夫婦には小学校の女の子もいて、仲がよさそうだ。
盲目の夫がいて、生活が大変だろうと想像がつくが、
そんな事を、まったく感じさせない良い夫婦だ。
この夫婦は漢民族だ。
西双版納の3分の1が漢民族。3分の1がタイ民族
残りが他の少数民族だそうだ。
漢民族は、文化大革命のときに都市からやって来た若者が、
そのまま住み着いた人が多い。
呉さんは、西双版納の盲目(視覚)障害者協会の理事長で、
北京や上海など中国の大都市、それに日本などとも、
交流関係を持ちたいと考えている。
妻や私の参加しているNPO団体は、中国からの障害者を、
幾度も日本に招待した実績があり、興味があったのだろう。
私は別の面で凄く興味があった。
日本では、都市のメインストリートで、
『盲人按摩』と言う、看板があるかどうか?
最近は「足裏マッサージ」や「フットマサージ」と言った
綺麗なお店がたくさん出来ていて、
良く駅前などで、綺麗な女の子がチラシを配ったりしている。
町の裏通りに、鍼灸やマッサージなどの看板は見かけることはあるが
『盲人按摩』の看板は見たことが無い。
私は、国民性の違いと、行政の違いが大きいのだと考える。
盲目(まったく見えない)障害者は按摩をしなければいけないと、
国が決め付けるのもどうかとは思うが、障害者に対するフォロー体制は、
日本よりしっかりしているのでは?
障害者に対して、隠す・閉じ込める、と言う意識があるため、
差別に発展するのでは? とも考えてしまう。
「日本に来る機会があれば、連絡ください。
出来る限り、力になります」
と挨拶を終え、ホテルに帰ろうとしたら、
「これを持って帰ってください。
お土産物屋には売ってない、地元の人にしか手に入らないお茶です」
と雲南独特の丸く固めたお茶を7枚、竹の葉でくるんだものを出してきた。
今まで、何度もお土産物屋で見ているので、お茶が高価なのは知っている。
「そんな事されたら困ります。結構です」
断ったが、どうしても持って帰って頂かないと困ると・・・
美味しいお茶に、高価なお茶のお土産まで貰い、
土砂降りの雨の中を、タクシーでホテルまで帰った。
ホテルの冷蔵庫から、お昼に買った『マンゴー』を取り出した。
日本から持って来た、ナイフを取り出し、
今日の出来事を思い出しながら、二人で食べだした。
ほのかな香りがし、凄く甘く美味しい『マンゴー』だった。
歩いて来た道で、『盲人按摩』の看板を見たような気がしたからだ。
妻はそんな看板、見た記憶が無い。
でも中国では、これぐらいの都市になるとあるはずだという。
5分ほど歩くと、先ほど歩いて来た歩道の、反対側のビルの2階に
盲人按摩と書かれた窓ガラスを見つけた。
ビルの裏手にある階段を上ると、
表札に『盲人按摩』と書かれたドアがあった。
私の身体は脳出血の後遺症の為に右方麻痺と言って、
右半身の自由が利かなくなっている。
去年の中国旅行の時、上海で初めて『按摩』をしてもらった。
かなりの痛みをともなうが、麻痺側の筋肉がほぐれ、
終わった後は身体が楽になる
特に盲人按摩が凄く効く(様な気がするだけかも?)
壷をしっかりとつかむと言うか、感が良いと言うのか、
私には気持ちが良い。なによりも安い!
日本でのマッサージや按摩は、金額が高すぎて出来ないので、
機会があれば按摩をするようにしている。
中に入ると1時間30元(500円ほど)と書いてある。
受付には年配の女性と、若い女性がふたりいた。
私は全身按摩。妻が足裏マッサージを頼んだ。
奥の薄暗く、按摩用のベットを5つ並べた部屋に案内された。
年配の女性に連れられて、男性がふたり入ってきた。
30歳ほどに見える男性が、私の方の全身按摩だ。
我慢しても大きなうめき声が出てしまうぐらい、
気持ちよく(?)力を入れて按摩をしてもらった。
妻の方は50歳ぐらいと思われる男性に足裏マッサージをしてもらっている。
日本から来たとか、NPOの活動をしているとか話をしているみたいだ。
話が弾んでいるのか、部屋にもう一人の男性が入ってきた。
この店の店長である。
名前を『呉 海峰』と言い、西双版納盲人按摩中心主任だそうである。
(中国では視覚障害者と盲人と少し分けているようである。)
詳しくは解からないが、西双版納での盲人組織と盲人按摩組合の
代表でいちばん偉い人のようだ。
妻に足裏マッサージをしている50歳ぐらいの男性が、
「20年ほど前に、彼と私とがここで按摩を始めました。
最初は上手くいかず、苦労の連続でした・・・」
と、話を始めた。
障害者が生きていくのは大変で、苦労が付きまとうのは
どこの国や世界でも同じである。
呉さんが、
「家が近くにあるので、按摩が終わったら、お茶を飲みに行きましょう」
と言い出した。
強引なお誘いである。
呉さんは年配の女性と腕を組み、私たち夫婦は後を付いていった。
すぐ近くにある雑居ビルの3階から上が彼の家のようだ。
衣料品店やゲームセンターの裏手の階段を上がって3階にまで行き、
そこからは、鍵の着いたドアの向こうに、彼の家専用の階段が作られていた。
床がタイル張りのすごく綺麗な家だ。
玄関から入ってすぐ、左手の部屋では、マージャンをしていた。
何世代もの人が住む大家族なのだろう。
小学校の先生をしている奥さんに出迎えられた
ここで年配の女性は店があるからと引き返し、
奥さんに案内されてさらに上の4階のリビングに連れられた。
家具や調度品も立派で、片付いた綺麗な部屋である。
「お茶を入れますからね」
本格的なプーアル茶(普耶茶)の入れ方である。
プーアル茶専用のお賽銭箱のような四角い木の台があった。
お茶をこぼしても、下に落ちるようになっていて、
お茶が溜まると、中に引き出しが付いていて、簡単に捨てるようになっている。
細部に龍の彫り物があり、凄く高そうである。
プーアル茶は時間が経てば経つほど風味と味わいを増し、
まろやかなお茶になると言う。
ポットから急須に熱いお湯を注ぎ最初に注いだ湯はすぐに捨てた。
二回目のお湯から飲むそうだ。
これを「洗茶」と言い、洗茶は茶葉を目覚めさせるためと、
ごみやホコリを洗い流す為だそうだ。
良いお茶は何杯でも飲めるそうである。
お茶は西双版納が発祥の土地だそうだ。
昔、西双版納の近くで、少数民族アイニ族の勇敢な若者が、
人畜に危害を加えていた豹を退治した。
近くの老若男女が集まりお祝いが始まった。
大鍋で豹を煮て食べ、一晩中踊り明かした。
喉が渇いたので、大鍋にお湯を用意していた。
すると風で飛ばされた、たくさんの葉っぱが、
そのお湯の中に飛び込んでしまった。
その湯を飲んだところ、口に苦味と甘味を感じ、
すっきりした香もあり、口の中が大変サッパリした。
これが、お茶の始まりだそうである。
急須に3回目ぐらい、お湯を注いだあたりから、
口全体に 甘味を感じてきた。
5回目ぐらいから、コクの深さとすっきりした爽快な感じがしてきた。
飲んだあとに感じる後味のが良いのである。
呉さん夫婦には小学校の女の子もいて、仲がよさそうだ。
盲目の夫がいて、生活が大変だろうと想像がつくが、
そんな事を、まったく感じさせない良い夫婦だ。
この夫婦は漢民族だ。
西双版納の3分の1が漢民族。3分の1がタイ民族
残りが他の少数民族だそうだ。
漢民族は、文化大革命のときに都市からやって来た若者が、
そのまま住み着いた人が多い。
呉さんは、西双版納の盲目(視覚)障害者協会の理事長で、
北京や上海など中国の大都市、それに日本などとも、
交流関係を持ちたいと考えている。
妻や私の参加しているNPO団体は、中国からの障害者を、
幾度も日本に招待した実績があり、興味があったのだろう。
私は別の面で凄く興味があった。
日本では、都市のメインストリートで、
『盲人按摩』と言う、看板があるかどうか?
最近は「足裏マッサージ」や「フットマサージ」と言った
綺麗なお店がたくさん出来ていて、
良く駅前などで、綺麗な女の子がチラシを配ったりしている。
町の裏通りに、鍼灸やマッサージなどの看板は見かけることはあるが
『盲人按摩』の看板は見たことが無い。
私は、国民性の違いと、行政の違いが大きいのだと考える。
盲目(まったく見えない)障害者は按摩をしなければいけないと、
国が決め付けるのもどうかとは思うが、障害者に対するフォロー体制は、
日本よりしっかりしているのでは?
障害者に対して、隠す・閉じ込める、と言う意識があるため、
差別に発展するのでは? とも考えてしまう。
「日本に来る機会があれば、連絡ください。
出来る限り、力になります」
と挨拶を終え、ホテルに帰ろうとしたら、
「これを持って帰ってください。
お土産物屋には売ってない、地元の人にしか手に入らないお茶です」
と雲南独特の丸く固めたお茶を7枚、竹の葉でくるんだものを出してきた。
今まで、何度もお土産物屋で見ているので、お茶が高価なのは知っている。
「そんな事されたら困ります。結構です」
断ったが、どうしても持って帰って頂かないと困ると・・・
美味しいお茶に、高価なお茶のお土産まで貰い、
土砂降りの雨の中を、タクシーでホテルまで帰った。
ホテルの冷蔵庫から、お昼に買った『マンゴー』を取り出した。
日本から持って来た、ナイフを取り出し、
今日の出来事を思い出しながら、二人で食べだした。
ほのかな香りがし、凄く甘く美味しい『マンゴー』だった。
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