cuminseed

ちょっとだけスパイシー

四川大地震障害者被災状況(7)

2008-08-20 | 四川大地震障害者被災状況
成都に帰る途中で、
仮設住宅に住む障害者夫婦の家に訪問させていただく事になった。
広い道路のすぐ横に造られた仮設住宅に、
1万5千人もの人が暮らしているそうだ。



日本では見たことが無い
手動車椅子(手動3輪車?)に乗って出迎えてくれた。



膝を悪くした奥さんと二人で暮らしているそうだ。

最近はやっと食事も行き届いてきたが、
地震直後は苦労したそうだ。
仮設住宅に入れて良かったのだが、
仕事や貯金も無く、
数年後には仮設住宅を出て行かなくてはいけない。
今は近所の人達と助け合いながら生活しているが、
不便な事も多くこれからの生活も不安だと話し出した。



仮設住宅の中を見せてもらったが、
日常の生活用具は少なく、
トイレや炊事場も共同で利用するなど
不便な事がいっぱいである。



何よりも暑い!
連日の40度を越える暑さに加え、
クーラーどころか扇風機も無いのだ。

斜め向かいの夫婦の家も見せてくれた。
中には女の子が一人でベットに座りテレビを見ていた。



無表情でテレビに向かっている女の子を見ていると、
何かやるせない気持ちになって来た。



この障害者夫婦も1年間で1千元(約1万6千円)しか収入がないと言う。
2百元の義援金を渡しお別れすることにした。


最初は受け取ろうとしなかったが、
最後には喜んで手に取った。
やはりこれからの事を考えると、
数か月分の生活費である。

仮設住宅を後にするとき、
ふと玄関横に置かれた松葉杖が見えた。
この人は、
仕事はあるのだろうか?
いつまでここで生活するのだろうか・・・?

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四川大地震障害者被災状況(6)

2008-08-19 | 四川大地震障害者被災状況
23日午前中は成都市障害者連合会センターで、
日本から頂いた義援金の感謝状を受け取り、
午後からは都江堰へ向かった。

彭州と同じ李家明さんと宋凡さんの案内である。
都江堰は彭州と違い、都市部の被災が酷いところだ。

途中で3ヶ所ほどの検問があった。
ここもマスコミの取材を制限しているようだ。





広い幹線道路の横に、仮設住宅が並びだした。
都江堰のシンボルと言われる「金色の馬(?)」を通過すると、
所々に、倒壊したビルが姿を現しだした。

途中で都江堰障害者連合会に立ち寄った。
どうやら都江堰障害者連合会理事長が案内してくれるようだ。

ここは都市部の被災だけに死傷者がたくさん出た場所だ。
実際に目にするとこんな大きなビルが・・・
と目を疑うような光景だ。








鉄の扉の向こう側に、
倒壊したビルの瓦礫が散在している場所に案内された。
ここは障害者が門番の仕事をしていた場所で、
命だけは助かったが、病院のベットで横になったままだそうだ。

頑張り屋で優しくて、良い人だったのに・・・

涙ぐみながら説明してくれる姿を見ていると、
私まで涙がこぼれて来た。





1時間ほどの訪問だったが、
地震の凄さに言葉を無くしてしまった。

都江堰の市街から出ようとしたとき、
道路に真ん中で、4人の兵士が私たちの乗った車を手招きした。
4人に囲まれるように車を停めた瞬間。
白い消毒液を放射しだした。
車体はもちろんタイヤや車の底にまで、
4人がかりで吹き付けるのだ。

改めて、地震の凄さを痛感させられた。
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四川大地震障害者被災状況(5)

2008-08-05 | 四川大地震障害者被災状況
翌日7月22日、はホテル近くにある成都市障害者連合会センターまで歩いて
障害者連合会理事長 張寛さんに義援金をお渡しに行った。

成都市内はそれほど大きな被害は無かったようだが、
障害者連合会センターには、あちらこちらにひび割れが入り、
雨漏りがするらしく方々にバケツが置いてある。

玄関を入ってすぐに、
視覚障害者と肢体障害者(足の切断)が話をしていた。
ここにはたくさんの障害者が集まるところのようだ。



成都市障害者連合会理事長 張寛さんに

中国四川大震災被災障害者救援コンサート 40万円
「哀しみの南京」尼崎公演実行委員会   18万円
ゆめ風基金               24万円

計82万円の義援金をお渡しした。

日本の皆様の、暖かい心とご支援に
たいへん感謝しております。  
ありがとう御座いました。

とお礼の言葉を頂いた。




それから成都市被災障害者の事を話して頂いた。
仮設住宅も半分しかなく、
仮設住宅に入れても何年か後には出て行かなければならない。
仕事や、新しく障害者になった人の事など問題が山積されている。
職員たちも地震から一日も休まず、
土日は被災現場で働いているそうだ。

今、一番必要なのは何ですか? と尋ねたところ
「お金です」との一言。
地震直後は何も無い状態だったが、
今では衣服や車椅子など補助や寄付で足りているそうである。
それよりも復興やリハビリセンターの建設、
被災者の住宅や生活費などモノよりお金が必要だ。

某外国より、
「おもちゃ(玩具)」がたくさん寄付されたが、
税関でストップしたままで返すわけにもいかず困っている」
とも話された。

それから成都市障害者連合会センターを案内して頂いた。
1階は障害者の市役所。日本と違い障害者の役所関係
(戸籍、税金、保険などすべての公関係)は窓口が一本化され、
障害者連合会が行っている。
日本だと、年金課・戸籍課・障害者福祉課などたらい回しにされるが、
中国ではそれがない。
障害者連合会と言うのは国の機関で、公務員なのであるそうだ。
作業所も作られていて、刺繍や美術工芸品が作られていた。





2階3階と幼児障害者施設があり、肢体障害者のリハビリ、
視聴覚障害児の幼稚園(?)などがある。




可愛い聴覚障害児が歓迎の踊りを見せてくれた。





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四川大地震障害者被災状況(4)

2008-07-31 | 四川大地震障害者被災状況
少し車で移動し障害者の住まいを訪問しに行った。
車の窓から見える風景はどれもこれも、
地震の被害ばかりだ。









先ほどよりも少し山間で車を降りて家まで歩くのだが、
昨夜から今朝まで降り続いた雨の為、滑って歩きにくい。
昨夜の大雨で、仮設住宅が浸水したとニュースで報道していた。
余震も続き場所によっては洪水の危険もあると言う。



この女性はチベット民族の障害者で、地震の為に家が倒壊。
自分で家(小屋)を建て生活している。
家の中まで入らせて頂く事が出来た。

玄関前に置かれた消毒液の噴霧器が印象に残っている。
地震に加え、雨と連日の40度を越す猛暑。
伝染病発生の危険があり政府から配られたそうだ。




雨漏りのする小屋には、つぶれた家から運び出した僅かな生活用品で、
ひとりで生活をしている。
始めの間は普通に話をしていたのだが、
しばらくして泣き声に変わってきた。



強がりを装っていたのが、
段々と本心が出てきたようだ。

地震が起きてから辛く苦しい事ばかり続き、
これからの生活も不安で、胸が張り裂けそうだ。
と話し出した。
生活費も1年でわずか1000元しかないそうだ。

200元(約3000円)の義援金を渡しお別れした。
彼女にとっては、数か月分の生活費であり、
すごく感謝していた。




近くで生活する人達が集まってきた。
広場には仮設住宅が建設中で、
それまではテントや自分たちで作った小屋で
協力しながら暮らしているという。



被害に遭わなかった畑から、
野菜を収穫して帰る人も・・・



車まで、見送って頂いた。
先頭を歩くのは、カメラマンの高塚さんです。




このチベット民族の障害者女性は、
今も生活に困っています。

皆様のご支援を、お願い致します。

銀行振込口座
尼崎信用金庫 東難波支店 普通預金4003026
特定非営利活動法人関西障害者国際友好交流協会

質問・問い合わせは mail@kdia.jp まで

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四川大地震障害者被災状況(3)

2008-07-28 | 四川大地震障害者被災状況
車を降りて歩いて被災状況を視た。
以前は町の中心部で、
道路両側にはお店が並んでいたと言う。











老人施設あと


屋根も壁もあったが倒壊しコンロ後だけが残っている。



廃材などで小屋を作り暮らす人たち。


地震の為に足を怪我し、家は倒壊。
子供二人を抱える家族。



家を失くした障害者

車から見るだけでなく現場を歩いてみると、
被災した人の苦労や困難が鮮明に視えてきた。
コメント (3)
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