cuminseed

ちょっとだけスパイシー

中国四川省番外編2

2008-08-28 | 中国四川省番外編
中国四川省には義援金を渡すためと、
被災情報を得るために行きましたが、
航空便や被災地の受入れ体制の都合などで、
一週間の中国滞在になりました。
番外編では、被災地以外の出来事を
紹介します。


19日は豫園とその周辺、東方明珠塔見学に行った。
私は以前にも行ったことがあるのだが、
高塚さんが昔上海に来たことがあるのだが、
ツァー旅行のため、ゆっくり観光できなかったと言う。
成都へは20日の朝出発になったので予定がなく
2度目の豫園となった。

叔父の案内で私たち夫婦、高塚さんの4人でタクシーに乗り込んだ。

叔父が、昔の上海の一般的な住居と教えてくれた。
高層マンションが立ち並ぶ上海でも所々に古い家が残っている。
一見、日本の建売住宅のような趣もある。



明清時代のレトロな雰囲気の建物の並ぶ豫園周辺は、
相変わらずたくさんの観光客が、
骨董品やお土産物、飲食店に群がっていた







前回同様、南翔饅頭店で小籠包を食べた。
最近では日本にも支店が出来ている。
前回は気にしなかったが、
カニ味噌入りなどかなり高価である。





豫園に入るのに、今回は持ち物チェックがある。
買ったばかりのペットボトルも廃棄処分!
この40度を超すクソ暑いときに、、、
と文句を言いながら中に入った。

次はタクシーで東方明珠塔に移動した。


2階建観光バス



タワーに上るのは初めてである。
中に入ってびっくり・・・
20分の持ち物チェックに
エレベーターが1時間待ちの混雑。
買ったばかりのペットボトルも廃棄処分!!!



曇り空で遠方は見えなかったが、
展望台から見る上海は、大きかった。

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中国四川省番外編1

2008-08-27 | 中国四川省番外編
中国四川省には義援金を渡すためと、
被災情報を得るために行きましたが、
航空便や被災地の受入れ体制の都合などで、
一週間の中国滞在になりました。
番外編では、被災地以外の出来事を
紹介します。

関西国際空港から成都までの直行便がなく、
上海浦東国際空港で乗換となる。
18日に関空を出発して上海で1泊、
20日に成都に行くことになった。





関西国際空港内と上海までの飛行機

北京オリンピック開催でチェック体制がきつく、
チェックインでも時間がかかった。

上海での入国でも、いつもの倍ぐらいの時間がかかった。
荷物を受け取ろうとしたら、麻薬の取り締まりだろうか?
犬がコンベの上を流れる荷物の匂いを嗅いでいる。
話には聞いたことがあったのだが、
実際の現場は初めて見た。



カメラマンの高塚さんはホテルに、
私たち夫婦は妻の姉の家に泊まった。
その日の夜は、姪夫婦と叔父が
上海新天地に連れて行ってくれるという。
昨年の1月、青海省に行った時に見学に行きたかったのだが、
勝手な飛行機運転取りやめの為、断念した場所だ。

元々はフランス租界跡で、
レンガ造りでお洒落なパブに連れて行ってくれるという。







道行く人のほとんどが西欧系の人のようだ。
オープンテラスにはカップルがビールを呑みながら、
夕涼みをしている。

外壁には石材。中はマホガニーとレンガで統一されたパブに入った。
広い店内なのだが、お客がたくさん入り狭く感じる。
玄関から少しだけ入った場所に小さい舞台が作られ、
ロックにジャズ、ソウルにボサノバと、
ライブが繰り広げられている。

お客も音楽にあわせ踊る人や手をたたく人など、
フリーな場を創っている。





隣の席に座っているドイツ人カップルの、
女性のスタイルがあまりにもモデルっぽいので、
ご主人(?)が踊っている間に、
写真を撮らせて貰った。
まさに異国情緒が味わえる上海新天地だった。

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四川大地震障害者被災状況(7)

2008-08-20 | 四川大地震障害者被災状況
成都に帰る途中で、
仮設住宅に住む障害者夫婦の家に訪問させていただく事になった。
広い道路のすぐ横に造られた仮設住宅に、
1万5千人もの人が暮らしているそうだ。



日本では見たことが無い
手動車椅子(手動3輪車?)に乗って出迎えてくれた。



膝を悪くした奥さんと二人で暮らしているそうだ。

最近はやっと食事も行き届いてきたが、
地震直後は苦労したそうだ。
仮設住宅に入れて良かったのだが、
仕事や貯金も無く、
数年後には仮設住宅を出て行かなくてはいけない。
今は近所の人達と助け合いながら生活しているが、
不便な事も多くこれからの生活も不安だと話し出した。



仮設住宅の中を見せてもらったが、
日常の生活用具は少なく、
トイレや炊事場も共同で利用するなど
不便な事がいっぱいである。



何よりも暑い!
連日の40度を越える暑さに加え、
クーラーどころか扇風機も無いのだ。

斜め向かいの夫婦の家も見せてくれた。
中には女の子が一人でベットに座りテレビを見ていた。



無表情でテレビに向かっている女の子を見ていると、
何かやるせない気持ちになって来た。



この障害者夫婦も1年間で1千元(約1万6千円)しか収入がないと言う。
2百元の義援金を渡しお別れすることにした。


最初は受け取ろうとしなかったが、
最後には喜んで手に取った。
やはりこれからの事を考えると、
数か月分の生活費である。

仮設住宅を後にするとき、
ふと玄関横に置かれた松葉杖が見えた。
この人は、
仕事はあるのだろうか?
いつまでここで生活するのだろうか・・・?

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四川大地震障害者被災状況(6)

2008-08-19 | 四川大地震障害者被災状況
23日午前中は成都市障害者連合会センターで、
日本から頂いた義援金の感謝状を受け取り、
午後からは都江堰へ向かった。

彭州と同じ李家明さんと宋凡さんの案内である。
都江堰は彭州と違い、都市部の被災が酷いところだ。

途中で3ヶ所ほどの検問があった。
ここもマスコミの取材を制限しているようだ。





広い幹線道路の横に、仮設住宅が並びだした。
都江堰のシンボルと言われる「金色の馬(?)」を通過すると、
所々に、倒壊したビルが姿を現しだした。

途中で都江堰障害者連合会に立ち寄った。
どうやら都江堰障害者連合会理事長が案内してくれるようだ。

ここは都市部の被災だけに死傷者がたくさん出た場所だ。
実際に目にするとこんな大きなビルが・・・
と目を疑うような光景だ。








鉄の扉の向こう側に、
倒壊したビルの瓦礫が散在している場所に案内された。
ここは障害者が門番の仕事をしていた場所で、
命だけは助かったが、病院のベットで横になったままだそうだ。

頑張り屋で優しくて、良い人だったのに・・・

涙ぐみながら説明してくれる姿を見ていると、
私まで涙がこぼれて来た。





1時間ほどの訪問だったが、
地震の凄さに言葉を無くしてしまった。

都江堰の市街から出ようとしたとき、
道路に真ん中で、4人の兵士が私たちの乗った車を手招きした。
4人に囲まれるように車を停めた瞬間。
白い消毒液を放射しだした。
車体はもちろんタイヤや車の底にまで、
4人がかりで吹き付けるのだ。

改めて、地震の凄さを痛感させられた。
コメント (1)
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四川大地震障害者被災状況(5)

2008-08-05 | 四川大地震障害者被災状況
翌日7月22日、はホテル近くにある成都市障害者連合会センターまで歩いて
障害者連合会理事長 張寛さんに義援金をお渡しに行った。

成都市内はそれほど大きな被害は無かったようだが、
障害者連合会センターには、あちらこちらにひび割れが入り、
雨漏りがするらしく方々にバケツが置いてある。

玄関を入ってすぐに、
視覚障害者と肢体障害者(足の切断)が話をしていた。
ここにはたくさんの障害者が集まるところのようだ。



成都市障害者連合会理事長 張寛さんに

中国四川大震災被災障害者救援コンサート 40万円
「哀しみの南京」尼崎公演実行委員会   18万円
ゆめ風基金               24万円

計82万円の義援金をお渡しした。

日本の皆様の、暖かい心とご支援に
たいへん感謝しております。  
ありがとう御座いました。

とお礼の言葉を頂いた。




それから成都市被災障害者の事を話して頂いた。
仮設住宅も半分しかなく、
仮設住宅に入れても何年か後には出て行かなければならない。
仕事や、新しく障害者になった人の事など問題が山積されている。
職員たちも地震から一日も休まず、
土日は被災現場で働いているそうだ。

今、一番必要なのは何ですか? と尋ねたところ
「お金です」との一言。
地震直後は何も無い状態だったが、
今では衣服や車椅子など補助や寄付で足りているそうである。
それよりも復興やリハビリセンターの建設、
被災者の住宅や生活費などモノよりお金が必要だ。

某外国より、
「おもちゃ(玩具)」がたくさん寄付されたが、
税関でストップしたままで返すわけにもいかず困っている」
とも話された。

それから成都市障害者連合会センターを案内して頂いた。
1階は障害者の市役所。日本と違い障害者の役所関係
(戸籍、税金、保険などすべての公関係)は窓口が一本化され、
障害者連合会が行っている。
日本だと、年金課・戸籍課・障害者福祉課などたらい回しにされるが、
中国ではそれがない。
障害者連合会と言うのは国の機関で、公務員なのであるそうだ。
作業所も作られていて、刺繍や美術工芸品が作られていた。





2階3階と幼児障害者施設があり、肢体障害者のリハビリ、
視聴覚障害児の幼稚園(?)などがある。




可愛い聴覚障害児が歓迎の踊りを見せてくれた。





コメント (2)
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