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cuminseed

ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(19)

2006-09-14 | 雲南省旅行記
ロビーには8時前に行きチェックアウトを済まして待っていた。
妻が民族衣装を着た女性と話をしている。
「もうすぐ8時だ。ガイドの楊さんは遅刻だな」
「これがガイドの楊さんだよ」
女性は服装で雰囲気が変わると言うが、
特に長い髪を、たくさん飾りの付いた白い帽子に入れると
昨日とあまりにも変わりすぎて解からなかった。
予定通り、観光船に乗るため、洱海公園にある港に向かった。
乗船場の建物に着くと、楊さんはチケットを買うのに並ぶから、
ここで待っていてください。もうすぐ、踊りが始まります。
と言って、売り場の方に行った。

しばらくすると20人はいるだろうか?
民族衣装を着た若い女性が出てきた。
スタイルが良く、美人ばかりである。
4人ごとに白を基準としているが違った衣装で、
手には70センチほどのステッキをもち踊りを始めた。
写真1 写真2 写真3 写真4 写真5
途中から民族衣装を着た男性も20人ほど踊りに加わり始めた。
30分ほど踊りや演劇を行い、ショーが終わった。
終わる頃には観光船に乗る人で、込み合っている。
ショーが終わってから、順次に観光船が出航するようだ。
楊さんが近くにやってきて、
「9時20分出航の船に乗ります。建物のベンチで待っていてください」
と言った。あと30分ほどある。
ベンチに座っていると、
「あの人。どこかで見たことがある」
と声をかけた。
なんと20年程前に、北京で障害者関係の仕事をしていた時に知り合った、
聾学校の先生だそうだ。
凄い偶然だ。中国の人口が13億人で、日本から旅行に行った妻と出会うなんて、
しかし、ツァーで来ている先生はすぐに乗船しなければいけない。
すこしだけ話をして別れた。

私たちの乗船時間が来た。
白く他の船より大きく立派である。
1階の船室でひとり20元を出すと、テーブルと椅子にお茶が付いてくる。
3時間ほどの時間なので、甲板で見学して疲れたら休憩の為に頼んだ方が良いと
言うので揚さんにお願いをする。
いよいよ出航だ。
3階の甲板に出て景色を見る
天気が良く、心地よい風が吹いて蒼山の眺めもすばらしい
1階客室は、両端に団体用のソファーがあり、
その中に6人用の丸テーブルが20ほど置いてある。
そして5リットルは入るポットにお茶を入れ、各テーブルに1つ置いてある。
番号の書いた紙コップを各席にひとつずつ置いてあり、
その番号の席が私たちの休憩する場所になっている。

私たち夫婦は、上海から来た母親と子供2人、母親の姉と相席になった。
子供たちは中学生と高校生の姉妹で、昆明の親戚の家に寄ったついでに、
大理の観光に来たそうだ。
甲板に出ていた子供たちが帰って来た。
私たちが日本から来たと分かると、質問攻めにあった。
ふたりとも大のアニメファンで、それも中国のアニメでなく
日本のアニメが好きなのだそうだ。
ドラゴンボールとワンピース、他にも私の知らないアニメまで、
「見たことがありますか?」
「日本でも人気がありますか?」
などと質問してくる。
面白いのは
「日本って、よく地震が起きるのですね。日本の海賊版を見ていたら、
地震速報って画面の上に出ています」
日本語は分からなくても、漢字で意味が分かるのだ。
日本のビデオやDVDは高いので、日本に留学している友達に、
テレビから録画してもらったり、海賊版を廻して見てるそうだ。

楊さんが来て、もうすぐ私たちの『三道茶』の時間だと言う。
お茶と民族舞踊が船の中で見ることが出来る。
2階には小さな劇場が造られていて、交替で観るようになっている。
最初の方は、男女の若い民族衣装を着た人たちが、
船に乗る前に見たのと同じ踊りを踊っていた。
次に白族の結婚式を再現した踊りが始まった。
プロポーズの方法から結婚式、結婚後の様子などだ。
白族の女性は頭にたくさん飾りをつけた帽子をつける。
片側に白い紐の束がつけてあり、
男性が触るとプロポーズの意味になるそうだ。
舞台の花嫁は何故か真っ黒のサングラスをかけ、
小さな鏡を首からぶら下げている。
サングラスは泣いた目を隠す為で、鏡は魔よけらしい。
最初のお茶は、苦い『烤茶』。烤とは「あぶる」の意味で、
茶葉をあぶってからお湯を入れる。
2杯目はクルミや黒砂糖の入った甘い『甜茶』
最後は生姜や山椒が入った『回味茶』
これらを順番に小さな紙コップに入れて持ってくる。

20分のお茶と民族舞踊が終わった。
次は南詔風情島へ立ち寄るらしい。
人工に造られた浜の横船が停泊した。
高台には大きく真っ白な大仏が立っている
楊さんの説明では仏様なのだが、日本の大仏よりはスマートで女性っぽい。
その先にはホテルがあるそうで、港の裏の方に行く通路には、
トンバ文字で書かれた絵(?)がかけられていた。
港の裏にある広場には南詔国時代の有名人だろうか?
が建てられていた。
船に帰る途中で楊さんが、
あのが私の生まれたところです
と指を刺した。
レンガで造られた家が数件見ることが出来る。
自然に恵まれた良い場所だ、と思うのは、
日本で生まれた、私だけだろうか?

30分ほど島を見学して船に戻り、南詔風情島の港を出航した。
たくさんの観光船があり、少しずつ時間をずらして、
同じコースを廻っているようだ。
11時50分に洱海公園の港に帰って来た。
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