琵琶湖大橋を超えた。
同じ琵琶湖でも、
何か・・・
空気や色が変わったような気がする。
車の数も増えた。
ヨシ(葦)保存の看板や杭を、
見かけるようになった。
ヨシ(葦)とは水辺に生育するイネ科の植物で、
水中の窒素やリンを養分とすることで水質の悪化を防ぎ、
さらに茎につく微生物によって水の汚れを分解する働きがあるそうだ。
その無効に大きな風車が見える。
たぶん風力発電の為に作られたものだろう。
今日は長命寺から、
15~17キロは歩いたはずだ。
第一目標として琵琶湖大橋まで歩くつもりだったのだが、
あの風車まで歩いてみたくなった。
まだ時間に余裕もある。
天気も良いせいか、
自転車で琵琶湖を廻っている人がたくさんいる。
自転車だけでなく、バイクで回る人も多い。
そして・・・
釣りをしている人は、
それ以上にたくさん見た。
昔は「釣キチ」の称号を与えられるほどだったのだが、
脳出血をしてからは、
ほとんど魚釣りをしなくなった。
かっては尾長グレやカンパチ、石鯛を求め、
長崎五島列島を超えて男女群島まで出向くほどの釣好きだった。
釣以上に魚を食べるのが大好きで、
これに美味しいお酒があれば、至極の幸せ。
さらに美人にお酌でもして頂ければ、
いつ死んでも良いという人間だった。
でも・・・
キャッチ&リリースの釣は全く興味が無かった。
釣った魚を肴にしてお酒を呑むことしか、
考えてなかったからである。
人様のことについて、
意見を言うつもりもないのだが、
数百人の人がバスフィシングをしているところを見たのだが、
釣り上げている光景は、、、
なかった。
ごめんな。
私という疫病神が見ているから、
釣れなかったんだろう。
私が見ていなければ、
連れた人も、
たくさんいたハズ(?)である。
下らん事を考えながら歩いていると、
風車の下まで来た。
今日の琵琶湖一周はここで終わり。
琵琶湖博物館バス停から、JR草津駅まで行こうとしたが、
まだ30分もある。
障害者は無料だというので、
拝観することにした。
2階で大津宮の展示を見ていると、
多分、ボランティアの説明員だろう。
たくさんいた親子連れを無視して、
私に詳しく、大津宮が出来た時代背景
(倭国(後の日本)にとっては同盟国の百済が新羅と唐に攻められて亡んだ。
中大兄皇子(後の天智天皇)は、百済復興を強力に支援しようと、朝鮮半島へ出兵した。
663年の白村江の戦いにおいて倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に惨敗し、百済復興は失敗に終わった。
百済復興戦争の敗北は、北部九州から瀬戸内海沿岸にかけて多数の山城や連絡施設を築くとともに、
最前線の大宰府には水城という防衛施設を設置して、防備を固めた。
国外の脅威に対抗しうる政治体制を新たに構築するため、
四方を山に囲まれる大津を選んだ。
大津は琵琶湖に面しており、
陸上・湖上に東山道や北陸道の諸国へ向かう交通路が通じており、
西方へも交通の便が良いためだ・・・続く)
もっと話を聞きたかったのだが、
バスの時間もあるし、
兵庫県の尼崎から来ていて、
このバスに乗って帰らないと家族が心配するので、
また今度続きを聞かせて下さい。
とお礼を言って博物館を後にした。
地図上では22キロは歩いたはずである。
帰ってから呑むビールは、
美味しいだろうな。