cuminseed

ちょっとだけスパイシー

北京国際交流記(9)

2007-11-26 | 北京国際交流記
北京市障害者連合会のスタッフが運転する車は、
予定の6時半を過ぎて、孫さんの待つホテルに着いた。
妻と賈俊启さん夫婦は北京市の聴覚障害者との交流会に出席するため、
北京市障害者総合センターまで乗せてもらい、
私と安達さん、山中さんは孫さんの案内で、
北京の屋台を見学・食事となった。

200メートルほど道路片側の歩道に屋台が並んでいる。
海外や中国各地からの観光客目当てのようだ。
主に串に刺した肉や海産物、野菜、ゲテモノ(?)を
焼いたり揚げたりしたものや、焼ソバやスープなど、
いろんな店が並び楽しませてくれた。








ムカデ







サソリ



タツノオトシゴ








最後にヒトデを食べましたが・・・
他には無い食感と味でした。
お勧めは出来ません。
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KDIA イン みるくゆ(ベトナム薬膳料理)

2007-11-24 | NPO関西障害者国際交流協会
今日は尼崎市杭瀬の
『コミュニティレストラン 福祉作業所 みるくゆ』
にNPO関西障害者国際交流協会の
岡田ハン先生がワンデイシェフとして料理を作った。


この作業所みるくゆでは、
お店に登録したシェフが日替わりでランチを提供する
ワンデイシェフシステムを導入している。
プロ・アマにかかわらず料理好きな人が、
1日シェフとして、メニューから食材の買出し、
料理までするシステムだ。
料金も定食が20食、800円と設定されている。


今日は岡田ハン先生と、
同じくベトナムから来られたニュウさんが助手となり料理を作った。





本日の定食メニューは



①シーフードの白きくらげサラダ




②ベトナム風炊込みご飯




③とうがんスープ




④ココナッツジュースの豚煮
の4品だ。





NPO関西障害者国際交流協会では、
今回のベトナムを始め、
韓国・中国・インドなどの薬膳料理も
行って見たいものだ。

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北京国際交流記(8)

2007-11-23 | 北京国際交流記
昼食を北京市障害者総合センター近くのレストランで頂いた。
食後、3つほど隣のビル地下に衣服や日用品の市場があるというので、
馬さんに案内してもらった。
デジカメの電池が切れ掛かっていたのでちょうど良いタイミングだ。

1階には銀行やレストランがある10階建ての大きなビルで、
何度も前を通っていたのだが、地下にこのような市場があるなどとは知らなかった。
ビル横の階段を降りると、小さな店が廊下に沿って並んでいる。
ここは近所の庶民が来る市場で料金は安いが、
日本人が満足する品質のものは少ないらしい。
妻が中国の正月用の飾り、私が電池を買い紫禁城へ向かった。







天安門の前を通り、反対側工事中の神武門に着いた。
フートンの見える道路を通ったが、塀を補修しているのが目に付く。
ここも北京オリンピックのため整備されているのだろう。
門のまえには聴覚障害者の賈俊启さん夫婦が待っていてくれた。
賈俊启さんは、今は定年で勤めていないが30年間紫禁城で働いていた。
私たちを案内するために来てくれたのだ。
門の前で受付の人とやり取りしている。
どうやら、障害者手帳プラス賈俊启さんの顔で、
一人60元のところが私たち一行は無料で中に入れるらしい。







門をくぐり左側に案内された。
2年前には主に左側が工事の最中で右側にしかいけなかった。
今は主に右側の補修工事に変わっている。
赤茶色の高くて長い塀の横を歩き小さな入り口から中に入った。
最初に見学したのは、
『珍妃の井戸』だ。
浅田次郎氏の小説を読んだこともあり、ぜひ見たかった場所だ。
なぜこんな所にぽつんと井戸が?
こんな小さな穴に人間が入るの?
などと考えてしまった。

でもこれは1913年に新しく作られたもので
原寸より小さくなっているそうだ。
ちゃんと説明には書いているらしい。

観光名所と呼ぶにはふさわしく無いかもしれないが、
浅田次郎ファンや中国歴史ファンには興味を持つ場所だ。





陶磁器館や、珍宝館・絵画館・工芸館・時計館を案内してもらった。
その途中、大きく皇后を書いた絵の複製画が展示されていた。
『この絵は私が書いたものです』
と賈さんの奥さんが手話で教えてくれた。
他にも数点、展示されているという。
複製画でも芸術品として素晴らしい。
紫禁城に障害者の功績がたくさんあると思うと嬉しくなってくる。












大和門を越え、牛門にまでやってきた。
衛兵が隊列を組み行進しているのが見えた。
颯爽とした勇姿である。
写真を撮りながら見とれていると、
隊列が私たちの横を通って天安門のほうに進んだ。





さて日も暮れてきたし、
6時半には孫さんと待ち合わせをして屋台に行く予定だった。

天安門の通路に衛兵が並び出口を閉鎖した。
旗を降ろす儀式があり、
20分間は通行出来なくなるという。
のんびりと衛兵の行進を見ていたため、
待ち合わせの時間に遅れそうだ。

出口の前に人がたくさん集まりだした。
モンクを言う人。通してくれとお願いする人などが現れた。
欧米から来た男女二人の観光客が大きな声でわめき散らしている。
飛行機の時間に間に合わないので何とかしてくれと
叫んでいるようだ。

後ろ側に、監視用の車が停めてあった。
その男女が走って大きな声で叫んでいる。
邪魔くさそうに車に乗っていた兵隊がドアを開けた。
どうやら別の出口まで送るようだ。
二人は車に乗り込み反対側に走り出した。

私たちが天安門を出たときには、
街灯がつけられ、天安門にも照明が照らされていた。





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北京国際交流記(7)

2007-11-19 | 北京国際交流記
29日は展示会も終わり、北京市障害者連合会のスタッフが
観光に連れて行ってくれるという。

この日の朝、久しぶりにコーヒーを飲んだ。
北京に来てから、初めて飲むコーヒーだ。
昨日、王府井で買ったネッスルの缶コーヒーである。
懐かしいプルトップだ。
今の日本ではほとんど見ることが出来なくなったプルタブ式で、
缶から外されたプルタブがポイ捨てされるため、
環境問題や社会問題として今のタブが外れないように変わったと記憶にある。
まだ、中国ではそこまでの認識が少ないのだろうか?



北京では自動販売機やコーヒーが普及していない。
中国では紙幣が多くコインが少ない為だと思っていたら、
自動販売機荒らしや偽札・偽コインも多い為らしい。

スタッフの馬さんの運転と案内で
『恭王府』の観光となった。
乾隆帝の寵臣・和坤の私邸として1777年に建築され、
1799年に和坤が罪で自決させられ、王府は官に没収された。
嘉慶年間に慶郡王永璘が賜って慶王府となり、
1851年、咸豊帝より恭親王奕訴が賜って恭王府となる。
地位を利用して多額の賄賂を取り、
そのお金を使って皇帝の王府をまねて造ったらしい。
清代の王府としてほぼ完全な形をとどめていることでも有名だ。










古の中国らしい文化を見ることが出来た。
昼食を取ってから、
『紫禁城』観光に行く予定だ。
ここに行かなければ、
北京に来た、
値打ちが無いだろう。

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北京国際交流記(6)

2007-11-18 | 北京国際交流記
28日午後、昼食を頂いてから、午後の展示会は
北京障害者連合会のスタッフにお任せし、
私たち4人で王府井に買い物と市内見学に行った。
北京の繁華街である。
タクシーに乗り北京市内を走っていると、
トレーラーバス(?)がたくさん見ることが出来た。
まだ新しいバスばかりで、
2年前にはそれほど数多く走っていなかったように思う。
その分、自転車の数が減っているようだ。



王府井は大きな百貨店やファッションビル、飲食店などが並び、
とにかく人が多い。
北京ダックが有名な『全聚徳』でお土産用レトルトを買うなど、
特に山中さんがはしゃぎまわっている。
私は新しい大きな店は、売っている品物など、
日本と大差ないので、裏通りの小さな店を見て周った。
北京庶民の生活に触れる方が、面白いと思うのは私だけかも知れないが・・・
















夕食は、妻の友人の王素玲さん達との宴会になった。
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