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cuminseed

ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(10)

2006-08-31 | 雲南省旅行記
電動バスに乗り、入り口近くに帰ってきた。

滝の側に小さな舞台があり、
ここでタイ族やジノー族・アイニ族にラフ族の
歌や踊りが見られる。
舞台の中央にジノー族の大きな太鼓が置いてあった。
太陽を形どったもので独特のデザインである。
20分ほど、歌や踊りを披露した。
少しだけ電動バスで移動する。
入り口はもうすぐ近くだ。

大きな池があって、レストランやお土産売り場などの建物が見える。
まもなく孔雀の飛来するショーがあるという。
小高い山の中腹から池に向かって、
たくさんの孔雀が飛んでくるらしい。
「池のこの辺りが良く見えますよ」
ガイドの劉さんが案内してくれた。
池のほとりに芝生が植えられ、その周りに柵が造ってある。
柵のいちばん前でショーが始まるのを待つことにした。
20分ぐらい経ってから、1羽、2羽と孔雀が飛んできた。
どんどんと数が増え、50羽ぐらいだろうか?
池のほとりに舞い降りてきた。
ゆっくり青い空を旋回するものや
レストランの屋根に降り立つものなどもいる。
全部の孔雀が降り立ったころ、
タイ族の民族衣装を来た男性が餌を撒きだした。
孔雀をたくさん引き連れ、右や左に歩きながら、
観光客に良く見えるように餌を撒いている。
孔雀はタイ族を象徴する鳥だそうだ。

池の中に迷路のように造られたレストランを通り、
駐車場にまで帰って来た。
今日の観光予定は終了なのだが、劉さんが
「民族の歌や踊り・演劇の舞台が夜にあります。
 別料金になりますが、行かれますか?
 ひとり150元です」
もちろん行くことにした。
妻が民族芸術の類いが大好きなのである。
それを見に来たようなものだと上機嫌になった。
劉さんは、さっそく良い席に座れるように、
携帯で知り合いに、チケットを買うようお願いしてくれた。

景洪に帰り少し早い夕食を食べた。
私たち二人での夕食はあまりにも多いので
劉さんも運転手もいっしょに食べないかと言ってみた。
そんな事は出来ないと断れたが、
残しても勿体無いと強引に説得し、いっしょに食べることになった。
鶏のスープに川魚、卵の蒸したものにチャーシューに似た豚肉料理が出てきた。
この地方で取れる香辛料に漬け込み蒸したり煮たりして作るそうで、
軟らかく、美味しい。が、すごい脂だ。
劉さんの親はゴム園の地主で、ガイドを始めてからまだ1年しか経っていない。
北京や日本にも旅行に行って見たいと、ガイドの仕事を始めたそうだ。

原始森林公園の山道を登る途中で気付いたことがある。
道に紙屑が落ちていたので、私が拾おうとしたら、
先に劉さんが拾い、ずっと持ったまま歩いて途中のゴミ箱に入れたのだ。
何気ない事だが、中国人でこのような事をする人はまだ少ない。
昨日のガイドは、ゴミを車の窓から捨てていた。
食事をしている最中に、片足の無い杖を突いた老人(乞食?)が、
物乞いに来た。
劉さんは顔色ひとつ変えずそっと紙幣を渡し、
直ぐに立ち去るように手で合図した。
観光客に西双版納(中国)の嫌な所を見られたく無いそうだ。
それに自分の担当した観光客には喜んで帰ってもらいたいとも、、、
いいガイドと出会って良かった。
この日の出来事は、いつまでも覚えているだろう。
夜の舞台を見るため、車に乗り込んだ。


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雲南省旅行記(9)

2006-08-31 | 雲南省旅行記
再び電動バスに乗り、原始熱帯雨林観光道に着いた。
ここから奥は歩きとなり、距離として往復3キロほどの山道となる。
入り口に、木の棒2本の間に椅子を取り付けたものが置いてあった。
二人で肩に担ぎ、片道30元で運んでくれるそうだ。
妻は骨格の奇形の為、坂道(特に登り)が苦手である。
ちょうど良いとお願いし、私とガイドの劉さんは歩くことにした。
原始林の間を、珍しい猿や大きなヘビ、少数民族の楽器の演奏や販売、
子供向けにツタで作られたブランコなどがあった。
日本では珍しいものとして、所々に竹で編んだ歩道が続いている。
最も高い場所に小さな広場があり、たぶんラフ族だったと思うが、
焼けた炭の上を裸足で歩いたり、
勢いよく燃えた松明を口に入れたりするなどのショーをしていた。
終わってから、大きな木のお皿を持って、
観光客にお金を入れてくださいと廻りだした。
入場料も払っているし、お金を払うほどでも無いショーなので、
無視してその場を離れようとしたら、劉さんが、
「たぶんお金を入れるまで、しつこく付いてきますよ。
お金はの人みんなの生活費や、環境整備に使われます」
それならさっさとお金を払った方が得策である。
ポケットにあった10元を一番先に入れてあげたら、
凄く感謝の意を込め、なんどもお辞儀をして喜んでくれた。
彼らに取って10元は大金なのだそうである。
よく見ると、他の観光客は1元ほどしか入れて無かった。
日本との金銭感覚の違いである。
たかが150円ぐらいだろうと、安易に考えただけなのだが、
数年前までの雲南省はすごく貧しい暮らしだったそうだ。
特に少数民族は収入を得る場所や方法がなく、中国やアメリカなどから
援助をもらっている民族もあるそうである。
次の場所に行こうとした時、懐かしい会話を聞いた。
日本人観光客である。
雲南省で日本人に出会ったのはこの時だけである。
東京の方から5人のツァーで来ていて、日本語の通訳兼ガイドが同行し、
中国のバスツァーに便乗していた。
少し話でもしたかったのだが年配の方が多く、
中国の観光客は先の方に行ってしまい、送れているので
先を急がないといけないらしい。
その人達も話をしたいようだったが、ガイドに追い立てられるように、
先に歩いていった。

後は下りになるので妻も歩くことにした。
「ここからは『空中走廊』で帰る事も出来ますが?」
望天樹(ワンティエンシュー)と言う高い木に、
吊り橋を渡したものらしい。
当然だが歩くとゆれるそうで、地上から5メートルほどあり、
高所恐怖症の人は止めた方が良いらしい。

吊り橋が細く1人しか通れないし、ゆれるのも高いところも
苦手なので、ゆっくり竹で造られた歩道で帰る事にした。

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雲南省旅行記(8)

2006-08-29 | 雲南省旅行記
原始森林公園についた。
車から降りる前にガイドの劉さんが、
「日本の『障害者手帳』を出して下さい」
と言い出した。
日本の『障害者手帳』は使えるか試したことはないが、
割引が利くか聞いてくるとの事。

「半額になりましたよ」
「日本の『障害者手帳』って解かるのですか?」
「解からないけど、かまいませんって」

このあたりが中国との国民性の違い?
もしくはシステムの違いである。
日本なら海外の『障害者手帳』はまず使えない。
海外からの障害者を連れて観光に行く機会があるのだが、
海外の国の『障害者手帳』を提示してもダメだと言われるのがほとんどだ。
どうしてかと尋ねると、前例がないのでとか、規則で決まっていますとか、
ひどいのになると、日本に税金を支払っていないからと言われたこともある。

中国(雲南省)は2008年の北京オリンピックを控え、
海外や国内の観光客誘致や観光産業などに、力を入れている事もあるのだが、
中国人自体が障害者に優しいのである。
バリアフリーの設備は日本よりかなり遅れているが、
障害者に対する日常生活の接し方や態度が、
日本とは根本的に違う気がする。

昨日の『石林』の入場料も、
もしかしたら半額になったかも知れない。
海外旅行では、良いガイドに当たるかどうかで変わってくるようだ。

入り口からは、電動バスで移動しながら見てまわる。
谷を吊り橋で渡った所に、アイニ族の住居が作られている。
ここではアイニ族の風習を体験出来るイベントが開催されているそうだ。
不安定な吊り橋を渡っていると黒い衣装のアイニ族の男性が、
観光客をデジカメで撮りまくっている。
渡ってから階段を少し上がると高床式の大きな家に出た。
民族衣装を着た若い20人以上の女性が、お出迎えである。
2階に行って、家の造りや生活習慣などの展示や説明を聞き、
男性と女性が分けて椅子に座らされた。
男性はアイニ族の女性と結婚式を上げる事ができるそうだ。
まずは女性から気に入られる事が先決だそうだ。
男性が30人以上いたので私は選ばれないだろうと思っていたら、
凄く可愛い女性(何故かすべて美人ばかりである)が、
私のそばに寄って来て赤い帽子を手渡された。
結婚相手と認めてくれたようである。
腕を取り、いっしょに階段を下りた。
1階には、丸く人数分の木の小さな椅子の横に、
小さな座布団を置いたセットが用意されていた。
私はアイニ族の女性と結婚式を挙げ妻をもらったそうである。
終わり近くになって、司会が言うには、
男性は結納金を渡さないといけないそうな。
それも100元以上だと、、、
上手く考えたものである。
なぜ、美人の女性ばかり入るのかが理解できた。
私はスケベ親父に見られ、若く綺麗な女性からお願いされると、
断れないのを見過ごされただけだろう。
100元を渡し結婚の証として『ひょうたん』の飾りをもらった。
司会が最後の挨拶で、
「結納のお金は環境保護に使われます」
と言ったので、まぁ良いでしょう。
でも、せっかくアイニ民族の綺麗な女性と結婚式を挙げたのだから、
初夜までは行いたかった。
そうすれば、結納も1,000元ぐらい払ったのに・・・

イベントの最中にも、デジカメで写真を撮られていた。
一階出口に簡単なお土産売り場があり、その中にパソコンが置いていて、
撮った写真をモニターで写している。
気に入った写真があればプリンターで印刷し、20元で販売していた。
こんな田舎の山奥にまで、文明の利器を使ってお金儲けしていると思うと、
感心してしまった。

再び電動バスに乗り、原始林観光道に着いた。
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雲南省旅行記(7)

2006-08-24 | 雲南省旅行記
朝7時半に2階レストランで朝食のバイキングを頂いた。
学校が夏休みと言う事もあり、子供連れの家族もたくさん来ていて、
中華に洋食(和食はありませんでした)雲南地方の郷土食などもありました。

8時にホテルを出発。
今日は10時5分の飛行機で西双版納に移動する予定。
昆明を離陸してから40分ほどで景洪(ジンホン)空港に到着。
今まで見た事の無いような小さな空港で、今にも雨が降りそうな天気。
タラップを降りて、荷物を取り出口に向かうと
私たちの名前を書いた紙を持った若い女性が待っていた
ガイドの劉さんである。
景洪市内のホテルに荷物を預かってもらい、「原始森林公園」に向かった。
孔雀をイメージして作られた西双版納大橋をわたり、
瀾滄江(ランツァンジャン)に沿って車が走った。

赤茶色に濁った水が、悠々と流れている。
瀾滄江は国境を越え、ミャンマーに入るとメコン川と名前が変わる。
チベット高原を水源として、ミャンマー・ラオス・タイの国境を流れ、
カンボジアを下りベトナムより南シナ海へ注ぐ。
4,880キロの長さを持つ、東南アジア一の大河だ。

西双版納では温暖な気候と瀾滄江のめぐみを受け、
三毛作でお米が作られているそうだ。
しかし、劉さんが言うには、味はたいした事無いらしい。
西双版納にはタイ族が一番多く住み、漢民族、アイニ族、ヤオ族、
プーラン族、ラフ族などの民族が生活している。
劉さんがタイ族の風習について説明してくれた。
タイ族の男性は15歳になると、好きな女性の家に行って
その家の、家事や重労働を3年間一日も休まずしなければいけない。
3年経って18歳になった時、好きな女性や家人が認めると結婚ができる。
変わっているのは、結婚してから男性(夫)は、
仕事をしなくても良いのである。
3年経って、女性や家人が認めてくれないと、諦めるどころか、
ダメな男性とレッテルを貼られ、それが中に知れ渡り、
一生結婚出来ないそうである。
そして、その風習は今も続けられているそうだ。
劉さんは結婚1年目の新婚だそうで、
旦那は毎日遊んでいるのかと聞いてみた。
「知り合いの男性で仕事をしないで毎日遊んでいる人もいますが
私の夫は観光関係の会社で運転手をしています。遊んでも良いのですが、
仕事をしてもかまわないのですよ」


「雲南十八怪で、『お婆さんが猿よりも早く木に登る』って聞きましたか?
景洪を100キロほど北に行くと普洱(プーアール)という町があり、
そこから普洱茶と呼ばれるようになりました。
普通のお茶は低い木ですが普洱茶は10メートル以上になるのです。
だからお婆さんも木に登るのが早いのです」

その他にもたくさんの話をしてもらい、
1時間30分の車の旅を楽しく過ごさせて頂いた。

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雲南省旅行記(6)

2006-08-22 | 雲南省旅行記

ホテルに帰り、部屋に入ろうとすると、
今晩は満室の為、泊まることが出来ません。
お客様は今朝チェックアウトしたはずです。と言われてしまった。
ホテルの手違いか、旅行会社の手違いかは解からないが、
大問題である。

旅行会社からもらった日程表を見せると、
昨日泊まった部屋と別の部屋に案内された。
ベルボーイに案内され着いて行くと、昨日使ったエレベーターに乗らず、
裏口から一度外に出て、汚い5階建てのビルに入った。
「ちょっとおかしいぞ!」
 エレベーターで3階に行き、廊下の突き当たりの部屋に案内された。
「なんだこれは!!!」
壁や家具、ベッドにシーツまでボロボロで汚いのである。

ベルボーイに荷物を台車から降ろさないようにお願いし、
フロントに、「旅行会社との契約は4つ星のホテルだ。
部屋を替えてくれ」と電話をした。
旅行会社にも電話をし、
「どのような手違いか解からないが
 契約通りにしてくれ」とお願いした。

するとフロントからすぐに電話が入り、
「部屋を替えるから、
 もう一度フロントに来てください」

次に案内された部屋は、昨日泊まった部屋よりは狭いが、
とりあえず納得出来る部屋である。
ホテルのお客様に対する対応など
(私は若い頃、ホテルのフロントでした)、
まだまだ文句を言いたいことがたくさんあるのだが、
これ以上トラブルを起こさない為にも、我慢しておとなしく
ベルボーイに荷物を部屋の中に入れてもらった。

李さんから、
「夕食に出かけるから用意をして
 ロビーに来てください」と電話が来た。
私たちのトラブルを助けもせず、見ているだけだったようだ。
お昼ご飯のように、汚いレストランに連れて行かれても困る。
それに明日の朝には、西双版納(シーサンパンナ)に行くので、
市内観光は今晩しか出来ないので、旅行会社からの夕食を断り、
二人でゆっくり外で食べることにした。

李さんが、手続きが必要なのでロビーで待っていますとの事。
妻がなにやら用紙に記入していた。
ガイドの態度や説明などを採点して、
提出してもらわないと困るそうだ。
「ぜんぶ、“優”と書いてあげた。もう明日は別のガイドだし
 もう会う事は無いから・・・優と書いたら、喜んで帰ったよ」
優と書こうが劣と書こうが私にはもう、関係ないことである。

市内観光をしようとしたが、どこで何があるのかも解らない。
先ほどのベルボーイがドアの横に立っていたので、
妻が有名な観光地で食事が出来る所があるか訊ねた。
金碧(ジンビー)広場に行けば良いと教えられた。
タクシーでも10元(約150円)ほどあれば行けるそうだ。
ホテルの外に出てタクシーを拾い、行き先まで伝えてくれた。
フロントやガイドはあまり気に入らなかったが、
ベルボーイは優しく親切で良く気が付き、スタイルや顔立ちも
なかなかの美男子だ。

金碧(ジンビー)広場につくと、立派で色鮮やかな門が二つ目に付いた。
金馬碧鶏坊(ジンマービージーファン)と言って
400年ほど前の明代に造られたらしい。
現在のものは1999年に再建されたもので、
明代に造られたものは文化大革命の時代に破壊されたらしい。

広場の南側には、昔風の造りで建てられたお土産屋が並び、
北側には、広い道路を渡ると近代風のビルが立ち並ぶという、
趣のある町だった。

北側の店がたくさん並んでいる通りを散策。
雲南省は中国標準時間北京より、かなり西に位置する為、
8時になって少し太陽が傾くほどで、暗くならない。
若い女性のファッションなど日本と変わらないし、
中国の若い女性のスタイルは、日本以上である。
日本より油っこい料理しか食べないのに、不思議である。
1時間ほど散策をしてから、妻が
『楊貴妃雑炊』
と言う看板を見つけた。
店の造りもオシャレで、3階席にはテラスで食べられるようになっており、
すぐ横には、時計台がそびえ立っている。
今日の夕方からのトラブルを忘れる為、
昆明の地ビールを注文し、魚にカニ、山菜やキノコ料理を食した。
昨日のホテルより美味しいし雰囲気も良い。
日が暮れると心地よい風が吹きビールがなおさら美味しくなる。
『楊貴妃雑炊』とはカニやいろんな具材を牛乳で煮込んだ雑炊だった。
なかなか美味である。

食事が終わりお腹もいっぱいになったので、表通りから外れ、
静かな裏通りをゆっくり歩き出した。
何処からか、生の音楽が聞こえてきた。
公園の北側に小さな広場があり、細長く、
廊下の骨組みに椅子を置いたような場所があり、
ギターにベース、キーボードをはじめ、
胡弓など民族楽器まで持った人が演奏し、歌っていた
中国の懐かしい歌を中心に歌われているそうだ。
中国では夜、食事が終わってから広場に集まり、
歌を歌ったり踊ったり、あるときは映画を上映したりするのが、
よくある普通の光景だと妻が教えてくれた。

広場の端の方に、カウンターと広場に無造作に置かれた
テーブルと椅子だけの喫茶店を見つけた。
「アイスコーヒー」を注文したがホットしかないと断られた。
「ブラックのホットコーヒーに、
 氷のたくさん入れたのをお願いします」と頼んだら、
私的には美味しい、アイスコーヒーが出てきた。

中国の懐メロを生で聞きながら、
雲南省で栽培されたコーヒーを嗜む。
地ビールのほろ酔いも心地よく、至福の夜でした。

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