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たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

入院4日目以降9

2012年11月14日 | 日記

この病棟は火曜日が頭頸部外科の教授回診の日で、今回で2回目の診察。看護師が病室へ対象者を呼びに来られる。廊下の椅子に並んで待った。
前日入院された同室の新患さんも横に座った。余計なお節介かもと思ったが、スタッフステーションのカウンターにたくさん置いてあった、新聞の切り抜きのコピーを持ってきて、「読んでみてください」と手渡した。「声を失った小学校長の卒業証書授与」の記事で、喉頭がんで声を失った校長が、術後のリハビリで食道発声により卒業生一人一人に自ら卒業証書を読み上げて渡した感動的写真入報道であった。

付き添っていた看護師は「ここで手術なさった方です」と、説明された。もう1枚は同じ高山市で無声になった患者が東京まで発声教室に通い、最近は岐阜市や地元で同じ仲間と発声教室の活動をしている記事だった。
私に食道がんを手術すると言われたので、この新患さんもひょっとして無声になられる運命かもと、気を回したのである。

今日の回診教授は私が入院する前の主治医、臨床教授ではなく、次席の准教授だった。「どうですか」と聞かれ「絶好調です」と答えた。「声も障りなく、傷の治りも良いようです、傷が治ればすぐ退院です」と、創を診察された。

嗄声(させい)にならず、かえって今までより艶のある声になったようでうれしい。反回神経に腫瘍が巻きついているような場合は、手術が厄介なようだし、本によると、たかが甲状腺摘出でも、女性だと首の傷跡が目立たないように切る、声を出す神経や重要な血管、気管、食道に障害を引き起こしては何にもならない。がんさえ治ればよい、というわけにはいかないとある。わたしはどこまでも幸運の神がついて回っている。

新患さんの奥様と息子さんが入院された夕方お見舞に来られた。ご家族の様子やご本人の様子から50代終わりか60代初めの年齢と思われた。家族との面談は面会室へ行かれた。
もし無声になられるようなら、残り少ない家族との肉声の会話になるだろうと予想した。

本によると、食道がんの手術は大変な手術らしい。食道を取る胸の手術だけで2時間半~3時間、9時から始めてもうお昼、その後腹部と首の手術、胃を取っている間に、別のチームが首のリンパ節をはがす。全部を取るのに5~6時間かかるとされている。

この新患さんは、明日がその手術だ。私は明日が退院予定の日だ。
その日の朝、8時半にはご家族が病棟へ入られた。私が抜糸して退院許可される前に、もう9時頃手術室へベッド毎運ばれた。
「私は今日退院です。私も多くの手術をしました。その夜はエライですから頑張ってください」と最後の別れをした。

食道がんは声帯にいく反回神経はできるだけ取らない。これを傷つけると、食事のときむせるし、声がかすれてしまう(嗄声)からとあります。
たばこや、熱い飲み物、熱燗のお酒を好むのは喉頭がんや、食道がんによくないらしい。
無声の恐れのあるこのがんにはなりたくない。

もう24年前になるが義弟の連れ添いが35歳くらいだったか、口腔がんになり入退院を繰り返し、最後は顔半分を失くすくらい手術を重ね、最後は脳に転移し眠り続けて42歳で亡くなった。その病院が移転新築する前の旧岐大病院だった。初めて手術を迎える前の日、私の近くの桜の名所で家族の花見をやった。その写真に彼女の笑顔が写っている。「顔を失くしてまで生きたくない」と、そのとき嘆いた。

危篤で病院に行ったときは、もう霊安室に移されていた。病理解剖したいと求められ、義弟は「少しなら」と応じた。彼女の父は「長くお世話になったので協力せよ」と言った。
‘89年インドネシアの短期留学生がわが家でひと夏を過ごし、彼を連れ彼女を見舞った。脳が侵され昏昏と眠って意識はなかった。インドネシア高校生の叔父が医師で岐大留学の経験があるといった。昔を思い出したが、彼女すなわち弟の妻も、その父も、わが妻も、その父も逝った。


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