たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

仏教講座

2012年01月22日 | お寺参り

出あえてよかった ようこそ ようこそ (愛知県犬山寂光院)

今年は当地方、東海地方は雪は年末に少し降っただけ、大事な書き入れ時のゴルフ場は儲け損なったようだが、日暮には有難い。ただ寒気が厳しい。昨日は少しためらったが仏教講座の日なので行って来た。

講師は現在名古屋の真宗系・同朋大学の学長先生だった。この方はお寺の住職でもあられる64歳の講師だった。経歴は人生の3が1を勉学で過ごされたようなお方だ。

テーマは「世のいのりにこころをいれ--生きることと死ぬこと」。そして先生からのメッセージは
・ガンジス河の川辺に佇んで、露天で焼かれる遺体を見つめながら、生まれ老い病み死んでいく自分を考えた。⇒
(内容)何でも20回ほどインドに魅せられて行っている、12~3回は個人旅行の由、そこには、”生と死がむき出しのまま転がっているから”、ということのようだ。ガンジス河・ベナレス・24時間営業で焼く。貧富の差やカーストはこの場でもあり、貧乏人の遺体はハラワタが少し黒こげの塊に残っていても、棒の先で突いてガンジスへポイらしい。その下流では沐浴している。

・しかし、その生老病死は決して個人的にあるのだけではない。世界的な意味を持っている。自己を問うことと世界を問うことが重なっている⇒
・東日本大震災、更には原発事故における生と死を通して、改めて、人が人として生きるとはどういうことか考えてみる⇒

(内容)福島の原発事故のいろいろを話された。30km圏内のある93歳の老女が”お墓の中へ避難します”という遺書を残して自死、ある略農家の方の自死など、原発が残した人類への警鐘と、仏法の関わり方、社会に関わる仏教といったことを話された。

(感想)死者1万6千、行方不明2千、今回の震災では仏教は本当に被災者に宗教として機能したのだろうか。
被災者のモラルの高さを世界が賞賛した。日本人の精神文化の根底に伝教大師最澄様の教えが1400年後の今も、脈々と生きていたことは頼もしかったし、東北人は立派だ。

このお寺の講座は大学教授・名誉教授等の赫々たる講師が多い。人によりレジュメを配って筋に従ってキチンと話される先生(筑波大名誉教授今井雅晴先生)とか、明晰で哲学、宗教が確りして、板書も適切、達筆などいろいろ居られる。聴衆は耳が肥えた人が多く、同業の坊様も聴衆に混じる。なので講師もよく準備して話されれないと大変だろう。

他宗派の坊さんも居て、挑発的質問で、講師が机を叩いて応酬される場面とか、それは反論では無い。貴方の自説に過ぎない、反論出来たらたいしたものだなどと、目を見張る問答もある。

 

 

 

 


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