新聞投書に若い娘さんが、「車の高齢者マークに少し疑問」と投稿されていた。” 祖母の運転する車が当て逃げされミラーが二つに折れた。祖母は車のナンバーをを覚え警察に相談すると「高齢者マークと気付いて『老人ならいいか』と逃げる人もいる」と言われたそうだ。
この祖母の友人は、マークを貼るとわざと車間を詰められたり無理に追い越しされたりするため、かえって危険だから貼らないという。
高齢者マークは、自分が高齢者であることを周りの人に知らせて事故を防ぐお守りのはず。少し疑問を感じた。” という主旨だった。まったく同感です。
私は70歳になってすぐ貼って12年になるが、昨今の高齢者マークは投書された娘さんの言われるとおりだ。日本人の運転マナーの悪質さは際立ってきている。
昨日6月1日を期し前後に貼っていた、高齢者マークを取り外した。色落ちしたので何度目か買換えしたのに嘆かわしいことだ。(1個699円)
昨日暇つぶしにいつもの遠いゴルフ練習場へ、愛知県の江南、扶桑、犬山市を通って遊びに行ってきたが、普通に走ってマークのない方が安心して走れた。
日本の社会がどうしてこうも劣化したか、昨日は扶桑町の喫茶店で読売新聞の「森友学園問題の不起訴」の記事を読んだ。起訴して有罪にできるだけの明確な証拠がないという法論理で不起訴になっただけで、安倍夫妻が関わりのあった8億円もの国有地値引き、財務省の決裁文書の改ざんが許されるはずがない。あのバカ夫婦のお蔭で日本人の道徳や倫理観、交通マナーにまで影響している。嘆かわしいことだ。
高齢者マーク(高齢運転者標識)は努力義務に過ぎないのか、実は私も自信がありません。
Wikipedia の記事では、
” 道路交通法第71条の5第2項に、「七十五歳以上のものが高齢運転者標識を付けないで普通自動車を運転すること」を禁じる規定があるが、この規定は、道路交通法附則第22条により、当分の間、適用しないこととされているので、現在、高齢運転者標識の表示義務及び違反者に対する罰則はない。” とあります。
ネット情報には義務だという情報が多くありますが、私は努力義務だと思っています。今までに4回自動車学校で高齢者講習を受けましたが、支給される教本でも「70歳以上は・・務めましょう」という表現です。講習会場へ来る車で標識をつけている車は私くらいでした。
2週間後に5回目の講習に行きますので確認してきます。
新幹線でせっかく親切に席を譲ってあげたのに「ありがとう」も言わなかった人は礼儀知らずです。あなたが狭量ではありません。
私は喫茶店で清算した後でも「ごちそうさま」と一言加えるよう心掛けています。
高齢者マークがかえって危険だとは・・。老人だからと過度の親切も必要ありませんが、普通に気を使って煽らない、詰め過ぎないという配慮をするためのマークですものね。
でもこのマークをつけるのは義務ではないのでしょうか?
最近は何にイラついているのか、ギスギスしてますね。
とんでもない事件が多すぎる気がします。
横浜に向かう新幹線で隣に座った男性が前の席の女性とご夫婦らしかったので(満席でしたから並んで席が取れなかったのでしょう)、「席変わりましょうか?」と声をかけました。
「おい、替わってくれるって」と男性。
女性は荷物を抱えて立ち、わたくしと入れ替わりました。
大したことではないのでお礼の言葉を期待していたわけではありませんが、せめてその時ニッコリしてくれると気分がよいのにと感じました。
これは席を譲ったこちらのおごりの感情なのでしょうね。
自分の狭量を恥じました。