たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

海外旅行の思い出

2012年08月28日 | 旅行

今朝の新聞には米女子ゴルフツアーの一つ、カナダ女子オープンで15歳4ヶ月のアマチュアの、リデリィア・コー(ニュージランド)が優勝と、快記録を報道した。
もちろん史上最年少優勝記録だそうだ。彼女は韓国で生まれ6歳のときにニュージーランドへ移住したとある。

韓国からの移住でアメリカ国籍のプロゴルファーは珍しくない。
何かで読んだことがあるが、アメリカはベトナム戦争で韓国が参戦したことにより、韓国人の移住を好意的に扱うらしい。

私は59歳の6月3日に亡妻と家内の母、妹の4人でハワイ旅行した。女達は2回目だったが私は退職直後でハワイは初めてだった。今日は「ゴクロウさんの日」だと飛行機に乗ってから家内が云った。なるほど、長年の苦労の慰労旅行かと納得したがもちろん偶然そういう日だったのだ。
飛行機はノースウエスト航空で、機内サービスのアジア系女性に「アー・ユー・チャイニーズ?」と聞くと「ノー・アイム・コリアン・アメリカン」と返事が返ってきた。家内が韓国系二世のアメリカ人だと解説した。缶ビールを2本貰おうとしたら1本にしてくれといわれた。二世という日本語は英語化されていることも知った。

この客席乗務員も移住組の二世だろうと想像した。ハワイに着いて乗務員が客を見送ってくれたので、彼女に「カムサハムニダ」とお礼を言ったら、ペラペラと何か韓国語の返事が返された。家内は何を言ったのかと聞くので「韓国語でありがとうといったのだ」と教えた。
この旅行の前年、私だけ招待旅行で済州島(チェジュ)へ2泊3日で行くことができた。

大して多くもない退職金の利殖のため、兄貴が勤める某金融機関の生命保険を5年満期・一時払いで掛けたことによる招待だった。自分の掛け金だけでは足らず在所の保険も合わせて招待基準に達し、兄が私に権利を譲ってくれた訳だ。
そのとき「アンニョンハムシニカ」(おはようございます)と韓国語を覚えた。
済州島(チェジュ)の旅行は私には始めての海外旅行で楽しく過ごし、3日間のガイドは本国から派遣された、小学生の息子さんが一人いる金さんという中年の女性で、名門の韓国外国語大学を出た秀才だった。
日本語はバリバリで英語もできるというトライギンガルだった。「新潟なんかへ留学して日本語を覚えた人は、なまりがあるが私は学問として学んだ日本語で正当な日本語だ」と言った。
妙に私とは気が会い、同行者がうらやむ親しさになったが、バスでガイド中「韓国人は他国へ侵略したことがない民族だ」と言った。婉曲に大戦中の日本支配を非難して言っているように聞こえた。
帰国後先輩とゴルフ中そんな話をしたら「元寇の役」など日本へも侵略していると反論されたが・・。

また、平成17年11月にはタイ・チェンマイへ10日間のゴルフ旅行をした。プライベート旅行で、連れて行ってくれた人はホームコースの会員で、フリーで行った時、ときどき一緒に組んでくれる在日コリアンだった。
金融業と自称していたし事実であるが遊び人という風情で、墨は入れていないが人によると付き合ってはいけない職業の人という人もいた。周囲の知人何人もの人が一緒に行くし、今度行くがどうかと誘われ連れて行ってもらった。費用は、自分持ちはおみやげ代と現地での小遣いだけ、全部で20万という格安旅行だった。
現地空港には彼の愛人で、美人の日本語もバリバリの小学生の女児一人がいる離婚家庭のタイ人の女性が出迎えてくれた。
9日間ひたすらゴルフだけやった。夜の外食で一夜在タイのコリアン・ジャパニーズの男性と3人でシュウマイ屋へ行ったりした。

コリアンも普通に信頼して付き合えばどうってこともない、日本人より親切で優しいところもある。この方にはいろいろ親切にしてもらった。この人の子息は隣の市、愛知県の公立病院で立派な国立医大を出て外科医をしている。
帰国してゴルフ場の従業員は、この種の職業の人と対等に付き合う人だと私を見たり、会員の一部の人は狭い了見で非難する人もいる。
この方はその後ゴルフ場が経営者の交代があったりして、とんと来なくなってしまった。

竹島・尖閣諸島の領土問題が熱い。政治と経済や文化は区別してお互い冷静になるべきだろう。


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