たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

さよならだけが人生だ

2016年08月24日 | 日記

昨晩は町内のゴルフ仲間のお年寄り達とのお食事会だった。13名在籍であるが地域の活動に無精で家の若い衆に任せているので、お顔とお名前が一致しない人も数人いらっしゃる。昔、家の近くの人とあることで衝突して地域から身を引いていたせいでもある。昨晩は歩いて数分の商店街にある寿司屋を貸切で会は開かれた。
この会にはそんな事情で退会していたが、昨年から誘って頂き、気の合わぬ隣人が退会しておられるようで再入会した。
さして大きな店ではないので、座敷に座り切れずカウンターに4人が座り、座敷から一番遠い端っこに座った。

30年以上も昔に会を発足させ、会員を誘い育てて来られた会長が、春に不幸が重なったため元気づけする懇親会も兼ねていた。家内の不幸の際は弔意をいただいていたし、ご仏前を合わせ持っていった。「みんさんのお蔭で何とか日常を取り戻し元気になった」と挨拶された。

先日ブログに週刊新潮の名弔辞特集を読み、タイトル「さよならだけが人生だ」とコピーしたら博学の読者から、井伏鱒二の名訳による「勧酒」という詩で
「花に嵐のたとえもあるさ
 さよならだけが人生だ」 と教えていただいた。
ネット検索すると、たくさんヒットした。井伏鱒二の終わりの二句だけを知ってはいたが、前半の二句を知らないと意味が分からない句だった。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ

『勧酒』 于 武陵
勘 君 金 屈 巵   君に勘(すす)む金屈巵(きんくっし)
満 酌 不 須 辞   満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いず
花 發 多 風 雨   花發(ひら)いて風雨多し
人 生 足 別 離   人生別離足(たる)

この詩は井伏鱒二氏の訳詩集『厄除け詩集』に掲載されています。この詩の基になったのは中国は唐の時代、詩人である于 武陵(う ぶりょう810-)によって作られた五言絶句です。と、あるカウンセラー氏の解説にありました。中国語の解はまた別にありました

昨夜の食事会の主賓格は短期間でご不幸が重なり、まさに「満酌不須辞」(なみなみと注がせておくれ)の雰囲気だった。