満中陰に合わせて庭に石楠花(しゃくなげ)が咲いた
今日は亡母の49日忌満中陰の日である。中陰の仏教的意味については前に記した。死後の世界はどうか。
仏教の基本は人間は死に変わり、生まれ変わりして、やがて仏になるという教えである。これを輪廻転生という。(歎異抄入門 梅原 猛 著 PHP文庫)
経典相互の矛盾や異説がある、仏教発生や伝播の過程における土着信仰との混淆もあるといわれる。
死後の国への出発
・死出の山へ登る(冥土の旅の出発点)星の光を頼りに7日間にわたり、険しいを八百里を行く。
・そのために湯灌の際に旅支度する。
旅支度は編み笠、草鞋、白い旅装束、首から頭陀袋(中には米または握り飯、一文銭が6枚(六道銭:りくどうせん)、三途の川の渡し賃、川幅をある宗教家は位牌の幅と言われた。位牌の裏側が俗名、表側が戒名、法名。
現世のこちら側を此岸(しがん)、あちら側を彼岸(ひがん)という。浄土真宗は浄土へ旅立つという考えをしないので旅支度をしない。平服のまま。
・こういう仏教的意味があるが、最近の葬儀社や納棺師はごちゃまぜである。
・六道とは、死後に輪廻転生する六つの世界をいう。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道(争いばかりの世界)、人道(天界に最も近い、この一部にわれわれ人間が住んでいる)、天道の六つをいう。
・人間は六道輪廻を転生しつづける存在、六道のどこに生まれるかは、その生き物が、生きている間に行った「因果報応」によるといわれる。(善因善果、悪因悪果、自因自果)
・行く先決定の裁判官に10人の王がいる。5番目の王が閻魔王でこの王は善因のひとにはやさしく、悪因のひとには厳しく恐い。地獄道に生まれ変わった人たちの運命も握る死の世界の王である。(仏教は中国に伝わり閻魔は中国の裁判官の格好で書かれている)
・中陰とは、中有(ちゅうう)ともいい、死出の山を出発以来、閻魔さまを含めて10人の王の裁きを受けて、輪廻転生の行く先が決定されるまでの期間を中陰といい49日間ある。
・人間は死後直ちにつぎの六道世界に生まれ変わるのではなく、中陰という過渡的な状態におかれる。中有をさ迷うといわれる。
・なぜ7日ごとに法要をやるのか、この間に7つの関門を通過しなければならないので、関門の無事通過と死者を激励するため。
生まれ変わる日は7日目毎にやってくる。早い人で初七日、最も遅い人で49日目に生まれ変わるといわれる。
・49日忌供養は中陰供養ともいい、中陰にあって死後の行く先が決定していない使者のため香を手向けて慰め励ますことである。
・新たな生を得ること、行く先が決定することを生有(しょうう)という。
・満中陰とは、49日目、忌明け、喪に服していた遺族が普段の生活に戻ること、墓に納骨する。白木の位牌を塗り位牌に変える。浄土真宗は塗り位牌は避ける。遺影を仏壇に飾らない。
・満中陰法要は同級生なども招いて盛大に行うこととされている。
・仏教では霊(先祖霊、水子霊、背後霊など)を認めていないし、崇(たたり)などあり得ない。
・中陰の間は、遺族は遊興・歌舞音曲を避け静かに喪に服さねばならない。ゴルフなど論外。