クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

日本人の強さと弱さ(1)

2012年07月03日 | coolJapan関連本のレビュー
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

齋藤孝の書いたものは好きで、かなり読んでいる。最近は仕事の関係もあって彼のコミュニケーション論を集中的に読んでいた。『コミュニケーション力 (岩波新書)』や『偏愛マップ―キラいな人がいなくなる コミュニケーション・メソッド』などである。他の著者の類書に比べ、はるかに実践的に有効な創意工夫に満ちており、仕事の面でも大いに参考になった。

今回とりあげるこの本は、日本人論として、このブログのテーマにとって参考になればと思って読んでみた。この本の主旨には大いに賛同する。しかし私の思考は、この本を足がかりに本の主旨とは別の方向に深まった。その点も含めて書いてみたい。

まず齋藤は、戦前に比べ日本人の心は格段に弱くなったと主張する。たとえば自殺者は、もう13年連続で3万人を超えている。その背景の一つには、心の肥大化があるのではないか。この本の副題は精神バランス論である。心の肥大化とは、心と精神と身体(習慣)のバランスが崩れて、心の働きが相対的に大きくなり過ぎたことをさす。

心と精神はまったく別物だと齋藤はいう。心は個人的だが、精神は、共同体や集団によって共有される。民族の精神のような大きなものもあれば、会社や学校の精神もあり、多かれ少なかれその精神は、所属する個人に内面化される。人間は、心と精神と身体(習慣)の三つにより成り立ち、それらがバランスよく伸びることで真っ直ぐに成長できるという。

ところが昨今は、心の問題がバランスを欠いて大きくなり、思い悩んだり仕事が手に付かなくなったり、体調を崩してしまうことも多い。逆にいえば、それだけ日本人は、精神と身体が弱っているのだ。精神や身体もしっかり機能していれば、心だけが異様に大きくなって余計なことで思い悩むことは少なくなる。共同体に共有される精神や、身体に身に付いた習慣にまかせておける部分が大きいからだ。つまり心の土台がしっかりするからだ。

日本人の心が肥大化したのは、敗戦を境にして、かつての精神や身体の継承が途絶えたからだとよくいわれる。「日本的なるもの」の多くが捨て去られ、以前は共同体によって共有されていた諸々の精神は失われ、個人的な心が肥大化した。頼るべき精神がなく、悩みやストレスばかりが大きくなるところに日本人の心の危機がある。

残された道は、精神と身体の復活しかない。日本古来の伝統を学びなおしたり、地域や会社という所属共同体を見つめなおしてみることが大切だ。これが本書での齋藤の主張であり、本の後半ではそのためのノウハウがいろいろ紹介されている。ただこの本は、コミュニケーション論など他の齋藤の著作に比べると、具体的な方法の部分が少し魅力に乏しい感じがする。他の本では、これはと思えるような画期的なノウハウがいくつも紹介されているが、この本にはそれが少ないのだ。

しかし、この本は私にとって別の面で大いに刺激となった。その点に触れつつ次回もう少し突っ込んで本の内容を紹介したい。

コメント (2)   この記事についてブログを書く
« 自覚すべき日本の良さ | トップ | 日本人の強さと弱さ(2) »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (名無し)
2012-07-04 07:21:02
確かに私の回りを見ると、不規則な生活をしている人がうつ病になりやすいです。
精神というのは…自分の所属する集団への帰属意識が強いほど心の病気になりにくいってことですかねえ。宗教の効用の一つですね。しかし、一方で他者の決定への盲信が集団の暴走を引き起こすことがあるので一長一短です。
愛社精神とか大和民族の精神とか、精神って言葉に対するネガティブな印象が現代日本社会にはあると思います。
アンバランス (cooljapan)
2012-07-05 15:05:57
時代や社会の様々な「精神」がしっかりと存在していると、心は少なくともその土台の上で考えればいいから、無駄に空回りする必要がなくなるのでしょうね。これもバランスの問題で、「精神」ばかりが強大化するのも危険です。しかし今の日本は、土台とすべき確たる「精神」が見つけにくいというアンバランスが生じているのも確かだと思います。精神という言葉自体にネガティブになっているのは、そのアンバランスと同じ根っこから来ていると思います。

coolJapan関連本のレビュー」カテゴリの最新記事