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日本文化のユニークさ06:日本人の価値観・生命観

2010年05月29日 | 遊牧・牧畜と無縁な日本
◆『日本人の価値観―「生命本位」の再発見』(立花均)02

前回の記事(05)について、ミラーブログの方に、「日本」と「日本以外の世界」という分け方は少し乱暴なのではないか、というコメントをいただいた。ところが、この本の主張のいちばん重要な部分が、「日本」と「非日本」とを対比し、日本人の生命観のユニークさを際立たせせることなのである。図式としては次のようになる。

非日本人  絶対的な価値をもつものの本体(神)≒人間 →→(隔絶)→→ 動物・物
日本人   絶対的な価値をもつものの本体 →→(隔絶)→→ 生命(人間・動物)∥物

日本人は、「絶対的な価値をもつものの本体」(形而上学的な原理)を打ち立てて、それとの関係で人間の価値を理解するような思考が苦手である。そうした思考法とは無縁に、人間も他の生き物や物と同じように、はかない存在ととらえる傾向がある。それに対して大陸の諸民族は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教教徒はもちろん、ブラフマン=アートマンの世界観を抱くインド人も、儒教中心の中国人も、多かれ少なかれ形而上学的な原理によって人間を価値付ける傾向があるという。儒教も、人間は自然界の頂点に立つ特別の選ばれた存在であるとみなすという。

著者は、日本人の価値観・生命観が、欧米とはもちろん、インドや中国など他のアジアの国々とも大きく隔たるユニークさをもつに到った理由を、明確に述べているわけではない。
しかし、もし日本人が、「日本以外の世界」と対比されるユニークさを持っていると言えるとすれば、この「日本文化のユニークさ」という連載を始めた最初に掲げた三つの理由に集約できるのではないか。つまり次の三つである。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

(1)についてはすでに論じたが、今回のテーマとの関連で言えば、土器を使いながら本格的な農耕・牧畜を伴わない豊かな新石器文化が長く続いたため、流入した大宗教(仏教)や儒教も、その基層文化を抹殺することなく、共存・融合した。大陸の多くの地域と違い、自然崇拝的、アニミズム的心性が色濃く残った。だから形而上学的な原理によって人間を価値付けようとする傾向も、本格的には取り入れられなかった。

(2)に関しては、すでに『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見)』などを参照しながら論じた。この牧畜・遊牧を本格的には導入しない農耕文化というのも、かなりユニークである。私は、これもまた日本人のアニミズム的心性を色濃く残したもう一つの大きな理由だと思う。

肉食が、直接的に、人間と他の生命を分離する価値観を生み出すのではないことはすでに触れた。しかし『日本人の価値観』の著者は、『肉食の思想』をそのように誤読している。実際は、「肉食」というよりも牧畜・遊牧という「生活形態」こそが、そのような価値観を生み出すのである。つまり多量の家畜をつねに育て、管理し、その交尾を日常的に目撃し、育てた家畜を解体して食べる、それが生活の重要な一部であればこそ、人間と家畜との徹底的な違いを強調せざるを得なかったのである。

(3)についはまだ論じていない。これについては、グレゴリー・クラーク 『ユニークな日本人 (講談社現代新書 560)』という本を取り上げなら論じたい。この著者も、また別の理由から「日本」と「日本以外の世界」の違いを強調する。
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