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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

ATOKに感動

2009-11-02 14:47:45 | その他レビュー
MS-IMEのできの悪さ、特に最近のIMEのバカさかげんには、ほとほと呆れている。たぶんIMEの売りでもあろう学習機能の頭の悪さは特筆もので、変な風に変な風にと学習していく。近頃、「西日本」(にしにほん)という文字が変換できなくなった。仕方なく「西」と「日本」を別々に変換して何とか使っていたが、今度は「西」が変換できなくなった。「に子」とか「煮史」などと変換されるのだ。「西」は候補にもあがってこない。さすがに「東西」と変換して「西」を取りだすのもバカらしくなって(実際には怒りが爆発して)昔懐かしいジャストシステムのATOKを買いに走った。

インストールを終えてATOKを立ち上げると、その立ち振舞いの鮮やかさに感動の涙が出そうになった。これこれ、これですよ。まるでこちらの意図をくみ取っているかのような変換効率のよさ。その昔、まだWindowsも無かった頃、MS-DOSのフロッピーバージョンの「一太郎」を使って、まさにこの感覚で文字入力をしていたことを懐かしく思い出した。当時はワープロ本体にATOKを含めてフロッピーディスク一枚(1.44Mbyte)に収まっていたのだから、今思えばものすごい。

実は、ワープロも計算表も、そもそもOSもこの20年、実用レベルではそれほど進歩していないのだ。そんな風にも思えてくるようなATOKの素晴しさだった。
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人生に無駄はあるか?

2009-11-02 00:29:53 | 思索
「無駄」を国語辞典で引けば

「しただけの効果や効用のないこと。役に立たないこと。また、そのさま。無益。」(大辞林)

とあります。本来「効果や効用」「役に立つ」「無益」という言葉は必ず目的語を伴います。英文法で言えば”自動詞”ではなく”他動詞”ということですね。つまり「何に対してか?」ということです。独立して「効果がある」とか「役に立つ」というのはナンセンスですね。ワクチンは「ウィルスに対して」効果があるわけで、メリケン粉を溶かして飲んでも「ウィルスに対して」無駄ということです。

ということは、「人生に無駄はあるか?」という問いは「人生に目的はあるか?」という問いに等しいといえます。目的があるから無駄もあるわけですからね。

さて、そもそも「人生」に「目的」はあるのでしょうか?「こんな風に生きたい」とか「こんな仕事がしたい」というのは人生の中での一つの目的になり得ます。しかしそれは「人生そのもの」の目的ではありませんね。人生そのものの目的を探してみても、まず見つかりません。何故なら、人生に目的などないからです。
(テイルズ・オブジ・アビスはこのことを雄弁に語っている秀作です。)

ということは、「人生に無駄はあるか?」という問いに対して、「無駄はない」という回答が得られます。先にあげた、こんな風に生きたいとか、こんな仕事がしたいという目的に対して、もし無駄なことをしていても、それがその人の人生において無駄であるとはいえません。多かれ少なかれ、必ずこの先の人生に関連しているのです。

人生に目的など無い。つまり
人生に無駄など無い。
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