孫たちとの触れ合いの記録を整理している。
何年分もだ。いずれ手作りで一冊にしたいと思っている。二冊になるかも。
さっき触っていた記録に「こんなことがあったのか」と思った。
6年前の話。
忘れていたのだ。記録は大切です。
「ネズミ」 2019年07月26日。
《昨夜からお泊りのsatoが、店の本棚に置いてあった本を読んでいる。
平成23年発行の詩集『喫茶 輪』だ。そしてこんなことを言う。
「お店にネズミおったん?」と。
なにかと思ったら、本の中の「ネズミ」という詩を読んだのだ。
「ネズミ」
テーブルの隅に
箸袋で作られた小さな折り紙が残されている
眼は淋し気だが
尻尾を高く掲げて
チューと鳴いた。
自分の詩を解説するのはなるべく避けているのだが、これはsatoに解説してやる。
「詩はね、読んですぐに分からなくてもいいねん。そしてね、読んだ人みんなが分からなくてもいいねん。中に一人でも胸の奥に届けば、それでその詩を書いた意味があるねん。
お客さんの中にはいろんな人があってね、悲しいことを胸に抱えている人もある。辛い思いをしている人もある。そんな人への励ましになればね」
sato、5年生。どうやら解ってくれた様子。
因みに、この『喫茶 輪』は生前の杉山平一先生が《店の日々の感想がすこぶる面白く、貴兄の素直な観察が生き生きとしています。詩作品以上のおもしろさがあります。》
とお便りを下さったのでした。
そうなんです。詩集ではないのです。たしかに詩はたくさん入れてますが、それ以外のものも入ってますので。
とうわけで、わたしはこの本に「詩集」という言葉は使っていないのです。
神戸新聞には鈴木漠さんが詩集としての評を書いて下さったんですけどね。》