喫茶 輪

コーヒーカップの耳

追悼 赤司久明先生

2024-03-16 09:29:43 | 将棋
昨夕訃報を聞いたのだが、2月29日にお亡くなりになっていたのだと。
赤司久明先生。
わたしが最後に先生にお会いしたのは昨年10月30日。お宅にお見舞いに行った時だった。
チャイムを押すと息子さんが出られて、「お会いしたい」と言うと、一瞬躊躇されて「ちょっとお待ちを」と。
先生に尋ねに行かれたらしかった。
応接間に入れて頂き、しばらくすると出てこられた。8月23日にお会いしてからだから2カ月ほどだが、またずいぶんやつれておられた。
わたしはその日の日記にこう書いている。
「赤司先生を見舞う。見る影もなくやつれておられる。言葉が難しかった。
3月に「骨髄白血病」で余命一ヶ月と。」

これは8月23日の日記。
「赤司先生、お地蔵さんのお供えを持って見える。昨年秋以来話す。やつれて痩せて見る影なし。白血病で治療法がないのだと。辛い。」
と、やはり言葉少なに。
この時、遠慮されたが、無理に店に入ってもらって話したのだった。
それが「喫茶・輪」での最後の姿。座られた席も覚えている。
いつものカウンター席ではなくテーブル席で向かい合ってお話ししたのだった。

先生とのお付き合いは昭和47年ぐらいから。わたしの結婚直後だから50年を超える。
うちが米屋をしていて、そのお得意さんだったが、お米を配達に行ってお会いするのは主に奥様だから先生とはそれまでほとんど顔を合わせることはなかった。

わたしが趣味で将棋を始めたころ、地元の大会に出場した時に会場でお見掛けした。
A級で出ておられて優勝された。

その頃の先生は「兵庫県三羽ガラス(四天王だったか?)」の一人と言われる強豪棋士だった。
先生は神戸大学出身だが、学部は「将棋部」といってもいいのかもしれない。
大学では当時の若手プロ棋士内藤國男(後九段)さんに指導を受けたとお聞きした。

その大会でわたしはたしかC級で出場したのだが、敗退した。
その時先生に「教えて下さい」とお願いし、それから毎週一回ご自宅を訪ねて指導していただいた。
ちょっと指して見て、最初に言われたのが「三段にはしてあげる」だった。
それから約十年、わたしの実力は本当に三段、良くて三段半ぐらいになった。
先生のわたしの才能を見る目は確かだったということ。
単に強くしていただいただけではない。
駒落ち定跡からきっちりと基本を教わった。
二枚落ちから順に飛車香落ち、飛車落ち、角落ち、香落ちと、将棋ノートを調べてみれば、約10年間お世話になっている。
そのお陰で、西宮の最初の公民館将棋グループ、「春風将棋グループ」の立て上げメンバーになった。
後には瓦木公民館のグループの立ち上げにも寄与し、さらに「用海将棋会」を創設し、長く代表を務めた。
また、各所で「子ども将棋教室」を開催し、用海、鳴尾などの小学校の将棋クラブにも指導に出かけた。
多い時は市内の5,6箇所で教えていたこともあり、毎日のように出かけていた時期もあった。
子どもや初心者を指導できる力をつけてくださったのが赤司先生だった。
ということで、わたしの人生の枝の一つに大きな影響を与えて下さったのである。

古いノートがある。「将棋の記録」と題している。

これに載っている最初の棋譜が赤司先生との角落ち将棋。

棋譜は次ページにも続いていて、138手でわたしの負けになっている。
この棋譜が取れているということは、わたしの棋力がすでに初段以上になっているということ。
家に帰ってきてから盤上で再現し記録しているのだ。級位者ではこれはできない。
ここまで約一年かかっている。
毎週ご自宅にお邪魔して、奥様には大きなご迷惑をおかけしていたのだ。
お茶菓子を出してくださったあと、部屋の隅でなにか縫物などをして時を過ごされていた姿を思い出す。

そしてこのノートの最後の棋譜。

昭和57年4月6日。香落ち。89手でわたしの負け。
約十年でやっと三段ぐらい。
将棋を始めた時は自分はすぐに強くなるものだと思っていた。
中学程度だがわたしは数学が得意と言う自負があった。なら、将棋にも適応するだろうと。
だが違った。将棋は、才能もあるのだろうが思っていた以上に難しかった。
それを根気よく指導して下さったのが赤司先生だった、

その後お互いの生活が忙しくなり、わたしの赤司家訪問は終わったのだが、
年月を経て、先生とはまた毎日のようにお会いすることになった。
高校を退職されてから「喫茶輪」の常連になって下さったのだ。
毎日のように「喫茶輪」へ来店してくださり、カウンター越しにいろんな話をさせていただいた。
先生は国語教師だったから、わたしがもの書く上で教えてもらうことも多かった。
佐伯敏光さんという、バイキング所属の作家さんを連れてみえたこともあった。
考えれば長いお付き合いだった。
正に、わたしの人生の一つの枝に彩りを添えて下さった人、それが赤司先生だった。

最後にいただいたハガキより。12月8日の消印。
《今度もお心のこもったお手紙をありがとうございました。(略)体調はどうですか。当方は命旦夕に迫るという感じです。平均寿命生きましたので別に何とも思いません。ただコロッと行きたいですね。延命装置に苦しんで一日でもとは全く思いません。》
すっかりと衰えた字だが気力をふるって書いて下さっている。

先生、ありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。
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