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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

校了

2021-05-17 13:48:55 | 地蔵さん
『縁起 小墓圓満地蔵尊』がようやく校了しました。



1月からだから約4カ月かけて編集者さんと慎重に進めてきました。
この近隣のこととはいえ後の世に残るものですのでね。
印刷所さんが一冊、実際仕様の見本を作ってくださるそうです。
それがOKだったら、いよいよ印刷に。
本当に肩の荷が下りました。
発行日は8月24日を予定していますが、実際は少し早くなるでしょう。
楽しみです。

『コーヒーカップの耳』
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『縁起 小墓圓満地蔵尊』

2021-05-12 15:23:42 | 地蔵さん
昨年の夏ごろから計画していた冊子、『縁起 小墓圓満地蔵尊』だが、ほぼ校正が終了。
今年の1月29日に印刷所へ草稿を持ち込んでから、何度も何度も編集者とやり取り。
その間にも図書館や法務局などに取材し、また京都の知恩寺にも問い合わせの手紙を出したり。
始めはもっとスムーズに行くものと思っていたが、「これは後の世に残るもの」と思うと、より慎重になり、修正、校正を重ねることになった。
編集者にも大変ご苦労をおかけしたが、やっと満足のいくものになった気がする。
一つ肩の荷が下りた感じ。



著者の名前が表紙にないのがいいなあ。
約50ページの冊子になります。
発行予定日は2021年8月24日ですが、それより早く出来上がるかと。
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立派なお地蔵様

2021-05-01 09:01:33 | 地蔵さん
「宮っ子」5月号の全市版「My Town Topics」の記事です。



この縁起の冊子、地蔵盆(8月24日)の発行を目指しています。
希望者には有償で頒布いたします。地蔵様への御浄財になります。
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地蔵さんの敷地の地権者は

2021-04-19 12:59:01 | 地蔵さん
西宮港そばにある、法務局まで行ってきました。



お地蔵さんの敷地の地権者の名前の確認です。
受付の人は親切に対応して下さいました。
費用600円要りましたが、これでスッキリしました。
地権者お二人のお名前が確認できました。
そして敷地の広さは、138平米もあります。
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『小墓圓満地蔵尊縁起』

2021-03-17 16:18:34 | 地蔵さん
今朝は近くの印刷所まで校正刷りを持って徒歩で。
寛政4年建立の、うちの隣の地蔵さん「小墓圓満地蔵尊」の縁起を長年にわたり調べての原稿を頼んでいる。
夏の地蔵盆までには冊子にする予定で。50ページぐらいになるか。
戦前には西宮で最も有名だったお地蔵さん。
「小墓の地蔵さん」といえば知らぬ人はなかったという。
地蔵盆には西宮東口駅(今は廃駅)からの参詣道に夜店が何百メートルにもわたって出たと。
戦後も復興してからは大護摩焚きなど、にぎやかにお祭りをしてきたのだった。
そんな歴史ある地蔵さんだが、縁起が一切残っていなかった。
それで御堂を再興したのを機に、わたしがコツコツと取材をして調べ上げたもの。
初期に取材に応じてくださった人はすべてお亡くなりになっている。
そのお年寄りが子どもだった時代に、その当時のお年寄りから聞いた話など、記録していなかったら残りはしない貴重な話は、将来への遺産だと思う。
面白い話もあって、けっこういい読み物になっていると思う。
今年の地蔵盆にお供えを戴く家庭(例年100軒余り)に一部進呈し、残りは一部300円ぐらいで(赤字ですが)希望者に頒布しようかと思っている。
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40年間の集大成

2021-01-29 10:27:45 | 地蔵さん
この正月からまとめの仕事(といっても収入はありませんよ)に入っていた『縁起・小墓圓満地蔵尊』(寛政4年建立)だが、やっと草稿が仕上がった。



写真も含めてUSBメモリーに入れて印刷所に渡し、あとはまた、こまごまとしたやりとりがあるでしょう。
ゆっくりと夏の地蔵盆までに出来上がればいいかと。50ページ程度の冊子になるのかな。

この地蔵さんの縁起については、約40年間にわたっての調査、聞き取りをしてのもの。
初めのころに取材させていただいた方はすべてお亡くなりになっている。
あの時にしか聞けなかった証言の数々を収め得たのは幸い。

もうこれが集大成と言っていいでしょう。
地味な仕事、よく続けてきたものです。
自分をちょっとほめてやりましょうか。

『完本コーヒーカップの耳』
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暗渠の跡

2020-11-24 14:43:31 | 地蔵さん
ポストまで行った帰り、六湛寺川べりを歩いていて、ふと思い出した。
ここら辺りに暗渠の出口があったはずと。


それで覗いてみました。
やっぱりありました。
川のあちら側へ行ってみました。



ちょうど、うちの家の前の道の延長線上です。


この道です。


この暗渠、今は死んでます。
もう随分前に下水道工事があったときに用無しになりました。
その工事の時には、大きな御影石がたくさん掘り出されました。
この暗渠ですが、元々は小川の跡です。
それを蓋して道路を整備したのでした。
多分戦前のこと。
わたしが物心ついた時にはもう道路になってましたから。
ただし舗装はされていませんでした。地道です。
『酒都遊観記』という本に、こんな箇所があります。
←二段階クリックで。
《小墓(地蔵)の(略)、西から東へ小川が流れており、春になるとよい芹が生えるので、これを摘みにくる老若が三々五々みられたものである。》

さらに『西宮物語』という本には、
←クリック。
《畦道には(略)秋になると曼殊沙華の赤い花が咲いていたし、私共は子供の頃彼岸花とか死人花(しびとばな)と称していた。》
どちらもうちの隣の地蔵さんのことを書かれたページに載っている。
ここに小川が流れていたころの話である。
ということで、この暗渠、今は六湛寺川の傍を南北に通る県道の下にある下水道より東側部分のみのもの。
入って行ってもすぐに行き止まりのはず。
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地蔵さんのカニ

2020-09-19 09:08:50 | 地蔵さん
地蔵さんの境内の人工池にどこかからカニがやってきて、一時11匹にもなっていました。
一旦この池に入ったら、出られないみたいで、増えてしまって。
そのままでは子孫も増やせませんのでこのほど逃がしてやろうと、
煉瓦を縁にもたれさせておきました。
すると翌日にはそれを伝ってみんな出て行ってしまっていました。
ところがまた、一匹帰ってきています。


   

それでさっきまた、煉瓦を縁にもたれさせておきました。
もう今は逃げて行ってくれてるでしょう。
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里帰りした地蔵さん

2020-09-06 08:42:07 | 地蔵さん
7年前にこんな記事を書いてます。
「地蔵さんの里帰り」

今も大切にお祀りさせていただいています。

向かって手前右に真新しいよだれかけ姿で。

コーヒーカップの耳
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利一氏の歌集より

2020-08-25 16:05:33 | 地蔵さん
昨日、地蔵盆の24日、境内の藤棚の下で、お参りに来られる人を待ちながら本を読んでいました。
参拝者があれば、もちろんその人とのお話が優先です。

読んでいた本は、先日ざっと読んだ大村利一氏の歌集『清明集』(現代創造社)。


すべて調べつくしたつもりでしたが、やはり見逃していました。
次の一首。
《 新酒のあまき匂ひのほのもれて東川べの櫨の木道は 》

この本は利一氏没後二年に出されたものです。
昭和36年から58年までに作られた7,000首余りの中から選ばれた541首。
選ばれた歌は利一氏の思いとはズレがあるかもしれません。
この《新酒の…》はどうでしょうか?
利一氏の意が汲まれているでしょうか?本意が。
選んだ人は石崎正明(武庫川女子大・帝塚山大)という歌人だそうです。
まあ、秀句ということなのでしょうが、この歌の心はわたしの方がよくわかると思います。
心というより情景が。
だって「東川」は私の家のすぐそばの川。新酒とは「日本盛」の酒。そして「櫨の木道」は東川と六湛寺川に挟まれた土手の道のこと。
「小墓圓満地蔵尊」の前から東へ100メートルほどのところ。
利一氏の『西宮物語』に詳しく出ています。
昭和30年代に利一氏は『西宮物語』の取材のためにこの辺りを歩かれたということでしょう。
この歌はその時に詠まれたものと解していいように思います。
この一冊の中で地蔵さんに関するうたはこの一首だけでした。
でもこれを見つけられて、この本を入手した価値はあったというものです。

㊟ 「櫨の木道」は戦前の呼び名。今は使いません。戦前には櫨の木が多くあり、秋の紅葉が見事だったと。床几に赤い毛氈を敷いた茶店が出たという話が残っている。わたしが子どもの頃もまだ1,2本が残っていて、カブレた子どもがいたという記憶が微かにある。
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思わぬ多くのお参りが

2020-08-24 21:03:42 | 地蔵さん
今日は8月24日、地蔵盆です。

例年なら祭礼を催すのですが、コロナで中止を余儀なくされました。
それでも、お参りがあるだろうと、わたしはほぼ一日中、境内におりました。本を読みながらですが。

すると、やはり三々五々、お参りに来られました。
お供えも思わず多くいただきました。
ということで、お下がりの準備に大わらわとなりました。
カンちゃんが手伝ってくれています。

みなさま、ありがとうございました。
これから一年間の維持管理費に使わせていただきます。
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今年の準備

2020-08-23 10:54:13 | 地蔵さん
お地蔵さんのお祭りは中止にしたが、地蔵盆は24日。
みんなで寄ってたかっての準備はできないが、一応最小限の飾りつけだけはしようと、 家内と二人でやりました。







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歌集『清明集』大村利一著

2020-08-22 17:06:27 | 地蔵さん
本のことだが、カテゴリーを「地蔵さん」とした。

大村利一氏の歌集『清明集』を入手したのだが、もしかしたら隣の地蔵さんのことが書かれていないかと思ってのこと。

安価な割には箱入りの立派な美品でした。
利一氏は小墓圓満地蔵尊の敷地の地権者のお一人でもあった人。

この本は昭和63年発行。利一氏がお亡くなりになって後に出ている。
生前の署名が扉に印刷されているが、ご生前にわたしが戴いた手紙に書かれた字とほとんど一緒だ。
まるでコピーをしたように。
ザーッとすべての歌を読ませていただいたが、残念ながら小墓圓満地蔵尊に関係する歌はなかった。
しかし「茂松寺」や「名次山」といった言葉が出て来たり、西宮に関するものもいくつかある。
そして驚いたのが、「椿説ー大村利一歌集『清明集』解題」と題された丁寧な解説文。
これが塚本邦雄によるもの。
凄いですね。
さすがに「椿本チエン」の元社長、会長さんです。
わたしはお会いしなかったが、一度お会いしておくべきでした。
とはいっても、当時、一流企業の会長さんだったから、恐れ多いですよね。
先日、ご息女からはお心安くお電話を戴いたのだが。

そして、塚本邦雄といえば、我が愛する詩人、鈴木漠さんのお師匠さんといってもいい人では?。
縁がつながって、なんだかおもしろいですね。
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今年のお供え

2020-08-21 15:07:02 | 地蔵さん
今年の地蔵祭りを中止にしたことは前に書きました。
いつもなら信者のご家庭に案内状をお配りするのですが、今回は中止のお知らせをお配りしました。
なので、お供えは気持ちのあるご家庭を除いてはそんなにないと思っていました。
でも、年間の管理維持費はかかります。
だからちょっと心配をしたのです。
ところが、次々と持ってきてくださるご家庭があり、ありがたいことだと思っています。

いや、うちが個人的に戴くわけではありませんよ。
ちゃんとお地蔵さんの会計に入れさせていただきます。
それでも世話人代表ということで、皆様にお礼申し上げます。

日本盛の社員さんの話もいくつか。『完本コーヒーカップの耳』
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大村利一さん

2020-08-19 14:23:29 | 地蔵さん
今年は地蔵祭りを中止にしたのだが、その「小墓圓満地蔵尊」の縁起を書いた冊子、
『小墓圓満地蔵尊』(46ページ)を加筆して再発行したいと思っている。

これはわたしが2000年にワープロで制作した手作りのもの。なので部数はごく少なかった。
来年の地蔵盆には印刷屋さんにお願いして、ちゃんとしたものを作り信者の皆さんにお配りできればと考えている。
今のうちにしておかなくては、この地蔵さんの貴重な歴史が埋れてしまうだろう。
そんなこともあり、当地蔵尊と縁が深い豊中の大村家に今年の祭礼中止のご報告も兼ねて『西宮物語』からの引用許可のお願いのお手紙を出した。
利一氏のご夫人に宛ててである。
『小墓圓満地蔵尊』にも書いているのだが、大村利一氏(元椿本チエン社長、会長)が書かれた『西宮物語』には、当地蔵尊のことが詳しく出てくる。

敷地の地権者の一人でもある。縁は深いのだ。
ただし、利一氏は1986年8月に80歳でお亡くなりになっている。
その奥様とは最近まで手紙のやり取りをさせて頂いていたが、ここ何年かは不通。
少し心配していた通り、今日その娘さんから電話があり、「母は3年前の8月に95歳で亡くなりました」と。
しかも23日だったと。24日の本祭りの日ではないが、お地蔵さんに縁がある。
因みに、大村さんは、うちの娘が嫁いだ家(大村姓)と遠い昔に繋がっていて、そんな話も奥様と手紙でやりとりしたのだった。

おすすめ本『完本コーヒーカップの耳』


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