喫茶 輪

コーヒーカップの耳

校正畏るべし

2021-06-17 18:29:45 | 地蔵さん


『縁起・小墓圓満地蔵尊』ですが、
みっちりと校正したつもりでしたが、やっぱりありました。
見つかったのは今のところ誤字一字のみですが、黙っていれば分からないかな?
手にした人、探してみてください。明らかな誤字です。
見つけたからといって景品は出ませんが。
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図書館へ『縁起・小墓圓満地蔵尊』を。

2021-06-17 11:46:32 | 地蔵さん
図書館と郷土資料館へ行ってきました。
今日は日差しがきつすぎるので自転車で。
予約の本の受け取りと、お借りしていた本の返却。
そして『縁起・小墓圓満地蔵尊』の収蔵を託しに。



隣の郷土資料館へも『縁起・小墓圓満地蔵尊』をお届けしました。

『完本コーヒーカップの耳』
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『縁起・小墓圓満地蔵尊』は少部数発行

2021-06-16 14:16:29 | 地蔵さん

近隣の信者様に行き渡るのが主目的なので、発行部数はわずか300部のみ。しかも費用はお地蔵さまの会計から捻出。
ということで、献呈の余裕がありません。
知己の方、どうか不義理をお許しください。
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お送りしました。

2021-06-15 13:20:29 | 地蔵さん
お申込みくださった方にお送りしました。『縁起 小墓圓満地蔵尊』。



一部500円。いただいた誌代はお地蔵さまへのお供えになります。
お問い合わせ、ご希望の方はコメント欄へどうぞ。公開しません。

『完本コーヒーカップの耳』
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印刷上がり

2021-06-12 16:05:06 | 地蔵さん
印刷が上がってきました。
『縁起 小墓圓満地蔵尊』 

裏表紙です。

思いのほか早く上がってきました。

「改めてのあとがき」 ←クリック。

300部のみの発行。
ざっと40年がかりで書いたものです。とは言ってもわずか50ページほどの冊子。
きちっとした歴史を書きながら、興味深いエピソードも交え、ユーモアとかすかなペーソスも滲じませています。
読み物としても面白し。
ご希望の方には一部500円でお頒けいたします。お問い合わせはコメント欄へ。
お地蔵様へのご浄財になります。
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語り・小墓圓満地蔵尊

2021-06-01 09:27:32 | 地蔵さん
今頃になって思い出しました。
こんなのを作ってたことを。
「語り・小墓圓満地蔵尊」。8年前に作ってたのを忘れてました。
3ページに要約してますが、その一枚目だけを紹介します。



 語り・小墓圓満地蔵尊 

 この地蔵さんは、《小墓(こばか)地蔵》いうんです。いや、ほんまの名前は《圓満地蔵》なんですよ。石の台座にしっかり彫ってあります。そやけど、昔からみんな「こばか」て呼んでたらしいです。小さい墓地があったからとか、あるいは子どもの墓が多かったからという説がありますけど、ほんまのとこは分かりません。
   ○
 場所は、用海(ようがい)町の一角です。用海小学校の正門通り、学校の東隣です。大っきいですよ。台座から頭まで二メートル以上もあります。戦後の名物市長、辰馬卯一郎さんが「子どものころ、小墓の地蔵はんの肩に登って、よう遊んだもんや」て言われてたらしいです。
   ○
 立派な御影石(花崗岩)で出来てます。いいお顔してはります。お名前の通り圓満なお顔で、庶民の願いをやさしく聞き届けてくれはるお姿です。
 建ったんは古いですよ。台座に、寛政四年(一七九二年)建立と彫ってありますからねえ。その時代は、大飢饉、大洪水、大地震やら厄災が相次いだ時代で、子どもの病死や捨て子は日常茶飯のことやったんです。そやから、世情の円満と不幸な子どもらの供養のために建てられたんやと思います。そやけど言い伝えでは、どうやら初めからここに建てられたんやのうて、元々は京都に建ってはったとゆうことです。
 実は、台座に“智恩寺開元”と彫ってあります。調べてみましたけど、当時の西宮にそんな名前のお寺は見当たらんのです。やっぱり言い伝え通りで、京都左京にある知恩寺らしいです。智と知の違いはありますけど、昔は漢字にはこだわりがなかったようで。
 そやけど、そんな立派なお寺の偉い上人さんが、西宮のこの地まで駕籠に乗って開眼式に来られたとは思えません。ここは言い伝え通り、後に京都から移されたと考えるのが自然でしょうね。
    ○
 これには面白い逸話がありまして、京都のその地で、この地蔵さんが建ってから良くないことが続いたというんです。ついに荒縄を十文字にかけられて、道端に転がされていたということです。それを西宮の人が気の毒に思い譲り受けて、力自慢の者にかつがせて一夜で運んできたいうんです。そやけどそんなこと信じられません。京都から来られたんはほんまやろけど、それにはちゃんとした手続きがなされて来はったんやと思います。


後半がもっともっと面白いのですが、お地蔵さんの御堂に全文のコピーを置いてますので、興味のある方はどうぞ。
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『縁起 小墓圓満地蔵尊』見本が

2021-05-29 15:07:49 | 地蔵さん
『縁起 小墓圓満地蔵尊』の見本が出来てきました。
ありがたく両手に持たせていただきました。
40年間、素人がぼちぼちとやってきたことの成果です。





もうちょっとだけ修正して本格的な印刷になります。
頒価は500円としました。
お地蔵様への御浄財となります。
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校了

2021-05-17 13:48:55 | 地蔵さん
『縁起 小墓圓満地蔵尊』がようやく校了しました。



1月からだから約4カ月かけて編集者さんと慎重に進めてきました。
この近隣のこととはいえ後の世に残るものですのでね。
印刷所さんが一冊、実際仕様の見本を作ってくださるそうです。
それがOKだったら、いよいよ印刷に。
本当に肩の荷が下りました。
発行日は8月24日を予定していますが、実際は少し早くなるでしょう。
楽しみです。

『コーヒーカップの耳』
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『縁起 小墓圓満地蔵尊』

2021-05-12 15:23:42 | 地蔵さん
昨年の夏ごろから計画していた冊子、『縁起 小墓圓満地蔵尊』だが、ほぼ校正が終了。
今年の1月29日に印刷所へ草稿を持ち込んでから、何度も何度も編集者とやり取り。
その間にも図書館や法務局などに取材し、また京都の知恩寺にも問い合わせの手紙を出したり。
始めはもっとスムーズに行くものと思っていたが、「これは後の世に残るもの」と思うと、より慎重になり、修正、校正を重ねることになった。
編集者にも大変ご苦労をおかけしたが、やっと満足のいくものになった気がする。
一つ肩の荷が下りた感じ。



著者の名前が表紙にないのがいいなあ。
約50ページの冊子になります。
発行予定日は2021年8月24日ですが、それより早く出来上がるかと。
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立派なお地蔵様

2021-05-01 09:01:33 | 地蔵さん
「宮っ子」5月号の全市版「My Town Topics」の記事です。



この縁起の冊子、地蔵盆(8月24日)の発行を目指しています。
希望者には有償で頒布いたします。地蔵様への御浄財になります。
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地蔵さんの敷地の地権者は

2021-04-19 12:59:01 | 地蔵さん
西宮港そばにある、法務局まで行ってきました。



お地蔵さんの敷地の地権者の名前の確認です。
受付の人は親切に対応して下さいました。
費用600円要りましたが、これでスッキリしました。
地権者お二人のお名前が確認できました。
そして敷地の広さは、138平米もあります。
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『小墓圓満地蔵尊縁起』

2021-03-17 16:18:34 | 地蔵さん
今朝は近くの印刷所まで校正刷りを持って徒歩で。
寛政4年建立の、うちの隣の地蔵さん「小墓圓満地蔵尊」の縁起を長年にわたり調べての原稿を頼んでいる。
夏の地蔵盆までには冊子にする予定で。50ページぐらいになるか。
戦前には西宮で最も有名だったお地蔵さん。
「小墓の地蔵さん」といえば知らぬ人はなかったという。
地蔵盆には西宮東口駅(今は廃駅)からの参詣道に夜店が何百メートルにもわたって出たと。
戦後も復興してからは大護摩焚きなど、にぎやかにお祭りをしてきたのだった。
そんな歴史ある地蔵さんだが、縁起が一切残っていなかった。
それで御堂を再興したのを機に、わたしがコツコツと取材をして調べ上げたもの。
初期に取材に応じてくださった人はすべてお亡くなりになっている。
そのお年寄りが子どもだった時代に、その当時のお年寄りから聞いた話など、記録していなかったら残りはしない貴重な話は、将来への遺産だと思う。
面白い話もあって、けっこういい読み物になっていると思う。
今年の地蔵盆にお供えを戴く家庭(例年100軒余り)に一部進呈し、残りは一部300円ぐらいで(赤字ですが)希望者に頒布しようかと思っている。
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40年間の集大成

2021-01-29 10:27:45 | 地蔵さん
この正月からまとめの仕事(といっても収入はありませんよ)に入っていた『縁起・小墓圓満地蔵尊』(寛政4年建立)だが、やっと草稿が仕上がった。



写真も含めてUSBメモリーに入れて印刷所に渡し、あとはまた、こまごまとしたやりとりがあるでしょう。
ゆっくりと夏の地蔵盆までに出来上がればいいかと。50ページ程度の冊子になるのかな。

この地蔵さんの縁起については、約40年間にわたっての調査、聞き取りをしてのもの。
初めのころに取材させていただいた方はすべてお亡くなりになっている。
あの時にしか聞けなかった証言の数々を収め得たのは幸い。

もうこれが集大成と言っていいでしょう。
地味な仕事、よく続けてきたものです。
自分をちょっとほめてやりましょうか。

『完本コーヒーカップの耳』
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暗渠の跡

2020-11-24 14:43:31 | 地蔵さん
ポストまで行った帰り、六湛寺川べりを歩いていて、ふと思い出した。
ここら辺りに暗渠の出口があったはずと。


それで覗いてみました。
やっぱりありました。
川のあちら側へ行ってみました。



ちょうど、うちの家の前の道の延長線上です。


この道です。


この暗渠、今は死んでます。
もう随分前に下水道工事があったときに用無しになりました。
その工事の時には、大きな御影石がたくさん掘り出されました。
この暗渠ですが、元々は小川の跡です。
それを蓋して道路を整備したのでした。
多分戦前のこと。
わたしが物心ついた時にはもう道路になってましたから。
ただし舗装はされていませんでした。地道です。
『酒都遊観記』という本に、こんな箇所があります。
←二段階クリックで。
《小墓(地蔵)の(略)、西から東へ小川が流れており、春になるとよい芹が生えるので、これを摘みにくる老若が三々五々みられたものである。》

さらに『西宮物語』という本には、
←クリック。
《畦道には(略)秋になると曼殊沙華の赤い花が咲いていたし、私共は子供の頃彼岸花とか死人花(しびとばな)と称していた。》
どちらもうちの隣の地蔵さんのことを書かれたページに載っている。
ここに小川が流れていたころの話である。
ということで、この暗渠、今は六湛寺川の傍を南北に通る県道の下にある下水道より東側部分のみのもの。
入って行ってもすぐに行き止まりのはず。
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地蔵さんのカニ

2020-09-19 09:08:50 | 地蔵さん
地蔵さんの境内の人工池にどこかからカニがやってきて、一時11匹にもなっていました。
一旦この池に入ったら、出られないみたいで、増えてしまって。
そのままでは子孫も増やせませんのでこのほど逃がしてやろうと、
煉瓦を縁にもたれさせておきました。
すると翌日にはそれを伝ってみんな出て行ってしまっていました。
ところがまた、一匹帰ってきています。


   

それでさっきまた、煉瓦を縁にもたれさせておきました。
もう今は逃げて行ってくれてるでしょう。
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