今朝は7時から、近所総出でお地蔵さんの大掃除ご奉仕。
もちろん強制ではないので差し支える家は欠席ですが。
お天気が心配だったが、なんと、日が差してくるほどに。
しかし、それほど暑くもなく助かった。
テント張りは23日に予定していたのだが、今日、急遽張ることにした。しばらくは台風も来そうにないし、23日が雨になったら困るので。
お堂の拭き掃除から、ご本体のお身拭いまで、一年間の汚れを落として差し上げます。
このようなお姿は一年に一度だけ。
前掛けもお帽子も身につけるものは脱がして差し上げます。
そしてお祭りの前日、23日に新しいものをお着せします。
お陰さまできれいになりました。
これから、買い物などをして、次は23日に最終準備。
地蔵さんの境内の藤棚の上から「チンチンチンチン」とカネタタキの鳴き声が聞こえました。
今年初めての声です。
今夜、「輪」で、隣のお地蔵さんの世話人会でした。
8月24日の地蔵盆に向けての段どりの準備です。
13人が出席。 隣の工事の話なども出ました。
昨年の地蔵盆は台風模様で困ったのですが、今年はそのようなことがないように祈りたいものです。
この「小墓圓満地蔵」は寛政4年(1792年)建立の由緒あるお地蔵様。
今年は222年めになります。
是非、成功させたいものです。
昨夜がお通夜で、今日、雨の中での告別式でした。
石在町の武林さんが90歳でお亡くなりになって。
武林さんは、ずっと小墓圓満地蔵尊の地蔵盆に御詠歌奉納の加勢に来て下さっていた人です。
一昨年に体調を崩されてからはお休みになっておられましたが、お供えは欠かさずことづけて下さってました。昔堅気の律儀なお人でした。
御詠歌の加勢をして下さる方が段々減って、淋しくなります。
西宮北口まで歩いて行った。
往復約9000歩。
途中でおやっ?と思うものを見た。
「もの」というのは失礼です。
あれっ!あんな所にと思ったのはお地蔵様でした。
JRの線路の向こうに。
東の方のはこうです。阪急今津線がJRを跨いでいます。ここは神祇官町。社会保険事務所から北へ行って右へ折れた所です。
このお地蔵様、気になってあちら側へ行ってみました。
鍵がかかっていて入れません。JRの敷地内です。
もう一度、お地蔵さんをアップしてみます。わたしのカメラではこの程度しか写りません。
どういうお地蔵さんなのでしょうか?お花もなにも飾られてないようです。
当然のごとくよだれかけもありません。
誰がいつ、どのようなことで祀られたのか?
帰って『西宮の地蔵』を見てみましたが、やはり載ってません。
線路のこちらから手を合わせておきました。
昨年入手した『西宮の地蔵』を見ていて、どうも気になることがあった。
平松町のお地蔵さんが載っていないのである。
調査漏れかなと思っていたのだが、なかなか調べに行くことが出来なかった。
今日、天気もいいし、家では家内が昔の同級生が何人か集まっておしゃべりの会をしている。わたしは外へ出かけるしかない。
ということで、歩いて行ってきました。
ちょっと遠いです。
途中で汗が出てきて困りました。
マフラーが邪魔になりバッグに入れました。
ジャンバーのチャックを開けて風を入れながら歩きました。
さて地蔵さんです。
いくら探してもありません。
昔、毎年夏には土用行、冬には寒行の途中にお参りしたのでした。
何十年も続いたのでした。
そしてもう20年以上昔にその行はなくなりました。それからご無沙汰だったのです。
気になっていたのです。
ここです。
ここは農地でした。もっと広かったです。
お地蔵様はその北東隅にありました。かなりの敷地を持つお地蔵さんでした。
ところがある時、マンションが建って、お地蔵さんの敷地が小さくなっていました。
それでもまだありました。お世話する人があって、きれいに祀られていました。
ところが今日、いくら辺りを探してもありませんでした。
ここだったと思います。
地震の影響でしょうか?空き地になっています。
しかしどこへ行ってしまわれたのでしょうか?
辺りは静かな住宅街。取り澄ましたような感じ。気軽に尋ねて入れそうな家もなかったです。
淋しいことでした。
まあ、お地蔵さんというものは、民間信仰でもあり、世話人の境遇により浮き沈みが激しいものなのでしょう。
帰りに、やはり昔縁のあったお地蔵さんにお参りしました。
一体は本町、えべっさんの赤門そばの合田さんのお地蔵様。
ここには毎年8月23日に護摩焚きに行っていました。
護摩焚きが終わったあといつも合田建材店の社長さんが冷たいスイカをふるまって下さったのを今も覚えている。
もう一体のお地蔵さん。
浜脇の一本松地蔵さんです。
ここは竹中クリーニング店さんがお世話なさってました。
本町の合田さんのお地蔵さんで護摩焚きをすませたあと、ここでも護摩焚きをしたのでした。
覗いてみました。
お顔が、亡くなられた竹中さんの顔に似ています。
隣(クリーニング店があった場所)にマンションが建っていました。
そのマンションの名前が「ヴィラ・カイチ」となっていました。
それでにわかに思い出しました。
竹中のご主人の名前がたしか「竹中嘉一」さんだった。嘉一郎さんだったかもしれない。そのお名前をマンションに使ったのでしょう。だからマンションのオーナーは竹中さんのご親族なのでしょうね。
因みに、この竹中さんの弟さんがえべっさんのお祭りの露店を仕切っていたテキヤ「竹中組」の親分でした。このお地蔵様の護摩焚きの時にもやって来ていて、終わった後の振る舞いの席にも顔を出し、ここに書けないような話も色々とありました。
さて、盛大にお祭りされてた時代もあったこれらのお地蔵様、今どんなお気持ちなのだろうか?
昨日、大阪の孫の所へ行った。
途中、野田の手前にお地蔵さんがある。
これまでも何年も気になっていていつかお参りをと思っていたのだった。
で、今日は少し余裕があったので車を止めてお参りした。
そして孫たちの家に行き、ひと時を過ごして帰りのことだ。
野田駅南の交差点の手前、左へのゆるいカーブに差し掛かった時、右側車線を走っていた車が突然左折ウィンカーを点滅させながら直前に割り込もうと入って来た。どうもわたしの車が見えてなかったらしい。わたしはクラクションを鳴らす余裕もなく、それでも左を確認しながら左へ急ハンドルを切った。スピードを出していなかったからよかった。また、割り込んできた車もわたしの車に気付いてあわてて右へハンドルを切った。危うく難を逃れた。肝を冷やした。しばらくして家内と、「先にお地蔵さんにお参りしておいたから良かったのかも」と話したことだった。その相手の車は京都ナンバーで若い女性が運転しており助手席にも女性だった。どうやらおしゃべりに夢中だったのかも?それとも、その右車線は右折車線に進むことがわかり、直進しなかればならなかったので急ハンドルだったのかも。その後もわたしの車と並走するように43号線へ入って行った。
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さて、その地蔵さんである。
43号線から野田へ向かって北へ上がって行くと「千鳥橋」交差点がある。そこをもう少し北上すると野田の手前左に鎮座する。
きれいに掃除が行き届いていた。熱心に世話をする人があるのだろう。
立派なお花もお供えされている。
そして冬装束だ。
ジャンバーまで着せてもらって。
縁起が書かれている。←クリックして下さい。読めます。
昭和26年建立だから、まだ比較的新しいお地蔵様だ。
先日、平山さんがお亡くなりになった話をここに書いた。
平山さんは、昨年ぐらいに「これをお地蔵様に」と言ってご自分のお宮参りの衣装を奉納された。
90年以上も昔の衣装だ。平山さんはお父様が会社経営者だったとかでお金持ち。で、それはいいものだったのでこれまで大切にしておられたのだった。
よくご一緒にお参りになっていたのが、藤本さん。
左、平山さん。右、藤本さん。
藤本さんはもう97、8歳になられる。
で、先日、家内がお稲荷さんを作った。
平山さんも藤本さんも、うちのお稲荷さんがお好きだった。
それで家内が、藤本さんにお稲荷さんのおすそ分けを持って行った。
すると、藤本さん、「なかなかお参りができないので…」と、貯めておられたお地蔵様へのお賽銭をことづけて下さった。買い物のお釣りを貯めておられたのだ。
数えてみると、合計、4216円。
偉いですねえ。
その藤本さんのこと、「宮っ子」の平成22年9月号に書きました。↓
http://miyakko-nishi.com/MIYAKKO-SYSTEM/Found_Page?area_reference=area_reference&areacd=25&find_year=2010&gou=306&page=3
それから平山さんも平成23年3月号に書いたが、なぜか「宮っ子」HPのその号が開かない。