昨年入手した『西宮の地蔵』を見ていて、どうも気になることがあった。
平松町のお地蔵さんが載っていないのである。
調査漏れかなと思っていたのだが、なかなか調べに行くことが出来なかった。
今日、天気もいいし、家では家内が昔の同級生が何人か集まっておしゃべりの会をしている。わたしは外へ出かけるしかない。
ということで、歩いて行ってきました。
ちょっと遠いです。
途中で汗が出てきて困りました。
マフラーが邪魔になりバッグに入れました。
ジャンバーのチャックを開けて風を入れながら歩きました。
さて地蔵さんです。
いくら探してもありません。
昔、毎年夏には土用行、冬には寒行の途中にお参りしたのでした。
何十年も続いたのでした。
そしてもう20年以上昔にその行はなくなりました。それからご無沙汰だったのです。
気になっていたのです。
ここです。
ここは農地でした。もっと広かったです。
お地蔵様はその北東隅にありました。かなりの敷地を持つお地蔵さんでした。
ところがある時、マンションが建って、お地蔵さんの敷地が小さくなっていました。
それでもまだありました。お世話する人があって、きれいに祀られていました。
ところが今日、いくら辺りを探してもありませんでした。
ここだったと思います。
地震の影響でしょうか?空き地になっています。
しかしどこへ行ってしまわれたのでしょうか?
辺りは静かな住宅街。取り澄ましたような感じ。気軽に尋ねて入れそうな家もなかったです。
淋しいことでした。
まあ、お地蔵さんというものは、民間信仰でもあり、世話人の境遇により浮き沈みが激しいものなのでしょう。
帰りに、やはり昔縁のあったお地蔵さんにお参りしました。
一体は本町、えべっさんの赤門そばの合田さんのお地蔵様。
ここには毎年8月23日に護摩焚きに行っていました。
護摩焚きが終わったあといつも合田建材店の社長さんが冷たいスイカをふるまって下さったのを今も覚えている。
もう一体のお地蔵さん。
浜脇の一本松地蔵さんです。
ここは竹中クリーニング店さんがお世話なさってました。
本町の合田さんのお地蔵さんで護摩焚きをすませたあと、ここでも護摩焚きをしたのでした。
覗いてみました。
お顔が、亡くなられた竹中さんの顔に似ています。
隣(クリーニング店があった場所)にマンションが建っていました。
そのマンションの名前が「ヴィラ・カイチ」となっていました。
それでにわかに思い出しました。
竹中のご主人の名前がたしか「竹中嘉一」さんだった。嘉一郎さんだったかもしれない。そのお名前をマンションに使ったのでしょう。だからマンションのオーナーは竹中さんのご親族なのでしょうね。
因みに、この竹中さんの弟さんがえべっさんのお祭りの露店を仕切っていたテキヤ「竹中組」の親分でした。このお地蔵様の護摩焚きの時にもやって来ていて、終わった後の振る舞いの席にも顔を出し、ここに書けないような話も色々とありました。
さて、盛大にお祭りされてた時代もあったこれらのお地蔵様、今どんなお気持ちなのだろうか?