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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「負けず嫌い」

2021-06-24 17:30:01 | 本・雑誌
『徳川家康』13巻を読んでいて、「ほほう」と思った言葉。
《どちらも潔癖で負けぎらいで》。
「負けず嫌い」ではないのだ。
昔、わたしの長男が言った言葉がある。
残念ながら、彼の口頭詩集『ライオンの顔』には収録していない。
でも覚えている。
何歳ぐらいの時だったのだろうか。10歳ぐらいのころだったか。
「負けず嫌いという言葉はおかしいよ。それも言うなら負ける嫌いでしょ」と言った。
大人のわたしが「なるほど!」と思ったのだった。
しかし、山岡荘八先生は、ちゃんと「負け嫌い」と書いておられる。
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草雲雀

2021-06-24 11:15:09 | 本・雑誌
身体はまだポヤ~ンとしててかったるいが、本は読める。
但し、勉強のための本ではなく、楽しみのための軽いもの。
で、昨日電車の中(約二時間余り)で読んだ『草雲雀』(葉室麟)残りを今日読み終えた。



これは良かった。今年読んだ本の中では最も感動したかもしれない。
ラストシーンでは年甲斐もなくウルウルとしてしまった。
年が行ったからかもしれないが。
やはり葉室さんの小説はいいなあ。
ところで、タイトルの「草雲雀」だが、昨日歩いた田舎の道で聞いたのが雲雀の鳴き声だった。
バッグの中にはこの本が入っていた。偶然か?
草雲雀は空で鳴く雲雀とは違うのだが。

『コーヒーカップの耳』
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『定年後の居場所』

2021-06-16 10:38:38 | 本・雑誌
『定年後の居場所』(楠木新著・朝日新書)という本を読んでいる。



対象とする読者層は定年前後、60歳前後という所だろうか。
なので、わたしは少々手遅れというわけだ。
企業に勤めていたサラリーマンは退職すると居場所がなくなってしまう。特に男性。
女性はその点、環境が変わっても社交的な人が多いから悩むことは少ないが、男性は居場所がなくなって困る人が多いのだ。
そんな人に対するアドバイスのような本。
わたしは元々定年のない生活をしてきたので、それほどの実感はなかったのだが、これを読むと、
「ああ、なるほど、サラリーマンの定年後は大変なのだ」と思えた。
しかし、考えよう、やり方によっては、幸福感を得られる生き方もあるのだと。
そんなことが書かれている本。
著者が実体験してきたことと、豊富な取材に基づいて書かれているので説得力がある。
著者の楠木新さんは以前に『定年後』という本がベストセラーになった神戸出身の人。

追記
 サラリーマン定年前後の人のためのハウツーものの本だと思ってたら、こんなページもあって心安らぎました。
←クリック。
お孫さんとのふれあい。楠木新さん、このような感性もお持ちなのだ。親しみが湧きますねえ。

さらに追記
 先に楠木さんは神戸出身と書いたが、全国各地を転勤で回り、今は地元の神戸に戻ってきておられる。
そんな中で、わたしも知る「ギャラリー島田」の島田さんの話も出てくる。一気に身近に。


『コーヒーカップの耳』
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『かにかくに刻』

2021-06-15 16:38:44 | 本・雑誌
エッセイ集、『かにかくに刻』(山田英子著・編集工房ノア刊)です。



わたしにとって未知の人、山田英子さんからお贈りいただいたエッセイ集。
「文芸日女道」の同人ということで、多分姫路の文学研究家、森本穫さんの縁でのことでしょう。
300ページを超える立派な書籍。上品な装丁。
読み始めてすぐに著者の山田さんは頭脳明晰な人と思った。そしてハイソサエティーとでも言おうか、上流家庭の人であろうと。
文体にわたしのような世俗の垢が見えないのだ。
それは後半のオランダのことを書かかれた文でハッキリする。
わたしとは住む世界が違うのですね。行儀のよい文章です。
さらに描写力に富んでいる。これは文を書くべくして書いておられる人と感じた。生き生きと楽しんで書いておられる。
ご住所は姫路市。わたしの長男が住む町に近いS本町。そこから好奇心を伸ばしての色鮮やかな各種エッセイ。
初めの方にある「夕映え」で「おっ」と思った。
お城を中心とした姫路の日没風景が描かれて、それは見事な描写力で。
ご自宅二階のベランダから《東から昇った太陽が西に沈むのは、毎日の営みではあるが、人生の終わりに似てはいないだろうか。》と、自然に終活の話へと流れて行く。そして、
《最近あの人見かけないわね。そういえばそうね。こんな会話で、自然に忘れられていく死に方に憧れる。西に傾く夕暮れの神秘的な光に包まれて、十万億土のかなたの別世界へ、そっと持っていってもらえたら、実に理想的である。》と結ばれる。
わたしが「おっ」と思ったのは、拙著『触媒のうた』に同じような文章を書いているからである。
作家、杉本苑子さんの言葉として、
《葬式は無用。墓もいらない。じつを言えば涙や哀悼の言葉も辞退したい。「あの人、いつのまにかいなくなってしまったなあ」それでよい。そういう消え方が理想なのだが、うまくゆくかどうか…。》
そして杉本さんは、実際にそれに近い消え方をなさったのだった。
ちなみに杉本さんの直筆のハガキ(宮崎翁宛)をわたしたくさん持ってます。

「台所のアラベスク」の章の(一)。102ページ。《姫路文学館で開催される阿部知二研究会で、》とある。
やっぱりと思った。阿部知二研究会は森本穫さんが事務局長をなさっているのだ。縁ですね。
「台所のアラベスク」の(七)に大きな感動を受ける。短いながら息も継がせぬ人間ドラマ。いい小説を読ませてもらったような。

後半の「偉大な小国」の中に、尊厳死、リビング・ウィルの話が出てくる。
英子さんも準備しておられるということだが、わたしもずいぶん前に書いて、子どもたちに示してある。
先に心臓病で病院にかかった時もコピーを提出済みだ。
英子さんのその人生は、わたしとは大いに違うが、考え方に似たところがあるようで、ちょっと安心させてもらった。

『コーヒーカップの耳』
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児童話集

2021-06-09 11:43:34 | 本・雑誌
中野友廣さんから頂いた「児童話集」、『春風くんと学長先生』。



文庫本版のかわいい本。「児童話集」とあります。
「児童話集」という言葉は、わたし初めて出会います。
中野さんの造語?あるいは私の勉強不足?
読ませていただいたが、これは児童文学ですね。
中野さんは川柳人なので、この本は意外だった。

以下、わたしの感想文です。

まず表紙イラストの学長先生の像が中野さんによく似ておられて、それだけで親近感が湧き、読むのが楽しみになります。

六篇の物語があります。
どれにも親がいないとか、別れが底流にありますが、なぜか暗くないのです。
ほのぼのとして、明るい。これは作者の人柄によるものでしょう。
児童文学ではありますが、人の心の深いところが描かれています。
というのも、作者の中野氏は川柳人でもあって、そのことは無視できないでしょう。
しかも中野氏は、人の心を鋭く描いた時実新子さんのお弟子さん。
人の心の奥底を、軽く表現するのが川柳の一面でありましょうから。
児童文学は、まずは易しい言葉でなければならないでしょう。
まさに中野氏はそれに向いていると言わざるを得ません。
さらに、川柳の人ならばこその、大人の読者にも満足を与える作品となっています。
わたしは大いに楽しませていただきました。
どの作品でも、次はどうなって行くのだろう?と先を読むのを急がされました。
これは子どもが読めばもっとそう思うのかもしれません。

第一話 「春風くんと学長先生」 子どもたちが親しくなった学長先生が急に死んでしまうのですが、なぜか悲壮感がありません。
話の設定によるものか、文体によるものかはわからないのですけれども、ほのぼのとしています。
作者のお人柄としか思えません。
話の先がどうなって行くのかは大体わかるのですが、それを不満に思えず、安心して楽しめるのです。
学長先生は死んでしまったのに、ハッピーエンドのような感じ。
読後感が良かったです。

第二話 「トン君の通知簿」 これはわたしの好きな作品でした。悲しい話ですけど、やっぱり暖かなものが心に残ります。

第三話 「ヤッチンの始球式」 これは面白かったです。お父さんが事故死したりするのだけれど明るいのです。
最後の長嶋(一茂)選手が始球式のボールをホームランしてしまうところ、愉快です。ネタバレ、ごめんなさい。
これ、ほんとにあったことなんでしょうかねえ?そんなことないですよねえ。著者の創作でしょう。
どちらにしても男の子が喜ぶようなワクワクする話でした。

第四話 「市電レストラン」 これは懐かしさを覚えます。
わたしが住む西宮には市電はありませんでしたが、阪神国道と甲子園線を路面電車が走っていました。
特に阪神国道の路面電車は「国道電車」と呼んでいましたが、わたしにもいろんな思い出があります。

第五話 「父ちゃんのお見合い」 父親の再婚を扱ったものですが、わたしも中学生の時に似た経験をしています。
しかし、この話のように明るく楽しいものではありませんでした。うらやましいかぎりです。
親の再婚話をこんな風に書けたらいいですね。

第六話 「ふとっちょ一家と綱引き大会」 これもなんとも楽しい話です。読者が望むような展開になって行くので安心して読めます。
「良かった良かった」と。児童文学はこんなのがいいですねえ。

簡単に書いてしまいましたが、要所要所に川柳人ならではの繊細な目線もあって感心しました。

因みに、この本の発行は1998年です。もう20年以上も前。
中野さん、もうこんなのは書いておられないのでしょうか?
もっともっと書いてほしい気がしますが。

『コーヒーカップの耳』
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今、四冊

2021-06-07 12:06:10 | 本・雑誌
今、併読している本は、昨日一冊読み終えましたので四冊です。



読むのに忙しい老人です。
贈って頂いた本の感想を早くにお伝えしたいのですが、しばらくお待ちくださいね。

『コーヒーカップの耳』
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『定年後の居場所』

2021-06-04 14:21:27 | 本・雑誌
『定年後の居場所』(楠木新著・朝日新聞出版)という本を読み始めた。



77歳のわたしには縁のない本とも思うが、読み始めてすぐに興味深い文章に出合った。
「まえがき」代わりの、《『定年後』のいま」》の中に。

《第一部の文章の中に、就活セミナーで講演したことを書いた。そこに参加した多くの人たちは本気で死ぬことの準備をしたいわけではなく、残りの人生を楽しく生き抜きたいと思っているのだ。自分の葬儀や墓や戒名を検討するエンディングノートではなく、残りの人生で新たなことに取り組むスターティングノートに切り替えなければならない。》
大体65歳程度の人を対象に書かれた本だと思うが、わたしもまだその範疇に入れておいてほしいなと、チラッと思わぬでもない。
厚かましいかな?

実はこの本の編集者は岩田一平さん。
わたしの『完本コーヒーカップの耳』を編集してくださった人です。
これはパンフレット。クリック。
「編集者から」の言葉の中に《著者のふるさとは神戸市の新開地です。》とあります。
ということで親近感も湧いてきます。
この後、阪神間の話題も出てくるようで、先を読むのが楽しみです。
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「気は病から」

2021-05-30 08:57:39 | 本・雑誌

『食べることと出すこと』(頭木弘樹著)だが、こんなことが書かれている。
《「病は気から」というが、「気は病から」でもあるのだ。(略)
私は中年になって初めて同窓会に出席した時に、ずいぶん驚いた。営業マンになった人は営業マンらしい性格になり、銀行マンになった人は銀行マンらしい性格になり、教師になった人は教師らしい性格になっていた。学生時代の性格とはずいぶんみな違っていた。(略)でも、そういう私は、病人らしい性格になっていたのである。》
(わたしも同窓会で、おとなしかった子が能弁な営業マンになっていて驚いたことがある。)

「そんな性格だから、こんな病気になったんですよ」と言われたことへの反論である。
《つまり、そういう性格だから、その病気になったのではなく、その病気だからそういう性格になったのである。病気によって形成された性格であるため、その性格をみると、その病気になりそうに見えるのだ。「病は気から」というが、「気は病から」でもあるのだ。》と、先の言葉になってゆく。

わたしも病身なのでよくわかる、と言ったら著者は苦笑いするだろうか?
「あんたはホントのところはわかっていない」と。「わたしの潰瘍性大腸炎という難病をあなたは知らない」と。

この本はスゴイ。誰にでも書けるものではないのは間違いない。というより、ほかの誰にも書けないだろう。
たとえ同じ体験をわたしがしたとしても、とても書けるものではない。こんな恥ずかしいこと。ただし、本来、恥ずかしいと思う必要のないことではありますが。

追記。
  読了。前半は少々面倒くさくて斜め読みしましたが後半は俄然興味深くなりました。
  よくぞこれほどのことを内面のことを含め吐露されたものだと思います。


『コーヒーカップの耳』
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「出すこと」

2021-05-29 17:30:09 | 本・雑誌
『食べることと出すこと』という本を読んでいて印象的な箇所に出合った。


《私の祖父は、私にはとてもやさしい人だったが、若いころはお膳をひっくり返して怒るような暴君であったらしい。
(略)
幼いころの父と祖母は、よく二人で抱き合って泣いていたらしい。
そんな祖母が病気で寝込んで、下の世話を人にしてもらわなければならなくなった時、意外にも祖父がそれをすべてやったそうだ。祖母が亡くなるまで、何年もずっと。
通常なら、嫁の仕事とされた時代だが、嫁にはやらせなかった。嫁というのが私の母だが、「あれは不思議だった」と言っていた。
(略)
祖母に屈辱を味わわせたくなかったらしい。
(略)
下の世話には、お膳をひっくり返すような男の態度まで一変させるような、何かがあるということか。》


これを読んで、なにごとかを考えてしまうのはわたしだけだろうか。

『コーヒーカップの耳』
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『西宮の橋梁』ほか

2021-05-28 10:59:52 | 本・雑誌
図書館までウォーキング。
以前元気なころは往復で約4000歩でした。
病後は自重して少しゆっくりと歩いていたので4300歩ぐらいでした。
今日は往復4045歩、40分。先日の検査結果が良かったのでしっかりと歩いてみました。

お借りしていた一冊を返却。
そして一冊お借りしたのが、『食べることと出すこと』(頭木弘樹著・医学書院)。



長男のお奨め本。「めっちゃ面白い」と。
で、すぐに図書館に予約を入れたのですが、10人ぐらい待ちだったかな?
やっと順番が回ってきました。

そして帰りに隣接する郷土資料館で購入したのがこれ。



『西宮の橋梁』(西宮市教育委員会)500円。
これに携わった学芸員さんにちょっとお話を聞こうと思ったのですが、今日は在宅勤務ということでした。またの機会にしましょう。

『コーヒーカップの耳』
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「その頃のこと」

2021-04-26 12:11:01 | 本・雑誌
一気に読めば一日で読み終えることができる本、『風の便り』(小山清・夏葉社)を、気が向いた時にぼちぼちと読んでいる。


今日読んだところで不審なことが。
←二段階クリック。
たった4ページのエッセイ、「その頃のこと」の一部。
右ページの中ほど、
 「私ははじめ」というところから6行。ワンセンテンスで書かれています。
ところがそのワンセンテンスの中に「が」で文を続けているのが3カ所も。
これは普通、文を書くものはやりません。悪文の見本のようなもの。
わたしにはどうしても違和感があります。
なぜ?太宰治に縁が深かったほどの作家がこのようなことを。
意識してのものなのでしょうが、わたしにはその意図がわかりません。
わたしの読み込み不足なのでしょうか?

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『きよしこ』

2021-04-22 08:34:54 | 本・雑誌
図書館からお借りしてきた本。



『きよしこ』(重松清・新潮社)です。

3月20日放映のテレビドラマの原作本です。
そのドラマ「きよしこ」を録画しておいて後日見ていたのですが、途中で終わってしまいました。
なにが原因かわかりませんが、これからいいところ、というところで。
がっかりして、すぐに図書館に予約を申し込んだのですが、予約者が多く、やっと昨日お借りできました。
重松さんの自伝的小説ということですが、これはいい小説です。

今日は4月22日。良い夫婦の日。49年か。あの日もいいお天気だった。
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「これっきり」

2021-04-17 13:54:49 | 本・雑誌
木皿泉さんの『毎日がこれっきり』を読み終えた。

期待通り良かった。
何時も本は「あとがき」から読むことが多いが、この本は今読んだ。
6ページもある長いあとがきだが、最後の三行。

《私は毎日、これっきりと思いながら歩いている。そう思うと、やたらいろんなものが光って見える。そして、その光った何かをひろって、あなたの心の戸口にそっと置くだろう。私のために。あなたのために。みんなのために。》

マネはできないけれどわたしも心に留めておきたい。

『完本・コーヒーカップの耳』
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『風の便り』

2021-04-16 10:46:27 | 本・雑誌
なんと静かな随筆だろうか。
『風の便り』(小山清・夏葉社)。



京都の善行堂さんを通じて購入しました。
小山清という昔の作家の随筆集。
まだ一篇読んだだけですが、まるで生まれたての赤ちゃんの肌に触れるような筆致。
これは一度に読んでしまうものではありませんね。
一篇読んだら、その余韻を味わって、また時をおいて読むものでしょう。
心がささくれ立っているときに読めばなおいいかも。
本文の中に数カ所、高橋和枝さんによる小さなイラストが貼り付けられています。
これも一つの景色。
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木皿泉さんと花森書林

2021-04-05 10:45:23 | 本・雑誌
木皿泉さんの『木皿食堂④毎日がこれっきり』(双葉社)を読んでいる。



主に神戸新聞に発表されたエッセイ集。
神戸新聞ですでに読んでいるのだが、もう一度読みたくて。
読んできて、今42ページだが、驚いた。わたしは本を読んでいてよく驚く。
《私達の持っていた物が店頭にずらりと並ぶことになった。何のことはない、家にあったものを古書店に売り払ったのである。ただ量が半端ない。二千冊の本と相当な数の雑貨類。あまりに量が多かったので、リニューアルオープンするお店の一階部分はほとんど我々の家にあったものを並べるという。何の関係もないが、自分のお店がオープンするみたいでちょっと楽しみである。店は神戸・元町にできるそうで、名前は花森書林。オープンは、今月だそうである。》
このエッセイは神戸新聞、2019年2月3日に発表されている。
しかしこれ、読んでなかったぞ!今初めて知ること。
そうだったのか、花森書林(移転以前はトンカ書店)さんには、そのリニューアルオープン直後に行き、その後もちょこちょこ行っているが、そうだったのか、である。
今も、行きたい古書店なのだが、このコロナ禍で行けていない。
「早くワクチンを」である。

『完本・コーヒーカップの耳』
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