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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「杉山平一追悼朗読劇」

2012-12-08 21:54:19 | 杉山平一先生

こんなのが、明日あります。「杉山平一さんの文学と人生」と題して。
http://www.library.takarazuka.hyogo.jp/access/nishi/nazuna2012.pdf
写真ちょっとお借りしました。2002
行けたら行きたいなあ。

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杉山平一さん、「雪」

2012-12-06 16:58:22 | 杉山平一先生

神戸市消防局『雪』12月号、「神戸ノート」のページにたかとう匡子さんが、杉山先生のことを書いておられる。
Img075←クリック
Img075_2←クリック
わたしたち杉山先生をよく知る者にとっては、すでに知っていることが書いてあるのだが、世間一般的にはそうではないですね。一人でも多くの人に杉山先生の素晴らしさを知っていただく上では、このような文章も貴重なのでしょう。
因みに、たかとうさんは今朝の神戸新聞にも記事が出ていたが『よしこがもえた』という詩集で注目された詩人です。その『よしこ…』を原作にした絵本が今話題に。田島征彦さんが絵をつけておられる。






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今ごろ?

2012-11-30 15:46:31 | 杉山平一先生

昨夜の歌曲コンサートの会場でお出会いした人から頂いた切り抜きです。
Img062_3
前月、10月21日に催された「杉山平一さんを偲ぶ会」の記事です。
え、今ごろ?という感じですが、まだ話題になっているということでもあるわけで。杉山先生の存在感の大きさを思わせられます。

ああ、それから、この前にちょっと書きましたが、来月、宝塚で、杉山平一詩などによる朗読劇があるという話。
上の切り抜きを下さった方の話によると、宝塚市長、中川智子さんもこの劇に出演される予定とのことです。
いいなあ、宝塚市長さん。つくづく西宮にもこんな市長さん欲しい。
Img048


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「杉山平一さんを偲ぶ会」記事

2012-10-28 10:03:32 | 杉山平一先生

今朝の神戸新聞に先日行われた「杉山平一さんを偲ぶ会」についての記事が木津川計さんの写真と共に。
Img014
木津川さんは心のこもったいいお話をされた。
そして、お孫さんの木股真理子さんの手紙の朗読も良かった。
この記事を書かれたのは多分平松正子さんだろう。この人、先生がお亡くなりになるちょっと前に西宮の初美さん宅に取材をしておられる。葬儀のとき涙をこらえておられた。
今回の偲ぶ会でも会場でお見かけした。

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「ビーグル」17号

2012-10-28 09:54:10 | 杉山平一先生

初美さんからお送り頂いた詩誌「ビーグル」17号。
Img011
特集号です。
「杉山平一 人と作品」
充実した内容で心に響きました。
中でもやはり、ご息女、初美さんが書かれた「父の最期」が胸を打つ。
ここに書かれていることの一端をわたしは初美さんから直接お聞きしていたが、こうして文章に残して頂けるのはありがたい。
Img016

Img015

身近におられたご家族だからこその文章です。

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「夜学生」

2012-10-24 08:27:05 | 杉山平一先生
時間が有る時、夜、家内とウォーキングする。
大抵9時過ぎに家を出て小一時間歩く。
歩数にして、私は4300歩ぐらい。彼女は4600歩程。
毎日一定のルートを歩く。
途中、定時制高校の前を歩く。
帰りがけの生徒たちが自転車置き場で喋っていたりする。
あるいはそばのコンビニの前で笑い声を上げていたり。
最近できたショットバーのような店(ガラス窓から店内がよく見える)に入っていたり。
定時制だから20歳を過ぎた生徒もいるのだろう。
そして昨夜はグランドに照明が灯っていた。野球の練習をしているのである。
パコ~~ン、パコ~~ンとボールを打つ音が校庭にこだましていた。
定時制高校も昔とは随分趣が変わったものである。
わたしは中学を卒業したあと、高校は一ヶ月で中退した。その時父が「定時制に行くか?」と尋ねたことがある。
しかし、わたしは行かなかった。かわりに読書をした。その当時の読書が今役に立っているかどうかは分からない。
今のような定時制だったら行っただろうか?
そこで杉山平一先生の若き日の詩。


夜学生


夜陰ふかい校舎にひびく
師の居ない教室のさんざめき
ああ 元気な夜学の少年たちよ
昼間の働きにどんなにか疲れたらうに
ひたすらに勉学にすすむ
その夜更のラツシユアワーのなんと力強いことだ
きみ達より何倍も楽な仕事をしてゐながら
夜になると酒をくらつて ほつつき歩く
この僕のごときものを嘲笑(わら)へ
小さな肩を並べて帰る夜道はこんなに暗いのに
その声音のなんと明るいことだろう
ああ 僕は信ずる
きみ達の希望こそかなへらるべきだ
覚えたばかりの英語読本(リイダア)を
声たからかに暗誦せよ
スプリング ハズ カム
ウインタア イズ オオバア


   ―『夜学生』1943刊 より
      平一、29歳の頃


1943年刊ということは昭和18年。わたしの生まれた年である。
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人を救った詩

2012-10-22 22:17:29 | 杉山平一先生

ちょっと前のページで、大谷典子という女性が、学生時代に杉山先生の一篇の詩に命を救われたという話を書いた。
「花火」という詩だったと。
わたし、調べてみました。
先生はたくさんの詩を書いておられるので「花火」も複数あるのではないかと思った。が、わたしが調べた限りではこの一篇のみ。


花火

 
  オスカーワイルドは書いていた  

 
  高く 高く 空高くあがって

 
  赤、青、黄色に爆発する筈の花火が

 
  どぶに沈められているのを

 
  
  

  
  自分のことが書かれているのだと思って

 
  それを読んで僕は泣いた

 
            『声をかぎりに』


全詩集のその目次のこの詩にわたしも〇印をつけていた。
大谷さんは、よほど心を挫けさせていたのだろう。その時にこの詩に出会い、胸の奥深く共感したのだろう。
杉山先生は、ほかにも人を助ける詩をたくさん書いておられる。ご自分が辛酸を嘗める経験をお持ちだったからだろう。

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またまた…

2012-10-22 15:59:30 | 杉山平一先生

木津川計さんのラジオ放送のCDをまた改めて聞いてみた。
杉山先生が亡くなられてまだ間もない時(5月30日)の放送である。
昨夜の木津川さんのスピーチも良かったが、このラジオ放送もいいなあ。
約8分だが、心に沁み入ります。
どうしても聞いてみたい人はわたしにご相談ください。

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さらに。

2012-10-22 14:13:48 | 杉山平一先生

さらに気になったスピーチ。
大谷典子さんだ。
この人少々個性が強そうな人。
「先生に命を助けて頂きました」と、過激な言葉が口からほとばしり出る、といった感じのスピーチ。自分の命が危ない時に、先生の「花火」という詩を偶然目にして、先生のとりこになり、オッカケのようになりました、と。それで救われましたと。最後は涙をしぼるように、先生が亡くなられたことが本当に辛そうに。そう言えば先生は読売新聞で人生相談のコーナーを持っておられて人気があったのだった。
わたし、その大谷さんのことに触れたブログを書いたことがあった。↓
http://blog.goo.ne.jp/coffeecup0816/d/20110107

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もう一つ

2012-10-22 12:43:14 | 杉山平一先生

昨日の「杉山平一さんを偲ぶ会」で、もう一点資料を頂いた。
「宝塚音楽祭」のパンフレットである

Cimg1732

この絵は元永定正さんだろうか?作風が似てるけどなあ。この人も晩年は宝塚の住人だったのではないかな?でもこの絵は違うんだろうな。
そして、中を開くと、こんな記事が。
Img004


読むと、先生、八千草薫さんとも対談しておられたのだ。この話、知らなかった。

宝塚映画のブログです。↓
http://takarazukaeiga.com/blog/



追記  

    ある人から情報を頂きました。下記、転載致します。

「宝塚映画祭」のロゴ、元永定正さんの作品です。【以下、引用】

宝塚映画祭のロゴマークおよび題字をデザインしていただきました宝塚市在住の画家・元永定正さんが3日、お亡くなりになりました。

 明るくユーモラスな作風の抽象絵画で知られる画家、元永定正(もとなが・さだまさ)氏が3日午後9時42分、前立腺がんのため、兵庫県宝塚市の病院で死去した。88歳だった。葬儀・告別式は親族のみで済ませた。喪主は妻の悦子(えつこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 元永さんは昭和30年代から阪神間を拠点に活動した具体美術協会のメンバー。また絵本「ころころころ」や「もけらもけら」など絵本の著者としてもご活躍されました。

 元永さんにお描きいただいたロゴと題字、これからも大切に使わせていただきます。本当にありがとうございました。

映画祭実行委員会一同 こころよりご冥福をお祈りいたします。



  ということで、元永さんで間違いではなかったようです。情報を下さったKさん、ありがとうございます。
 

 尚、元永さんは昨年10月3日にお亡くなりになっておられる。

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まだつづき

2012-10-22 08:37:10 | 杉山平一先生

名庭の間、入った所に、先生が描かれた絵がズラリと並べてあった。多くが6号~8号程度の油彩。
何れも素朴なタッチの先生の人柄を表わす絵。
今回カメラを持参しなかったのが残念。
その中で意外だったのはこの絵。
Img999
この絵は知っていた。いろんなところに使われている。
わたしも絵葉書を作成して使わせて頂いている。
意外だと言ったのは大きさだ。原画はもっと小さなカット絵だと思っていたら、やはり8号程度の大きさだった。
で、今回の参加者に配られたものに、絵葉書が三枚あった。
上のに加えて次の二枚。
Img001

Img999_2

うれしいなあ。コピーを作ってまた使わせて頂こう。

コメント (2)
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「杉山平一さんを偲ぶ会」つづき

2012-10-22 08:22:47 | 杉山平一先生

昨日の偲ぶ会についてもう少し。
多くの偉い人のスピーチが続いたのだが、途中で映像上映の時間が15分ばかりあった。
永井ますみさんが編集されたもの。永井さん、会が始まる前にわたしの所にやって来て「わたしが編集した映像を後で流すからね」と。
先生が朗読される姿のDVDと、たくさんの写真の上映。
わたしの知らない写真もあり、ご家族とくつろがれる姿はなにかうれしかった。

そして、先生の母校「旧松江高校」の卒業生4人による寮歌斉唱。これがまた良かった。出だしこそ緊張のせいか音程が外れておかしかったが、あとは見事に歌い上げられて、寮歌とはいいもんだなと実感させられた。
Img002会場で頂いたパンフレット。先生の高校生姿、いいなあ!

あ、そうだ、中川宝塚市長のスピーチにあったが、宝塚市の唯一の姉妹都市が松江市なのだと。「縁を感じる」とおっしゃっていた。

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「杉山平一さんを偲ぶ会」

2012-10-21 22:43:09 | 杉山平一先生

夕刻より「杉山平一さんを偲ぶ会」に行って来た。
大阪駅すぐそばの「ホテルグランヴィア・名庭の間」20F。
約200人が集う盛大な会だった。
わたしの席はお願いしておいた通り、後ろの方でありがたかった。
なのに、わたしの席を見た初美さんが「こんな失礼な席で…」と恐縮して下さった。「いえいえ、わたしが神田さんにお願いしていたのです。ありがたいのです」と申し開き?したことだった。ご家族は席順には関知してはおられないのだ。
少し早く着いたので隣の席を平原比呂子さんのために確保しておいた。テーブルだけが予め決められていたのだ。
来られて平原さん、「いい席ですねえ」とニッコリ。

司会は以倉紘平さん。人格者だ。

スピーチの最初は宝塚市長の中川智子さん。
良かった。心のこもったいいスピーチだった。政治家特有の舌先三寸ではない真心がこもっていた。こんな市長さん、西宮にも欲しいなあ。

あと、続々とスピーチが続く。
想像していた通り偉い先生が次々と。
それは仕方のないことなのでしょう。
けど中に胸を打つ言葉もあって、これは杉山先生のお人柄によるものだと確信する。

ああ、そうだ、木津川計さんのスピーチが良かった。木津川さんは元『上方芸能』の編集長で文化芸能評論家。ラジオの番組もお持ちで、杉山先生が亡くなられたあと、追悼の放送をされた。そのCDのダビングをわたしは初美様から頂いて聞いている。
木津川さんとは会が終わっての帰りにちょっと立ち話。そのCDのことも含めて「良かったです」とお話させて頂いた。もちろん木津川さんはわたしのことなんかご存知ない。

色んな人がスピーチをされたが、先生の教え子代表として阪上めい子さんがちょっと長めのスピーチをされた。まあ教え子だから持ち時間オーバーも許されるでしょう。
彼女とはブログ上でちょっと交流させて頂いたことがある。お姿に接するのは初めて。ブログ上で写真は見ていたが、その通りの美形だ。この人の話も先生の身近にいた人だけに良かった。

そして、何よりも誰よりも良かったのが、お孫さんの木股真理子さんの「おじいちゃんへの手紙」だった。
いいですねえ。
わたしは一番後ろの席で良かった。だれにも悟られずにハンカチを濡らしたことだった。
「わたしが悩んでいた時、おじいちゃんが『どんな悲しみも時間が癒してくれる』と言ってくれました」と。長文の手紙だったが、本当に良かった。みんな、みんな、じっと耳を澄まして聞いておられた。この話を聞けただけでも出かけて良かったと思う。

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杉山平一さんを偲ぶ会

2012-10-20 18:46:27 | 杉山平一先生

明日、大阪のホテルで「杉山平一さんを偲ぶ会」がある。
200人以上が参加されるらしい。
偉い先生方がたくさん出席されるのだろう。
わたしなどは場違いなのだが、出席の通知を出している。
隅の方から偲ばせて頂こう。

昨日ご息女の初美様から頂いた『季』に「杉山平一詩抄」というページがあり、その中の「たましい」という詩。これ好きです。


   たましい

僕のこの立小便は

晴れた野原の草に沁み土に沁みこんで

やがて かげろうとなつて天にのぼり

雲となつて遠く行き

オアフ島の上に降るであろう


一滴の水も減らず

一滴の水も増えぬ

この世にあつて

どうして僕の魂も

消えることがあろう


いつの日か一匹の犬となつて

ストックホルムの丘を走り

遂げられなかつた思いに向かつて

遠く高く吠えることであろう



これは多分、昭和20年前後の作品であろう。

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「父と暮らせば」

2012-10-19 20:03:38 | 杉山平一先生
詩誌「季」に杉山平一先生のご息女、初美さんがいい文章を書いておられるという情報を得て、初美さんにおねだりしました。

Img994 シンプルないい表紙だ。


 
ページ数90に満たんとする特集号である。
同人それぞれが杉山先生とご自分とのかかわりを書いておられる。
それは仕方のないことであろう。そんな中、先生のお人柄が表れている。
中に、初美さんの寄稿があり、それは別格だ。
「父と暮らせば」というタイトルもいいですねえ。
その文章は、こう始まる。


―父がこの世を去ってしまった。

 毎朝聞こえていた父の
 

 天声人語を読む声が耳に残っている。

 たどたどしく、

 でもしっかりとした声。

 最後に

 「オワリ!」と告げて

 新聞を置く。

 それから朝食が始まる。―   (行わけはakaru)

これだけで詩になっています。情景がありありと浮かびます。

約4000字の父を思う文章だが、心打たれて涙を催す。娘さんにしか書けない追悼の文だ。

明後日、大阪のホテルで「杉山平一さんを偲ぶ会」がある。参加者は200人に上ると。錚々たる人たちが集われるのだろう。わたしは、隅っこの方で偲ばせて頂くことにする。

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