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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

名古屋から

2016-12-03 08:35:50 | 足立巻一先生
昨日、初めてのお客様が。
足立巻一先生のファンだと。
わたしのブログ「喫茶・輪」に辿りついて、とのこと。
これまでそのようなお人が何人かあった。
横浜や滋賀県からの遠方からの人も。
今回は名古屋からわざわざ。
昔、わたしが子どもの頃にあったプロ野球球団「高橋ユニオンズ」のことを調べておられるお人だが、
その調査過程で夕刊「新大阪」を知り、小谷正一を知り、
そして足立巻一先生にたどり着き、
その文学に惚れこんでしまったと。
足立先生には直接お会いにはなっていない。
まだ40代のお若い人である。
わたしが持っている色んな資料を見せてあげると、
「うわっ!」と声を上げて喜ばれる。
出してあげるごとに驚きの声を上げて見入られる。
そして「写していいですか?」とカメラを向けられる。
足立先生の遺品の背広を見せて上げ、そして「着てみられてもいいですよ」と言ってあげると、
まるで子どものように喜ばれ、「写真撮って下さい」と。
また機会を見てお墓参りもしたいと仰るので、鵯越え墓地の地図もコピーして差し上げた。
どうやら、わたしよりも本物の足立先生ファンのようだ。
因みに、わたしのFBのカバー写真は足立先生の直筆色紙です。
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『兵庫の伝説』

2016-11-04 08:26:48 | 足立巻一先生
先日、横浜のK西さんからお送り頂いた足立先生の著書だが、もう一冊、わたしが所持している本があった。

宮崎修二朗翁との共著、『兵庫の伝説』(日本の伝説43 角川書店)。
なぜこの本を失念していたかというと、わたし、ちゃんと読んでいなかったのです。
本箱の奥に置いてるだけでした。
いまパラパラとめくってみると面白そう。
そして挿絵を描いておられるのが山下栄一さんだ。
山下さんには覚えがある。
いや、お会いしたわけではなく、昔、「宮っ子」に宮崎翁が拙詩を大きく紹介して下さった「文学の小道」というページに絵を添えて下さった人だ。
宮崎翁の息のかかった人ということだろう。
今ごろ気がつくなんて恥ずかしいことだ。
ちゃんと読もう。
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「文藝」’75年4月号

2016-11-03 14:17:05 | 足立巻一先生
先日横浜のK西さんがお送り下さった足立先生の著書の中にこんなのも入ってました。

「文藝」の1975年4月号です。
表紙にある通り「足立巻一先生と司馬遼太郎さんの対談記事が載っている。
「取材について」というタイトルで、二段組みで24ページにわたって掲載されている。
読ませて頂いたが、面白かった。
大体知っている話なのだが、改めて、司馬さんとの会話が面白い。
そして、足立先生の取材姿勢が大いに勉強になった。

ところがこの本、得るものは、それだけではない。
表紙です。
この絵!いかにも…ですねえ。
そう、今、神戸新聞で「この道」と題して自伝を連載しておられる横尾忠則さんの若き日の作品で「聖ジャンバラ・火其地」。
41年前ですか。
この原画は85センチ×57センチなのだが、この表紙絵は天地がかなりカットされている。残念ですね。
昔、横尾さんの展覧会を西宮大谷記念美術館に観に行ったことがある。
その時、絵はがきセットを買ったのだが、今もどこかに有る筈。
自伝のカット絵に使われているのもたしか含まれていた。

それから目次。
←クリック
小野十三郎さんのお名前が。
小野さんと宮崎翁のことは『KOBECCO』(2013年12月号)の「触媒のうた」第34回に書いた。

この「文藝」誌、色々と読みどころがあって楽しいです。
K西さん、ありがとうございました。
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足立巻一先生の著書多数を…

2016-11-01 17:23:46 | 足立巻一先生
一度だけお会いしたことのある横浜在住のK西さんから荷物が届きました。
予めお電話を頂いていたのですが。

K西さんは足立先生の大ファンですが、生前の先生をご存知ない方でした。
それで2年半前に、わたしのブログを知り、わざわざ横浜からやって来られたのでした。
そしてその時、神戸鵯越えの足立先生の墓所も教えて差し上げ、墓参されたのでした。
本物の足立ファンですね。
その時のブログです。
この度、足立先生の著書を「わたしが持っていても活用できないので」と言って提供して下さったのです。
「重なる本も多いでしょうから、それは自由に処分して下さい」とのことで。
たしかに、数冊を除いてみな所持していますが、わたしの周りの足立先生ファンの方に差し上げれば役に立つというものです。
左端から9冊は、わたし所持しています。
『大と真』、『足立巻一』(東秀三)、『人の世やちまた』、『親友記』、『足立さんの古い皮鞄』(庄野至)、『戦死ヤアワレ』、『夕刊流星号』、『関西おんな』、『石の星座』の9冊。
どなたか、「それは読んでいないから読んでみたい」という方があればお譲りしますのでお申し越し下さい(お一人一冊でお願いします)
「喫茶・輪」まで取りに来て頂ける方に限らせて頂きます。
先ずはコメント欄にお申し越し下さい。尚、そのコメントは公表しませんのでご安心を。

それから、このK西さんは、以前将棋もなさっていたということで、対局時計と、高級駒も一緒にお送り下さいました。

対局時計は、天才少年、I君を指導する時に使えます。駒も活用させて頂きます。
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足立巻一先生

2016-09-26 12:31:43 | 足立巻一先生
今日、午前中にあることでお会いしたH・Tさんとおっしゃる人だが、
話を進めるうちに足立巻一先生に昔大阪芸大で教えを受けたと。
お家にも行って、なにかお手伝いをされたことがあると。
人と人との縁に驚きました。
多分これから、あることでお世話になる人です。
足立先生のお引き合わせかも。
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8月14日は…

2016-08-14 11:53:39 | 足立巻一先生
今日、8月14日は足立巻一(けんいち)先生のご命日。31年になる。
ということで『KOBECCO』8月号には足立先生に関することを書かせてもらっている。
画面をクリックしてお読み頂ければ幸い。
←二段階クリックで。



『KOBECCO』8月号の記事の中には、杉山平一先生に少し関連のある写真も。
←クリック
これは芦屋の天神さん、芦屋神社。
先生の随想「春寒」や、詩「夜更けの坂」などに書かれているが、息子さんがご病気の時に日参された神社だ。
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「きのさきロープウェイ」

2016-04-11 09:10:31 | 足立巻一先生
先日行った「城崎文芸館」に思わぬパネルが。

足立巻一先生、若き日の写真だ。

≪「ひらけゆく電気」に掲載。「きのさきロープウェイ」と題されて、昭和38年に訪れた時の第一印象が書かれている。≫という説明。
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池田蘭子と『女紋』

2016-04-07 08:16:19 | 足立巻一先生
あることを検索していたら、こんなページに行き当たった。
これは驚きました。

講演&トーク&講談『女紋』
~池田蘭子と立川文庫の時代~

※ホワイエにて「池田蘭子と立川文庫」に関する展示を行います。

日 時 2016年3月19日(土) 開 演 14:00  (開 場 13:30)
会 場 芸術文化センター 神戸女学院小ホール

料 金 全席指定 \3,000
発売日 先行 2015年12月19日(土)
一般 2015年12月20日(日)

女流作家・池田蘭子の『女紋』は、大正時代に一世を風靡した“立川文庫”の誕生を中心に描いた小説です。昭和35年の発表後、TVドラマ化及び舞台上演(菊田一夫演出、山田五十鈴主演)されました。西宮に住んだ池田蘭子の足跡を辿り、講談で“立川文庫”の世界へといざないます。

■演目
[第1部] 講演「池田蘭子と立川文庫」
川東 丈純(兵庫県立図書館総務課長、芸名・ビブリオ堂ちんげんさい)
三味線:ビブリオ堂サンダリン
太鼓:ビブリオ堂オショーリン
[第2部] トーク「“女紋”と池田蘭子」 ※無声映画『猿飛佐助』上映
旭堂 南陵(講談師)
河内 厚郎(兵庫県立芸術文化センター特別参与)
[第3部] 講談「猿飛佐助」
旭堂 南陵


池田蘭子のこと、わたし昨年『KOBECCO』9月号10月号に詳しく書きました。
あの『女紋』は、足立巻一先生による仕掛けと、宮崎翁の努力とで出来上がった本だったということと、その裏話。
講演された川東丈純さんも、河内厚郎さんも知らなかっただろうな。
もし知られたらビックリでしょうね。

追記 『女紋』の池田蘭子のこと『触媒のうた』(2017年5月・神戸新聞総合出版センター)に詳しく書きました。
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文盲の人の遺書

2016-03-15 16:20:11 | 足立巻一先生
足立巻一先生の『やちまた』(中公文庫・2015年3月刊)の巻末エッセイを呉智英さんが書いておられる。
そこにこんなくだりが。

 ≪本書は、河出書房新社版が出た二十一年も後、1995年になって朝日文庫に収録された。長く入手困難で、人に薦めても読めないと言われることが多かったので、この文庫化は嬉しかった。その上巻巻末に詩人の松永伍一の書評が再録されている。それは次のように始まる。

  足立巻一氏の『やちまた』を読了するのに丁度半月かかった。
  その間、本らしい本を他に一切読まなかった。(略)


 私より十六歳も年長の詩人も、やはり私と同じように『やちまた』を没頭して読んでいたのだと思うと、何か私自身が評価されているような誇りさえ覚えた。(略)松永伍一の著作は、その七年前、まだ学生時代に読み、感銘を受けていた。1967年刊行の『荘厳なる詩祭』(徳間書店)である。(略)「きみの書いている詩が生命とおなじ重さであるか、という発問からはじめる」と、その冒頭にある。サブタイトルが「死を賭けた青春の群像」である。若くして死んだ十人余りの詩人を論じた重い一冊であった。
 しかし最終章だけはちがった。田舎に住む初老の農婦の話であった。この農婦、木村センは、詩人どころか、目に一丁字もなかった。ものの譬えではなく、全くの文盲であった。ひらがなさえ満足に読み書きできなかった。センは冬の凍った外便所で滑り、骨折して床についた。回復が思わしくなく、家族に迷惑をかけるのも心苦しく、センはある夜、柱の鈎金に麻縄を懸けて首を括った。
 後には、たどたどしい遺書が残されていた。(略)木村センが内心で死を決意してから、病床の中で幼い孫から字を習ったという事実が劇しく胸を撃つ。センは遺書を書くために、そのためだけに、字を覚えたのである。
 松永伍一が「死を賭けた青春の群像」である『荘厳なる詩祭』の巻末に、青春ならぬ老農婦のたどたどしい遺書を置いた意味は大きい。十数人の言葉に憑かれた青年たちの死、最後に言葉に賭けた老農婦の死。松永の言葉への烈しい思いが伝わってくる。松永が『やちまた』に魅せられたのも当然なのであった。≫


この呉智英さんの文章を読んでわたしは『荘厳なる詩祭』を入手した。

木村センさんの遺書をどうしても読みたかったのである。
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本居宣長についての誤解

2016-03-03 13:56:15 | 足立巻一先生
足立巻一先生の『やちまた』を再読していて、あれ?と思った。
次の一行。

≪(本居宣長)記念館の玄関左脇には、本居清造の歌碑が新しく建てられていた。
 大人たちのこゑもきこゆるけはひしてわけゆくふみのおくしづかなり≫


わたしはあの歌碑はてっきり宣長の歌だと思い込んでいた。
碑面が見えにくいということもあるが、歌をちゃんと読まずに、したがって意味を考えずに、宣長だと思い込んでいた。
写真があります。

1991年2月と裏書きがあります。25年前ですね。

本居宣長記念館です。

あるグループで松阪へ旅行に行ったのですが、わたしこの時、自分だけのわがままで「どうしても行きたい」と言ってここへ行きました。他の皆さんはあまり面白くはなかったかも知れませんが一緒に。
そしてこの歌碑の前で写してもらいました。わざわざコートを脱いだのを覚えています。宣長さんと足立先生に失礼になってはいけないと思って。

そうだったんですね。歌は宣長ではなく、本居清造だったんです。宣長の子孫であり、宣長の業績を整理して後の世に残すことに力を注いだ人。


わたしは今ごろ気づくバカです。

その旅行の時に記念館で購入した鈴。

春庭の後鈴屋に因んだもの。

「喫茶・輪」の奥のテーブルに置いてます。
用事のあるお客さんに鳴らしてもらうために。


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『詩のアルバム』

2016-03-01 17:02:59 | 足立巻一先生
今日はブログに書きたいことがいっぱいあって…。
先ほど、本が一冊届きました。

『詩のアルバム』(足立巻一著・1964年刊)です。

M岡さんという本が大好きな人から「ダブリましたので…」と提供して下さったのです。
M岡さんは毎日のように各地の古書店に通っておられる人です。
また、色々とわたしに資料を提供して下さる人でもあります。
ありがたいことです。
しかし本当にダブったのかなあ?
わたしに心の負担をかけさせないための気づかいでは?
わたしが足立先生の大のファンだと知っておられるので。
実はわたし、この『詩のアルバム』も後に出た再刊本を所持しています。
これは1980年刊。
内容は変わりませんが、大きく違うのは掲載されている写真です。
初めに出た本には再版本には載っていない写真があるのです。しかも再版本より紙質がいい。したがって写真もきれい。

ここに写っている扇風機ですが、もしかして杉山平一先生の会社の「アマコー扇風機」かと思ったが、型を見るとどうやら違うようですね。

M岡さん、ありがとうございました。
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足立巻一先生と田岡香逸氏

2016-02-17 17:29:18 | 足立巻一先生
驚いた。
今日、宮崎翁のお話の録音を聞いていて「アッ!」と声が出た。
わたし、お話は聞いてはいたのに。今日録音を聞いて改めて驚くとは。
突然、西宮の歴史家、故田岡香逸さんのお名前が出て来たのです。
「足立さんが書いてますけど」と。
わたし、あわてて足立先生の『石の星座』を出してきました。

多分この本だろうと思って。
すると「播磨の古法華山」という項のなかに「在野碩学の手記」と題して。

≪この石仏は昭和30年、甲陽史学会の田岡香逸氏らの調査によってはじめて世に知らされ、白鳳の優品であることが明らかにされた。≫
と始まるその文章は足立先生らしく情愛に満ちたものになっていて感動する。
 ←二段階クリックでどうぞ。


実はつい最近、田岡香逸氏のご子息とお話ができて、香逸氏のことを調べていたとこだった。
これはまたまた偶然なのでしょうね。
まさか足立先生が香逸さんのことを書いておられたとは。いや、わたしは過去に確実に読んでいたはずなのですがね。どうも頼りないことで。

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『きりん』

2016-01-01 15:23:12 | 足立巻一先生
年賀状は午前9時半ごろ来た。
たくさん頂いたが、中にわたしの方からは出してはいない人からも。
それが17通もあって、午後返礼を投函。
その後、家にいると聞きなれたバイクの音が?
郵便屋さんのバイクの音と一緒だ。
今日はもう郵便は来ないと思っていた。
しかし気になって郵便受けを見に行くと入っていた。
いや、年賀状ではありません。封筒が2通。
そのうちの一通が、いつもお世話になっている古書店さんからのもの。
え?わたしいま何も注文してないけどなあ?と思って封を開けてみると古い『きりん』が4冊入っていた。
これ注文はしていません。
おかしいなと思ったら、「売るにはためらわれるので、どうぞ…」と。
うれしいなあ。
昭和34年、35年の『きりん』です。

子どもたちの詩や作文とともに足立巻一先生、竹中郁さん、坂本遼さんの文章がいっぱい載っている。
この正月に読ませて頂きます。
Kさん、ありがとうございました。
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「『きりん』の絵本」

2015-12-24 16:03:06 | 足立巻一先生
神戸新聞夕刊の「次の本へ」の記事の中に「『きりん』の絵本」の話が。

たしかこの本、非売品だったと思うがわたしも架蔵しています。
浮田要三さんが「夕暮れ忌」で講演されたことがあってその時だったかな?
それはいいんです。
この記事、担当は堀井正純記者。
うちの店にも昨年暮れごろにお出でいただいた記者さん。
また菅原洸人展の会場でもお会いしたりと知遇を得ております。
しかし堀井さん、今日の記事、ちょっとだけわたし気に入らないところがあります。
一番下に書いておられる紹介記事。
「『きりん』の絵本」にこうありますね。
「浮田要三、加藤瑞穂、倉科勇三著。2008年、きりん友の会刊。1948~62年に大阪で発行された児童詩誌「きりん」の表紙絵を原寸大で収録。「きりん」にはひょうごゆかりの詩人竹中郁、坂本遼らもかかわった。」
これはいけません。
「ら」てどなたですか?
足立巻一先生は「ら」ですか?
竹中郁、坂本遼さん亡きあと、最後まで頑張ったのは足立先生ではないですか!
そして灰谷健次郎さんも。
わたしちょっと怒ってます。ね、堀井さん。
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戦死ヤアワレ

2015-12-19 09:11:56 | 足立巻一先生
昨夜、テレビを見ていてちょっと驚くことが。
映画監督、山田洋二さん、俳優、美輪明宏さん、二宮和也さんが出演していた番組。
なかなかいい対談番組だった。
今ヒットしている映画「母と暮らせば」についての話題の中で、二宮演ずる浩二は竹内浩三がモデルの一人だという。
これには驚いた。
竹内浩三に関しては、足立巻一先生が評伝を書いておられる。
浩三のお姉さんにも直接取材して貴重な遺品を見せてもらったりしておられる。
『戦死ヤアワレ』(新潮社・1982年刊)。

足立先生は、こんな仕事もしておられたのだ。
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