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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

足立巻一先生の地の言葉

2023-10-23 13:22:53 | 足立巻一先生
この前書いた「足立先生の言葉」ですが。
活字化しました。

この聞き書きは、元々取材したわけでもなく、録音したものでもありません。
一日、足立先生のお供をした中で先生の口をついて出た言葉をわたしが記憶し、帰宅してから思い出して記録したものです。
なので先生の地の言葉です。
先生が書かれた文章からは知ることができない、先生の素の人柄が現れています。
また竹中郁についての話は、「評伝・竹中郁」を書く動機をお話しくださっていて貴重かと思います。
ということで、この原稿をどこかに発表したいと思っているのです。
資料として残るところに書いておきたいのですが、どこがいいかなあ?
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足立先生の言葉

2023-10-18 08:45:36 | 足立巻一先生
こんなのを記録してたんだ。
赤穂まで取材に行かれたのに同行させてもらった時に聞いたことを、帰宅してから思い出して書き留めたもの。


昭和60年2月17日。先生がお亡くなりになる半年前だ。
この日のことは先生の著書、『日が暮れてから道は始まる』に載っています。
6枚にビッシリと書いてます。
なんでもない、こんな一言も。
「なつかしいですなあ」(上郡駅の待合室の椅子の座布団を見て)。
ほかに詩に関しての貴重な話もいっばい記録している。
一部はすでにどこかに書いたと思うが、全部はまだ発表していない。
どこに発表しようか。
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足立巻一先生の声

2023-08-17 19:20:54 | 足立巻一先生
必要というより、聞いてみたくて出してきました。
足立巻一先生のCD。



昭和58年。
NHK第二放送。
カセットテープに録音したのだったが、後にCDにダビングしたもの。
聞いてみたが、足立先生独特の早口が懐かしかった。
ただ、途中、音が切れているところが何カ所かあった。
なんでかな?

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イマムラキンジ

2023-08-12 13:12:09 | 足立巻一先生


全日空、御巣鷹山の事故から38年。
その時の乗客名簿。
http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
この中に「今村欣治」という人があります。
事故当初、メディアで報道されたのは漢字ではなく、カタカナでした。
「イマムラキンジ」と。
わたしと同姓同名。
しかも年齢まで同じでした。
わたしが死んだと思われても仕方なかったのでした。
しばらく我が家はざわついたものです。
入院中の足立巻一先生も「教え子が乗っていた」と嘆いておられたと後日聞きました。先生は、その二日後の8月14日に急性心不全でお亡くなりになったのでした。
いつまで経っても忘れられません。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことが詳しく。
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『ぼくもいくさに征くのだけれど』の足立巻一先生と桑島玄二さん

2023-08-11 18:39:09 | 足立巻一先生


『ぼくもいくさに征くのだけれど』の中に、著者稲泉さんによるこんな記述がある。
《(略)高橋庸治さんを訪ねた。彼は2002年現在、松阪市の本居宣長記念館の館長をしていた。》
ここからあと、20ページほどにわたって、足立巻一先生と桑島玄二さんの話が詳しく出ている。
この高橋館長さんは、足立先生の著書『戦死ヤアワレ』にも登場する。
ほかにもわたしの知る詩人、たかとう匡子さんまで登場している。
参考資料のページを見ると、東秀三さんの名も見える。あら、知った人いっぱいだ。

因みにわたしが本居宣長記念館を訪れた時の写真。

若いですって?そんなことないでしょ。ほんの32年前の1991年2月のことです。

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竹内浩三のこと

2023-08-08 13:45:30 | 足立巻一先生
原稿を書くために読む必要が出てきて、『無名兵士の記録 戦死ヤアワレ』(足立巻一著・1982年・新潮社刊)を出してきた。



その最後の章、「戦死ヤアハレ」を読んだ。40年も昔に読んでますが、さすがに具体的な内容はほとんど忘れてます。
本の表題は「アレ」。しかし章のタイトルは「アレ」になっている。
これは足立先生の工夫ですね。

本の間から思わぬものがでてきた。



六段のマッチのラベル。足立巻一先生の色紙を使ってあるもの。
懐かしい。

それは別として、桑島玄二さんが出てきて、この本と深い関わりがある。
足立先生が情報提供し、重要な人を紹介し、桑島さんは良い本を出版することになる、そんな話が出ている。
その本、『兵士の詩 戦中詩人論』(理論社)、『純白の花負いて 詩人竹内浩三の”筑波日記”』(理論社)、そしてこれは編集工房ノアからの『物言わざれば』(編集工房ノア)の計三冊。
これらもわたしは持っているはずだと探したが見つからない。
どこかにあるんだけどなあ。
あの震災以来、わたしの昔の書斎は物置になってしまっていて、本が無茶苦茶になったまま、整理がついていない。
どうしたらいいんでしょうか?
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田辺聖子の卒業写真に足立巻一先生が

2023-07-23 20:53:27 | 足立巻一先生
図録『田辺聖子の世界展』を見ていたら、こんな写真があった。



大阪文学学校の卒業写真。昭和32年。
足立巻一先生が写っておられる。
この写真は初めて見ます。
足立先生が文学学校で聖子さんを指導しておられたことは広く知られるところで、
先生も「次々に作品を提出してくるので評するのが大変だった」という意味のこと発言しておられる。

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『ありとリボン』の周辺

2023-06-23 13:52:50 | 足立巻一先生

『ありとリボン』(山口雅代著・編集工房ノア刊・2200円+税)を読み終えました。
著者山口雅代さんが子どもの時に作られた詩集の新版です。
こどもの詩というわけです。
いい詩がいっぱい。でも紹介するのは2篇だけにしておきます。



「白いふね」と「いなかことば」です。
「めくって」という言葉が斬新ですね。そして、「いなかことば」ですが、昔、わたしの妻の故郷、出石の奥小野ではカラスが方言で鳴いていたのを思い出しました。
あとの詩はこの本を入手してお読みください。みな素晴らしいです。

ここではこの本の周辺事情を紹介します。
「はじめに―「新版」発行に際して」です。現在の雅代さんが書いておられます。




これでこの本の凡その事情が分かります。

そして「はしがき」。これは初版発行時の竹中郁さんのもの。




巻末近くに「母から雅代へおくることば」というのがあります。

母心がよく出ています。

そして「雅代からお母さんへ」。


年譜です。



これは貴重。
詩人の名前が載ってます。
竹中郁、小野十三郎、足立巻一。
あのころの詩人は、こういった弱い立場の人の才能を評価したら、骨身を惜しまず励まし、そして実際に世に出す手助けをなさっていたのです。
ここに名前は出ていないですが、「國際新聞」というのが出てます。年譜の年を勘案すると、これはきっと宮崎修二朗氏が取り上げたのでしょう。
そこから表紙絵の初山滋にもつながって。
素晴らしい大人たちがいたということで。

足立巻一先生の言葉。

足立先生は特に弱い立場の人に優しかったですからね。

これは浮田要三さんの紹介文。




このあと、黒田清さんも「山口雅代さんとの出会い」と題して書いておられますが、割愛させてください。

そして巻末。

著者ご本人の近影と奥付です。
編集工房ノアの涸沢純平さん、編集ご苦労様でした。
ありがとうございました。

『触媒のうた』 宮崎修二朗による、小野十三郎、足立巻一、竹中郁などのユニークなエピソードがいっぱい。









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『ありとリボン』

2023-06-22 09:49:07 | 足立巻一先生
興味津々の本が届きました。



新版『ありとリボン』(山口雅代著・編集工房ノア刊)2200円+税。
序文を竹中郁が書いてます。
この本についてはまた改めてご報告します。

『コーヒーカップの耳』 足立巻一先生にお読み頂きたかった本。
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灰谷健次郎さんと足立巻一先生のこと

2023-05-12 11:23:39 | 足立巻一先生
灰谷健次郎さんの『天の瞳』を読んでいるのだが。

この際、灰谷健次郎さんと足立巻一先生のことで思い出すことを書いておこう。
これまでどこにも書いてなかった(と思う)こと。
先ず、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でのこと。

初期のころに一度灰谷さんが出席されたことがあった。
足立先生の奥様は出席されていたかどうかは覚えていないのだが、灰谷さんが次のようなスピーチをされた。
この通りではなく、要点のわたしの記憶。
「足立さんを僕は自分のお父さんだと思っています。まだ亡くなられたことが信じられないし、受け入れられません。
だからこれからも足立さんへの郵便物は足立巻一様で出します。奥さま宛には書きませんので、奥様お許しください」と。
もちろんこれはスピーチの一部ですが、この部分だけをわたしは記憶しています。

次に、最後に足立先生にお会いした時のこと。
わたしが先生に話しました。「灰谷さんを批判する本が出ていますが」と。
その本は『優しさまとめて花いちもんめ』(玉田勝郎著・風濤社・1984年10月刊)。
強烈な灰谷批判の本です。



すると先生は即座に「灰谷はいちいち相手にならないでしょう。彼は作品で答えますよ」と。
しかし、その時一つ、灰谷さんを批判して、「あんな本を出して…」と言われました。
そのあんな本とは、『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』(灰谷健次郎編・理論社・1983年10月刊)。



わたしはその後、この本にはずいぶんお世話にななったものでした。
口頭詩についての講師を頼まれた時に大いに利用させてもらったのです。
しかし足立先生は「安易です」と。
これまで出した本からピックアップしただけのもので、出版社の「売らんかな」に乗せられたものだと。
もちろん足立先生ご自身が理論社から本を出しておられて、社主の小宮山量平さんを信頼し評価はしておられましたが。
この本についてはご不満のようでした。
「新しいものを出さねばなりません」とおっしゃいました。
要するに「苦労しなさい」ということだったのでしょう。
ただし、この本の中には次のような灰谷さんの言葉があります。
《足立さんとの出会いがなければ、今のわたしはないとしみじみ思います。》と。

時系列を書いておきましょう。
『お星さんが…』は1983年10月刊。
『優しさまとめて…』は1984年1月刊。
わたしが直接足立先生から話をお聞きしたのは、1985年2月。
そして、灰谷さんのスピーチをわたしが聞いたのは、多分1985年秋の最初の「夕暮れ忌」。

思い出すままに書きました。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことを詳しく書いてます。


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「雑歌」

2023-04-25 09:36:04 | 足立巻一先生
今朝の神戸新聞、鷲田清一さんの「汀にて」に注目。

「雑歌」という言葉が出てくる。
これは、足立巻一先生の詩集「雑歌」に直結する。先生もその意味でつけられたのだった。



この詩集が先生の最後の詩集だったと思う。

その詩集にわたしはサインをしていただいている(38年が過ぎて字が薄れている)が、わたしの名前を間違って書かれた。
「欣」を「均」と。



先生は「しまった。、間違った」と言われたが、わたしは「いいです、いいです。これも思い出になりますから」とそのままにしてもらったったのだった。
折に触れ、思い出す。それが先生と最後にお会いした日だった。
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竹中郁と小磯良平 特別展

2022-11-06 08:34:05 | 足立巻一先生
今朝の神戸新聞「総合」ページ。



竹中郁と小磯良平 特別展の記事。「竹中郁と小磯良平——詩人と画家の回想録」。
偶然といっていいのでしょうか、わたし最近竹中郁に関して原稿を書いたところでした。
短歌誌『六甲」12月号のために。
竹中郁の直筆ハガキがうちには数通あって、そのうちの一枚の写真を示しながら書いたのでした。
ただし、わたしの原稿はここに書いてあることとは違うことです。

この記事の中に、足立巻一先生の名前も出ています。
《竹中の伝記作者で詩人の足立巻一が指摘した、根底で通じる「清潔感」。》とあります。

この企画展、12月18日までとのこと。都合がつけば行ってみたいが。

『触媒のうた』 竹中郁に関する秘話も出てきます。
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41年前の宿題が

2022-08-30 10:30:23 | 足立巻一先生
昭和56年だから、今から41年前。
尊敬する足立巻一先生から与えられた宿題があった。
折に触れ気にしていたのだが、それが今日、突然解決した。
当時、詩の新聞投稿欄で、足立先生に特選にとってもらった詩の評に、先生はこう書かれていた。
《庄野潤三氏にこれと少し似た美しい短編小説のあるのを思い合わせた。》と。
その後わたしは、庄野潤三の作品に興味を持ちながらも集中して探すということはしなかった。
機会があって読む時には気にするという程度で。
で、今日読んでいたのは、先日図書館のリサイクル図書の棚から戴いてきたこの本。

これに載っていました。
41年ぶりに宿題を果たした気持ちです。
このこと、エッセイに書きます。
多分11月号の「KOBECCO」に。

『コーヒーカップの耳』おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
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間違いに気づく

2022-07-15 16:24:50 | 足立巻一先生
あることを調べるために足立巻一先生の本『親友記』を見ていて、以前「六甲」に書いた随想に間違いがあったことに気づいた。

2021年7月号「六甲」である。
「たノンます」と題して書いたもの。
「天秤」という足立先生が主になって出しておられた同人誌のことだが、その終刊をわたしは、昭和51年11月号であろうと書いた。
しかし、『親友記』にはこう書かれていた。
《『青騎兵』の延長であった同人誌『天秤』も五十三年十一月、第四十六号を出して自然終刊となった。みんなくたびれていたのである。》
迂闊なことだった。
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馴化

2022-07-01 14:02:41 | 足立巻一先生
今朝の神戸新聞「正平調」
を読んで思い出した詩があります。
足立巻一先生の「中原」です。

「正平調」のテーマに通じますね。

『触媒のうた』足立巻一先生の秘話も載ってます。
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