西宮文化協会主催の講演会を聞きに行ってきた。
西宮神社会館。時間ぎりぎりに行ったのだがほぼ満員の盛況だった。
講師は小西巧治さん。
「輪」へも何度かご来店頂いている。
この人は村上春樹の熱狂的なフアン。
で、春樹と西宮芦屋との関連を詳細に研究しておられる。その追求ぶりは誰にも負けないであろう。
でも今日の講演会、わたしは、西宮の風土と文化との関連を話された前半の方が良かった。ある程度知っていることとはいえ、その中に勉強になることが多々あった。
村上フアンにとっては後半の春樹と西宮に関することが面白かっただろうが、わたしもう一つ、村上文学に接していないのと、小西さんのその手の話は彼のブログでこれまでに詳しく見せて頂いているので新鮮ではなかったということ。でもしかし、彼、村上春樹の、小説などに登場する場面の多くに西宮がモデルになっている(西宮神社・旧西宮図書館・甲山・夙川・今津灯台など)ことを例を上げて世界に発信することは価値あることであろう。
西宮の地域情報誌「宮っ子」9、10月号が出ました。
この情報誌は隔月出版です。ということで年に6回。
中の4ページ分が各地域の編集委員で作られています。
ほぼ小学校区。多分40区域ぐらい?
そしてこれが用海版、トップページです。
下段の囲み記事にわたしが一文書いてます。
しかしこの文体、わたしのものではありません。
多分、市の担当者が編集段階で変えてしまったのでしょう。
わたしはブログは敬体で書くことが多いですが、こういったところへは常体で書くことにしてますので。これは少し軟弱な文体になってしまってます。
ということで、この「真砂中学校」という校名、わたしが名付け親と言っても過言ではないのでは?ちょっと自慢。
昨日、「宮っ子」用海版の「わが町この人あり」9月号のインタビュー取材をした。
ある町の自治会長さんだが、わたしはこれまで言葉を交わしたことがなかった。
お話ししてみて、これまでの自治会長にないタイプの人で新鮮だった。
実にスマートな人だった。
2時間近く、思わず長時間のインタビューになった。
これで、このシリーズ、50回目である。
多くの無名人の人生ドラマを聞かせて頂いた。
まとめれば十分一冊の本になる。
宝くじが当たったら出版しよう。
用海小学校の卒業生に鈴木悌一という人がある。
用海小学校100周年記念誌に堀内泠氏がこの人のことを詳しく寄稿しておられる。立派な学者であり、後には画業でも力を発揮されたと。
そして、最近、堀内氏のご子息、陽光さんからお聞きした話として、鈴木悌一氏の絵画を冷氏が用海小学校に寄贈されていたと。
この絵、わたし見たいと思いました。
今日、学校で将棋クラブの指導がありましたので、帰りにちょっと校長室へお邪魔しました。
新校舎になってからは初めての校長室です。
幸い、ご在室でした。
「ちょっとお尋ねしたいことがありまして…」というと、
一瞬、校長先生の顔に緊張が走りました。
わたし、別に難題を持ち込むつもりではありません。
わけを言うと笑顔で対応して下さいました。
すぐにはわからない様子。調べておいて下さるそうです。
しかし、最近、校長先生をお若く感じる。
校長さんといえば、少し前までは、自分より貫禄があり、年長者然としているものと思っていた。
ところがお若いのだ。
いやいや、勘違いしてはいけない。
自分が年老いたのだ。
そして、今の校長さんがまたお若いのだ。
前の校長は、ちょっと老けておられたか?
今日は「輪」が、お昼ちょっと忙しくて行けるかどうかわからなかったが、なんとか…。
会場の西宮神社会館に着いたら一分前だった。椅子に腰かけたらすぐに始まった。
あわてて家を出たのでカメラを忘れた。残念。
講師の土井さんの話はわかりやすかった。
自分が如春斎に興味を持ったきっかけから話を起こし、西宮との関わりをスライドを駆使して説き、系譜を図示しながら、如春斎の仕事を理路整然と紹介してゆく。土井さんは頭のいい人だ。さすが。
これまで如春斎などという絵師は知らなかったが、立派な人だったのだと確認させられた。
しかも出身が、浜東之町だと。ということは用海、石在のあたりだ。しかも戦前の信行寺さんには立派な襖絵があったのだと。その信行寺が菩提寺だったと。
わたしの場所から身近な人だったのだ。
さらに、うちの旦那寺の茂松寺さんにも作品があるのだと。縁が深いではないか。
他にも、葛馬さんなど、身近な名前が出てきた。
終って、展示されてた軸や屏風を見せて頂いたが、鷹の図などは素晴らしかった。
行って良かった。少し賢くなった気がする。
土井さんにご挨拶して帰ろうと思ったが、どなたかとお話しされてて叶わなかった。ゴメンナサイ。
用海小学校の創立100周年記念誌(2001年)を見ていて、不審な写真が。
この写真、昭和36年ではありません。
単にプールが写っているというだけでこれを載せたのでしょうが、後に誤解を生む種になりかねません。
背景に阪神高速道路3号線が写っています。
3号線は昭和41年に一部開通していますが、西宮の辺りは45年だそうです。
そして何より、わたしの家が写っています。二階建の。
昭和36年は父が死んだ年。葬式の時、たしかにプールは工事中でした。
家はまだ平屋でした。後に建て増したのです。しかもその後の建て増し部分は昭和45年前後だったと思います。
この「創立100周年記念誌」は他にも不審な個所がある。
こういう本は、後々の貴重な資料になるものだから、余程慎重に編集しなければいけないでしょう。
ジュニア野球の「用海サントス」が初優勝と。
慶賀なことである。
わたしの知った子もたくさん在籍していた。
このチーム、昔ちょっとした問題起こしました。
いや、決して子どもに問題があったわけではありません。
当時の指導者に疑問が。
前にも取り上げたかもしれないが、学校の卒業式に野球のユニホーム姿で出たのでした。監督の指示でした。学校長、困っておられました。その理由、前に書いたので略します。
そして、今日、この記事を見て思うのは、ヘッドスライディングのことです。
写真が上がっており、「闘志あふれるヘッドスライディング…」とキャプションがついてます。
危険では?
最近プロ野球のテレビ中継を見ていても、解説者が「あれは危険です」と言ってます。落合さんも、そして福本さんは特に。
リトルリーグでは禁止になっているようです。http://sendaiwest.blog.fc2.com/blog-entry-180.html
プロでも危険と言っているのを少年野球で推奨するような記事はいかがなものでしょうか?
それはともあれ、「用海サントス」さん、おめでとうございます。
明日は「宮っ子バスツアー」。
昭和58年が第1回目。もう31回目です。
わたし、バスの中でのおしゃべり役なのです。
http://miyakko.nishi.or.jp/MIYAKKO-SYSTEM/Found_Page?gou=322&areacd=25&page=2&previous=previous
お天気が心配だった。
ここ一週間、天気予報を見ていたら、19日はずっと雨予報だった。
仕方ないと諦めていた。
ところが先ほどネットで見たら、曇予報になっていた。
これ信じます。
今朝の神戸新聞、阪神版に『西宮の地蔵』の記事が。
この本、先日、西宮郷土資料館からお贈り頂きました。
で、昨日のことです。
地蔵さんについての情報が入ったとこです。
うちの隣の地蔵さんの分家が津門住江町にあるのですが、それを世話する人がなくなって、さて今後どうするかの相談を受けました。
その地蔵さんは大正時代にうちの隣の圓満地蔵尊の境内から移されたものなのですが、これには面白いエピソードがあって、最近、西宮文化協会報に原稿を書きました。6月号か7月号に掲載されるようです。
丁度、このタイミングでこのような話が来るとは!
上記の本にも、このお地蔵さんの記録は載っています。
郷土資料館で500円で頒布されています。興味のある方はお求めください。400部限定なので品切れの可能性もあります。
「宮っ子」5,6月号が出ました。
わたしの担当ページは「わが町この人あり」
http://miyakko.nishi.or.jp/MIYAKKO-SYSTEM/Found_Page?gou=322&areacd=25&page=4&previous=previous
石田たみゑさんのインタビュー記事を載せてます。
ドラマチックな人生の話。
しかし、ホントはこれだけではなく、もうひとつドラマがあって、それを話の落ちに書いていたのですが、原稿をお見せしたら、「これは書かないで下さい」と言われたのでした。
ちょっと残念でしたが人のプライベートに関すること、仕方なく削除したのでした。