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喫茶 輪

コーヒーカップの耳

馬場順三さん

2015-12-03 12:01:20 | 西宮のこと
元西宮市長の馬場順三さんがお亡くなりになったと。

馬場さん、まだご健在だったのだ。
馬場さんの後の山田さんがお亡くなりになっていたので意外だった。
馬場さんでは、わたしに思い出がある。
いや、直接交流があったわけではありません。
1992年ですからもう23年前のこと。
市長選挙がありました。
この時わたし、一生一度の選挙運動をしました。
馬場さんの対立候補、小林久盛さんを応援したのでした。
あんなに一生懸命にやったこと、忘れません。
しかし負けました。
馬場さんには自民党も社会党も右から左まで共産党を除くすべての政党がつきました。
小林さんは選挙下手でした。
根回しが下手でした。
ただ清潔なだけでした。資金力はボロ負けでした。
清潔なだけでは選挙は勝てないんだと心底思いました。
もう一生、選挙運動はしないでおこうと思ったのでした。
馬場さんの逝去から取りとめのない話でした。

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「西宮という街」いくつかの写真。

2015-12-02 09:59:47 | 西宮のこと
昨日見てきた「西宮という街」写真展だが、228枚のうち、少し写してきた写真がありますので紹介しましょう。いずれも写真をクリックして頂くと拡大されます。二度クリックするともっと大きくなります。
これは本町筋にあった辰馬汽船(右手の建物)。戦災で崩れたままの残骸がまだ最近まであったような気がするのだが…。

西宮の裏町。遊郭ですね。わたし、色々昔の人を取材しましたが、「子どもの頃、店先にきれいな人形が飾ってあって、見に行って追い返された」というようなお話を聞きました。


旧市役所庁舎です。前にソテツの木があります。この写真と同じアングルの版画がうちにあります。上原勝一さんという人の作品。一時店に飾ってましたが、今すぐ出て来ません。


さてこれは泉町の街角。
自転車は米屋さんの配達自転車。横にプラッシーというオレンジジュースを宅配するための袋をぶら下げています。多分「泉米穀店」の店員さんでしょう。昭和33年ということはわたしはまだ15歳。わたしではありません。因みに泉米穀店さんは兜(かぶと)さんという珍しい名字だった。


香櫨園浜にあったマリンプール。海と両方に入ると、こちらは水が冷たかった。
右上にヨシズの屋根が見えますが、釣り堀です。
漁師さんが獲ってきた魚を入れてました。
この店番をしていたのに、今、用海町に住む佐伯さんのおばあちゃんがおられます。まだお元気ですが、そのころは娘さんでした。


市西が甲子園に出場。
丁度、わたしの年代です。中学の同級生(文字通り同じクラスの子)がプラカード持ちをしました。

 
甲山。頭禿げてます。頂上から西宮の街が一望できました。
今は雑木が育ち過ぎて全く見えません。
なんとかならないかなあ。
市長さん、予算付けて下界が見えるようにして下さい。
そしたら孫を連れて上がりたいです。


吉原製油。この海側に細い道があって、そこを通って甲子園海水浴場へ行きました。
豆油の独特の匂いが漂ってました。思い出すとまだ鼻先にその匂いが…。
吉原製油の御曹司が芸術団体「具象」を立て上げた吉原治良です。


日本盛。わたしの家のすぐ前です。

ほかにもたくさんいい写真があります。
もう一度見に行きたいなあ。

これらの写真についてのお問い合わせはこちらへ。

西宮市総務局総務総括室
総務課(情報公開・公文書担当)公文書・歴史資料チーム 
662-0918 西宮市六湛寺町3-1 市役所東館8階
電話番号:0798-35-3798 ファックス:0798-35-2801

『コーヒーカップの耳』(今村欣史著・朝日新聞出版)
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「西宮という街」写真展

2015-12-01 16:56:39 | 西宮のこと
~西宮市制90周年 西宮歴史資料写真展 「西宮という街」~へ行ってきました。
もちろん今日も徒歩と電車で。


途中、フレンテホールへ寄りました。
木津川計さんの一人語り劇場の前売りチケットを購入するため。

ところが、火曜日はお休みでした。
ということで、先日と同じように、そこから阪急今津線の「阪神国道駅」まで歩いて北口へ。


会場に入って驚きました。
素晴らしいのです。写真点数228枚。
これまでに見たことのない、初公開の懐かしい写真がいっぱい。




会場では「今津歴史塾」の講師、曲江さんともお会いした。
そして、この催しを企画した西宮市情報公開課の一員T田さんとも。
他にも、与古道町の古川さんとも。
古川さんは、今では用海地区の生き字引です。

展示写真の詳細はまた改めてということで。

写真集を求めました。
一冊1000円です。


「うわっ、100人目です」と係の人が声を上げました。
確かに、領収証に№0100とあります。
今日初日ですでに100冊。あとも次々と買い求める人がありました。
そんなにたくさん作ってはいないということでしたので、売り切れるかもしれません。
ということで、わたし、もう一冊購入しておきました。
わたしの知り合いで、行けなくて欲しい人にお譲りしようかと思って。

『完本コーヒーカップの耳』(今村欣史著・朝日新聞出版)
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水木しげると西宮今津

2015-12-01 11:14:59 | 西宮のこと
今朝の神戸新聞。

水木しげるさんと今津のことが載っている。
記事の中に「今津歴史塾」のことが。
わたしも参加している勉強会です。
初音屋のマスター立花さんと講師曲江三郎さんのことも。

その今津歴史塾で水木さんと今津のことも昨年習った。
その時のテキスト。


水木さんが描いた興味深い今津の昔の絵がいっぱいあります。



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「西宮という街」

2015-12-01 09:49:21 | 西宮のこと
今日からだ。
西宮歴史資料写真展「西宮という街」
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「福の神大集合」

2015-11-26 16:04:32 | 西宮のこと
西宮市文化協会理事の堀内陽光さんからご案内を頂きました。


昨年もお招きを頂いて見学させて頂きました。
今回も招待券を同封して下さっています。
ありがたいことです。

詳細はこちらの画像を二段階クリックして下さい。 

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阪急電車「阪神国道駅」

2015-11-21 08:46:59 | 西宮のこと
昨日、阪急電車今津線「阪神国道駅」を利用しました。
西宮に長く住んでいるのに、生れて初めてです。






今津方面を望む。

すぐ近くのアサヒビールがなくなる前の朝夕の通勤時間はさぞにぎわったのでしょうね。



初めての駅というのはなにか新鮮です。
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西宮砲台の昔話

2015-11-18 18:15:49 | 西宮のこと
オープン当初からのお客さん、松本さん90歳の話。
「喫茶・輪」をオープンしたのは昭和62年でしたのでもう28年になります。
だからこの松本さん、あの頃62歳だったということなんですね。

しかしお元気です。
元気の源は、お色気でしょうか。今もちょっとエッチなお話をなさいます。
その人が今日は、子どものころに当時の大人から聞いた話。
西宮の砲台は昔、南向けの窓から一本だけ本物の砲が出ていたと。そしてほかの窓全部からは丸太やったと。沖の船から双眼鏡で見たら、丸分かりやったと。
丸太でカムフラージュしたという話はわたしも聞いたことがありますが、一本は本物だったというのは初めて聞きました。
これも一つの伝承でしょう。
しかし、念のためつけ加えておきますが、西宮砲台はそんなにバカにしたものではなかったということです。
勝海舟がちゃんと計画して作ったものだったのです。決してまがい物ではありませんでした。
その証拠に、20年前のあの大震災でも石組みが壊れなかったのです。これはスゴイことです。
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甲子園浜のこと

2015-10-30 09:45:11 | 西宮のこと
昨日来た『宮っ子』だが、地域探訪のページに「甲子園浜を守る」という記事が載っている。

「1970年代、甲子園浜埋め立て計画に反対する小学校のPTAの運動もあり、甲子園浜は残されました」と。

それに関連して、最近読んだ『輪』36号。

これは先日出席した伊勢田史郎さんのお別れ会で頂いたもの。1973年の発行です。

これに載っている岡見裕輔さんの散文「甲子園浜埋め立てについて」。




長いので興味のある人だけ二段階クリックしてお読みください。
要するに、1970年代に小学校のPTAが反対運動をしたというのは、当時PTA会長だった岡見裕輔さんたちだったのです。
大変なご苦労の結果、今、こうして渚が残されているというわけです。

因みに岡見さんは今年一月にお亡くなりになっておられます。小さな声で言いますが、わたしが詩を書き始めたころに足立巻一先生、宮崎修二朗先生とともにいち早く拙詩を評価して下さったのでした。
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昭和11年の日記帳

2015-10-08 12:31:11 | 西宮のこと
ある人の昭和11年の日記帳がうちにある。
細かい字でぎっしりと書いてあって興味をそそる。
それは別として、この日記帳に色々と付録のページがある。
その中のこれは当時の会社のページ。

←二段階クリックでどうぞ。

見てるだけで面白い。
ところが「西宮酒造」が用海町ではなく濱松原町になっている。これは?
昭和11年なら、用海町だと思うが。
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まちたび にしのみや

2015-10-07 14:48:24 | 西宮のこと
公民館に用事があって行ったら、こんな冊子がありましたので1冊頂いて帰ってきました。


「まちたび にしのみや」公式ガイドブックです。
50ページ、見開きA3の大きさ。

82種類の体験コースが紹介されています。
わたしが気になったのは二種類。
その① 
「甲山八十八カ所めぐり」です。
以前から一度体験したいと思っていたのです。
ただ、11月23日という日程。なにか予定が入って来そうで。

その② 日本盛煉瓦館での「津軽三味線演奏会」。
2月28日と大分先です。今から予約するには早すぎますしね。

ほかに、今津の樽商さんの樽作りも紹介されてます。
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姫路赤十字病院でT田さんに

2015-10-01 08:18:14 | 西宮のこと
昨日、孫の緊急入院で姫路赤十字病院へ行ったのだが、大きな病院だった。


病室のから風景。夢前川です。

ところで、病院の休憩室みたいなところでテレビを見ていたら、西宮のマンボウについての話題を放映してました。
しかも、解説役にT田さんが登場。
 

これには驚きました。
T田さんは毎月一回、ある勉強会で出会う人です。
姫路でT田さんに出会えるとは!

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船渡御祭でのエピソードもう一つ。

2015-09-25 08:50:44 | 西宮のこと

先日の船渡御祭でのエピソード。

本殿を出発した行列が商店街を巡行したのだが、わたしと家内は参加せず神社会館で待たせて頂いた。約1時間。ロビーのソファーにいたのだが、ご一緒になった老夫婦と仲良くなった。ご主人は元神官だった人。大阪の平野から来られたと。
学校で教壇にも立っておられたことがあり、大阪の神社は「〇〇野」というのが多く、神戸方面は「長田神社」「生田神社」「広田神社」のように「〇〇田」というのが多い」などと、そのわけと共に興味深い話をして下さり勉強になった。おかげで1時間の待ち時間を退屈せずにすんだ。

その後も、一日中の行事の中でこのご夫婦に何度もお会いした。奥様は「いらんことを話してすみません」と恐縮しておられたが、わたしは楽しかった。

さて、終わり頃、またお会いした時に「これをどうぞ」と言って短冊を下さった。

ヨットハーバーでの昼休みにでも書かれたものだろうか。「ヨットハーバーにて」と添え書きがある。

「六甲颪 茅渟乃海神 風鎮祭
   ゑびすの舩渡御會 楽浪撫樹て」

和歌も即興で作られたのだろう。わたしのパソコンでは出ない字がありますが。

色々といい体験をさせて頂きました。
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船渡御祭での疑問

2015-09-25 08:07:28 | 西宮のこと
先日の船渡御祭でのことである。
船内解説でのY下氏の話の中で疑問があった。
歴史家さんの話とすれば、これはけっこう重要発言かも。

「西宮砲台」のことである。
やはり「役立たずだった」というような話をされた。今津砲台のことにも及んで、砂地なので地盤のことを考えて、無数の杭を打ちこんでの大工事であったというような話はされたが、「撃ってみたら煙が充満して…」とバカにしたような話。これは、吉井良秀氏による『老いの思いで』からの情報であろう。しかしこの説は再考してみる必要があることを「凛太郎」という人が深く考察してネット上に発表しておられる。
だから、今ではこのような「西宮砲台は役立たずだった」という情報を拡散することは避けねばならないと思うのだが、あのようなほぼ素人さんの前で話されたのはいかがなものかと思った。
ただ、Y下先生は、この凛太郎さんの論をご存知ないのであろう。
それとも素人相手の解説では、その方が面白いと判断されたのだろうか?
しかしそれはいけない。
だからわたしは思う。凛太郎さんは、ネットの上だけではなく、やはり論文として紙に書いて発表して頂きたい。このままでは、砲台の名誉のためにも残念なことである。ますます「デクノボウの砲台」のイメージが拡散してしまう。
ご興味のある方は「凛太郎 砲台」で検索してみて下さい。

ということを踏まえて昨夜の子ども将棋教室での講義。

将棋の話の後に少々時間を取ってこの話をしてやりました。
「だから、あなたたちは、大人の誰かから『あの砲台は役立たずだった』というようなことを聞いてもそれを信じてはいけません。偉い人がいつも正しいことを言うとは限りませんから」と。
低学年から中学生までいますが、解りやすく話したつもり。
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「渡御祭」の記事

2015-09-24 09:02:45 | 西宮のこと
今朝の新聞に「船渡御祭」の記事が。



報道用の船が出ていたので、いい写真が撮れますね。前からの写真です。

新聞のページを繰って、神戸版を見ると、そこにも「船渡御祭」の関連記事が。





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