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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇アルゲリッチ&アバドのプロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番他

2014-04-15 11:19:14 | 協奏曲(ピアノ)

~アルゲリッチが今は亡きアバドと共演した名盤~

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番

ラヴェル:ピアノ協奏曲
      ピアノ組曲「夜のガスパール」

ピアノ:マルタ・アルゲリッチ

指揮:クラウディオ・アバド

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ユニバーサル ミュージック UCCG 4662

 これは、若き日のマルタ・アルゲリッチ(1941年生まれ)とクラウディオ・アバド(1933年ー2014年)の共演を1枚のCDに収めたもの。それぞれの曲のベスト1かベスト2のいずれにかは必ずリストアップされるという、類まれな名盤と言って間違いなかろう。アバドは今年の1月20日に、突然この世を去ってしまったので、追悼盤としての意味合いもある。このジャケットの2人の顔を見ると、若さに溢れ、演奏家としての充実した日々を送っていたことを窺わせる。マルタ・アルゲリッチは、アルゼンチンのブイノスアイレス出身のピアニストで、現役としては、世界を代表するピアニストの一人。音楽教育はウィーンで受け、1957年、ブゾーニ国際ピアノコンクール優勝。またジュネーブ国際音楽コンクールにおいても優勝し、その名が世界的に知られることとなる。さらに1965年、ショパン国際ピアノコンクールで優勝。このアルゲリッチは、ピアニストのほか若手育成にも力をいることでも知られる。「別府アルゲリッチ音楽祭」「マルタ・アルゲリッチ国際ピアノコンクール」「ブエノスアイレス-マルタ・アルゲリッチ音楽祭」、さらにルガーノにおいて「マルタ・アルゲリッチ・プロジェクト」を開催している。最近では、毎年のように日本を訪れており、わが国でも多くのファンを有している。一方、クラウディオ・アバドは、イタリア・ミラノ出身の指揮者。ヴェルディ音楽院の後、ウィーン音楽院で指揮を学ぶ。1959年に指揮者としてデビューを果たす。1972年、ミラノ・スカラ座の音楽監督に就任。1986年には、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。さらに、1990年、カラヤンの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督に就任し、これによりアバドは、世界の指揮界の頂点を極めたことになる。一度は病に倒れるが、その後復帰し、ルツェルン音楽祭管弦楽団などを指揮していた。2014年1月の突然の訃報は、世界のクラシック音楽ファンを悲しませた。

 最初の曲は、プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番。プロコフィエフは、全部で5曲のピアノ協奏曲を作曲しているが、最も知られているのが、この第3番である。作曲期間は、1916年~1921年と5年間をかけている。この間、プロコフィエフは、第一次世界対戦、そしてロシア革命を体験し、ロシアからアメリカへと亡命する。このため、この曲の初演は、シカゴで行われた。時として、プロコフィエフの曲は現代音楽的な要素を帯びるが、この曲は、逆に新古典的な曲であり、バランスの良い仕上がりを見せ人気が高い。要するに、安心して聴けるところがリスナーの支持を得たようであり、同時にピアニストの技巧が最大限に発揮されるところが人気の秘密なのであろう。オーケストラのパートは、単にピアノの伴奏というよりは、独立した楽曲ちして、聴いていて大いに楽しめる。このCDでのアルゲリッチのピアノ演奏は、アルゼンチン出身というラテン系の優位さを最大限に発揮する。ピアノの鍵盤をリズミカルに、激しく打ち付ける抜群のリズム感覚が何とも凄い。そして、あたかもオペラのワンシーンを見ているかのように、ドラマチックに曲を盛り上げていく様は、聴いていて手に汗握るがごとくスリリングである。しかし、一方では、ゆっくりとしたテンポで、弱音の部分に来ると、抒情味たっぷりに弾きこなす。そんなアルゲリッチの演奏を聴いていると、アルゲリッチとこの曲の相性が抜群に良いことに気付かされる。アバドの指揮ぶりは、そんなアルゲリッチの演奏を存分に盛り立てる。一般にアバドの指揮は、少しも奇を衒うことがない正統的なものだが、ここでもその特徴が発揮されている。アルゲリッチとのやり取りは、間髪を入れず行うが、そこには少しの“崩れ”は見られない。聴き終わって、何かすっきりとした感覚に覆われるのは、このためであろう。

 2曲目は、ラヴェル:ピアノ協奏曲。ラヴェルは、ピアノ協奏曲を2曲残している。一つは、このピアノ協奏曲で、もう一つは、左手のためのピアノ協奏曲だ。ピアノ協奏曲は、1931年に完成し、初演は、1933年にフランスの名ピアニストであったマルグリット・ロンがピアノ演奏し、曲は彼女に献呈された。この曲は、フランス風の華やかさに全体が覆われた、美的な感覚を持った作品。このためもあって、アルゲリッチのピアノ演奏は、プロコフィエフの時の激しさを取り除き、抒情味を一層強調した演奏スタイルに変身を遂げる。このようなフランスの感覚を持った曲でもアルゲリッチは、完全に自分の中で昇華させ、自分の語り口で演奏できるところが、プロコフィエフの時とは違った意味で凄さを感じる。第2楽章の独白のような部分の弾きっぷりの良さには、多くののリスナーは惚れ惚れと感じてしまうだろう。ピアノの音色自体は丸身をおび、しかも美しい。まるで目の前で、鮮やかな色彩が舞っているかのごとくである。第1楽章と第3楽章は、軽快なテンポで弾かれるが、少しの無駄のない演奏技能は、聴いていて小気味いいこと、この上ない。アバドの指揮も、プロコフィエフの時と同じく、軽快であると同時に、あくまで正統的でもあり、アルゲリッチとの息も完全に合っており、センスの良い仕上がりを見せる。アルゲリッチもアバドも、決して曲の表面だけをなぞるような演奏はせず、完全に自分のものとして演奏しているところが、高い評価の原因だろう。

 最後の曲は、アルゲリッチのピアノ独奏で、ラヴェル:ピアノ組曲「夜のガスパール」(「水の精<オンディーヌ>」「絞首台」「スカルボ」)が収録されている。この曲は、は、ルイ・ベルトランの詩集を題材にしたピアノ組曲。ルイ・ベルトランは、散文詩という様式を確立し、ボードレールの散文詩にも大きな影響を与えた詩人だという。1曲目の「水の精<オンディーヌ>」の詩の内容は、「人間の男に恋をした水の精オンディーヌが、結婚をして湖の王になってくれと愛を告白する。男がそれを断るとオンディーヌはくやしがってしばらく泣くが、やがて大声で笑い、激しい雨の中を消え去る」。2曲目の「絞首台」の詩の内容は「鐘の音に交じって聞こえてくるのは、風か、死者のすすり泣きか、頭蓋骨から血のしたたる髪をむしっている黄金虫か」。そして3曲目の「スカルボ」の詩の内容は、「スカルボ―身体の太った地の精。邪悪な侏儒。それは夜な夜な人足絶えた町なみをうろつき、片目の目は・・・つぶれている」。この詩は、19世紀の前半のロマンティシズムの台頭期の作品であり、怪奇な幻想に満ちた内容を持つ。ラヴェルは、この詩の内容の雰囲気をたぎらせた名曲のピアノ組曲「夜のガスパール」を書いた。ここでのアルゲリッチは、文学的な表現力を存分に発揮し、怪奇で幻想に満ちた雰囲気を巧みに演出してみせる。しかし、そこには、何ら意図的なところは感じさせない。あたかも、リスナーは知らず知らずのうちに、怪奇で幻想に満ちた詩を読んでいるかのような感覚に捉われる。私は、アルゲリッチのピアノの音色に魅了された。全体が幻想感に覆われた感じがする反面、その芯は、あくまでしっかりとしたタッチの上に構築されている。透明感を持った、しかも暖かみのあるその音質は、この曲の絶妙な味わいを表現するのに、ぴたりと合う。(蔵 志津久)


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