プロコフィエフ:ピアノ協奏曲全集(第1番~第5番)
ヘブライの主題による序曲Op.34
束の間の幻影Op.22(第1曲~第20曲)
ピアノ:ミシェル・ベロフ
指揮:クルト・マズア
管弦楽:ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
クラリネット:ミシェル・ポルタル
弦楽四重奏:パレナン四重奏団
CD:EMIミュージック・ジャパン TOCE16144~5
セルゲイ・プロコフィエフ(1891年―1953年)は、ウクライナ地方南部のソンツォフカ村に生まれた。5歳の時から作曲を始めたというから、その早熟ぶりが窺える。そして、11歳の時に交響曲を、12歳の時にはオペラを作曲したという。13歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学。同音楽院卒業試験でバッハのフーガと自作のピアノ協奏曲第1番を弾き、アントン・ルビンシテイン賞を得ている。26歳の時、ロシア革命が起こり、これが引き金となり、日本を経由してアメリカに渡る。この時のプロコフィエフの日本滞在は、ヨーロッパの大作曲家の初の訪問となり、演奏会を開催するなどして、当時の日本楽壇に少なからぬ影響を及ぼした。
その後、プロコフィエフは帰国するが、57歳の時、ジダーノフ批判の対象となり作曲活動を制限されてしまう。ジダーノフ批判とは、労働者階級に寄与しない芸術活動は排除するもので、多くの芸術家が命を絶つという悲惨な現実が待っていた。それでも、作曲活動を続けられたというのは、既にプロコフィエフは、世界的名声をえており、旧ソ連政府といえども、そう簡単に手出しができなかったからと言われている。プロコフィエフが死んだのは、1953年3月5日であり、偶然にもスターリンが死んだ同じ日の3時間前であった。スターリンの死はたちどころに世界に知られたが、プロコフィエフの死は、ほとんど誰にも知られることはなかった。
そんなプロコフィエフのピアノ協奏曲全集(第1番~第5番)とヘブライの主題による序曲Op.34、それに束の間の幻影Op.22(第1曲~第20曲)を収録したのがCD2枚組のこのアルバムで、フランスの名ピアニストのミシェル・ベロフが弾いている。そして伴奏指揮は、昨年惜しまれつつこの世去ったクルト・マズア(1927年―2015年)である。プロコフィエフは旧ソ連政府の弾圧の対象になったが、最後まで作曲の筆を折ることはなかった。一方、クルト・マズアは、優れた指揮者であると同時に、ドイツ統一の際の英雄としてドイツ国民から崇拝された。そんなことを考えると、このCDは、何か因縁めいた録音に思えてくる。
ドビュッシー、メシアンなど近代フランス音楽の演奏で知られるミシェル・ベロフ(1950年生まれ)は、フランスのピアニスト。パリ音楽院に進み1966年に首席で卒業。1967年第1回オリヴィエ・メシアン国際コンクール優勝。1970年メシアンの「幼な児イエズスに注ぐ20のまなざし」の全曲演奏を行い注目される。しばしば来日しており、日本でもファンが多い。ベロフは、一般的には、ドビュッシーやラヴェルといったフランス印象主義音楽、さらにバルトークやメシアンのスペシャリストとしての印象が強いが、一方で、リストやムソルグスキー、プロコフィエフといったヴィルトゥオーソ向けの難曲も得意としている。
このCDで、超絶技巧を必要とするプロコフィエフ:ピアノ協奏曲第1番~第5番を、ベロフは唖然とするほどのテクニックで弾きこなしている。しかし、それは内容が空疎なヴィルトゥオーソではなく、プロコフィエフの現代的で、リズム感覚に溢れた、力強い作曲様式を的確に捉え、その特徴を余すところなくリスナーに届けてくれる。このため、このCDで、プロコフィエフのピアノ協奏曲全曲(第1番~第5番)を一気に聴き続けても、少しも長いとは感じられない。限りなく充実した演奏内容に仕上がっているのである。一方、同じプロコフィエフの「ヘブライの主題による序曲」と「束の間の幻影」では、フランス音楽を得意とする、いかにもベロフらしい、微妙なニュアンスの表現力が光る。ベロフのように、超絶技巧と同時に微妙なニュアンスを併せ持っているピアニストを、私はほかに聴いたことがない。(蔵 志津久)