食べ物を思う

2019年11月15日 | Weblog


きょうも、きれいな晴の日です。しかし、いまはもう蝉のこえはきこえません。たった今は小鳥のこえも聞こえて来ず、しずかな秋の午後の時間帯です。
鳥の声はそのうちに聞こえて来るでしょう。まず雀でしょう。

 

そう書いているうちに聞こえてきましたよ。雀という小鳥はよくまあおしゃべりをする鳥です。
山林には居ず、人里の小鳥なのだそうです。そう言われてみれば・・・・・。

 

声を出すと言えば、裏の保育園の子どもたちもひっきりなしに喋っています。
今はとても静かです。昼寝の時間ですから。
昼寝が終わると、もう迎えが来て帰る時間になっていきます。

 
   小っちゃな子が見えますか

テレビを見ていると、よく食べるシーンがあります。
若い頃は、あれ食べたいな。これも食べに行きたいな。と思ったものでした。
ですが、今は全然そういう気持は起きません。
と言うと、信じられないかもしれませんが、本当にそうなってしまいました。
理由は簡単です。原因はお医者さんです。さんざん脅かされてきましたからね。

 

その内に、自己暗示のようなものが働き出しました。あれは美味しくないんだ。あれはもう食べ飽きたナーなんて言う気持が台頭してくるようになりました。
食べれば美味しいのですが、いかにも食べ飽きたという気持がでてきますね。
たぶん、私はお医者さんのかけた催眠術に見事にかかっているようです。

 

ただ、何を食べてもおいしくない、と言う事は絶対にないのがラッキーなことです。
出されたものは全部おいしく平らげるのですから・・・。たぶん、このまま行けばいいのかなと思っています。
食べ物は何がすきですか?と聞かれたら答えられないですね。

それにしても、自分も家族も周りの人たちも、食べ物に大いに不足している社会にいるのではないことは、とてもラッキーなことで有難いものだなと思います。