金床

2016年03月30日 | Weblog


今日は一日、安心して暖かい気温に包まれている日です。何となく ほわーーーーん として、春霞でもないでしょうが、少し鋭い透明さが欠けるくらいの空気です。これからは、そういう日が多くなってくるかなと期待しています。

 

寒いときにコタツにあたっていると、こうやって私のところにきて抱っこしています。もう大人ですから、長く乗っていられるとけっこう重く感じるのですが、せっかく寄ってきたものですから、そっとしておいてやっています。

よってくるものは、ますます可愛いですね。癒しになりますね。

 

私ではなく空手をやっていた連中が使っていた、鉄の下駄とその向こうは金床(かなとこ)です。金属と言う意味の金で、ゴールドの意味の金ではありません。こんなに金・ゴールドがあったなら、こんなに無造作に写真を撮ってネットで公開などできるものではないですよね。狙われますから。

それはそうと、これらは要らなくなったというのでもらってきたものですが、この下駄は今は曲がった釘をまっすぐに直したりする金床の代わりに使っています。本物の金床は重すぎて出し入れが億劫なので、下駄の方ばかり使っています。

力をたくさん必要とする作業の場合は金床を使いますが、そういう仕事もほとんどはありませんね。大抵の場合は下駄で間に合います。それに仮に片方がダメになってももう片方があるし。

 

昨日はコマツナでしたが、その続きにカブが育っています。その先には大根があるのですが、まあこれくらいにしておきます。
やっぱり、育ってくると嬉しいですね。これが食卓に上るわけです。世話をしてやるときちんと育ってくれます。天候不順などがあって、それが妨げられることもありますが、だいたいはしっかり育ってくれます。ありがたい自然の恵みですね。

 

世の中には、いろいろな基準、法則、規範というものがありますね。そう言うものは時の流れに打ち勝ち、絶対に変わらないものがありますが、その反対に場所により、時代により変わるものも多いです。
場所は場所でも、広範囲にわたる場所もあれば、狭い場所のみに通じるものもあります。

したがって、人の世はいつの世でもたいへん難しいもののようです。あちこちで恐ろしいテロ行為がありますが、それとはまるっきり反対に大らかに生きていこうよという人たちも多いです。
それぞれの基準が違うと恐ろしいことが起こります。違う基準を並べ立て、最大公約数をとって共通する部分を見つけ、穏やかに物事を整理解決できないものでしょうかね。