そば

2010年06月05日 | Weblog

 今年はいくつかの異変があります。クスサンという、栗の葉っぱを食べる蛾の幼虫が、まだ体が小さいのにサナギになるために這い出してきました。これから網目の入った一種のまゆ玉を作るところを探すためです。

 真竹の竹の子は夏にならないと生えて来ませんが、もうとっくに生えてきています。そして、本当は食料になる、太さが野球のバットの握りくらいの太さのが先に出るのですが、それが出ないで細い筆の軸くらいの竹の子で出て来ました。その太さのは本当はジリっと暑くなってから出るはずなのです。

                                

 昨日の午後からぐずついた天気は朝から雷です。と言っても遠い雷でしたが。予定していた用事が無くなったというので、それじゃ出かけようかということで、そばを食べに出かけちゃいました。食べる時には決断が早いです。


 

 茨城県の北の方に位置する常陸太田市というところは、常陸秋そばの産地です。その山の中にあるそば屋に食べに行きました。着いたのが11時頃で最初の客だったようです。

 私は野菜天ぷらです。そばはおいしい。大好きです。下手でもいいから打ってみたいと思っていますが、まだやったことはありません。できれば、つゆも作りたいです。どうせならつゆもおいしくなければ。


 

 食べてから、細くて険しい山道を数キロ上り、古い神社まで行きました。そのあたりは、その昔、佐竹氏の山城 があって源頼朝の軍勢が攻めてきたことがあるとか。険しい地形なので、なかなか落ちなかったそうですが、密通者がいてついに落城したのだとか。


 
 
 ここの神社の神様は、大昔に日立の海辺から上陸し、この山奥に鎮座なさったそうです。そして、70年に一度海まで往復するとか。写真は、神社の隣にある資料館のものを撮ったものです。神様を乗せたお神輿が山を下っていく時の様子です。

 何年かまえに、その70年に一度の行列がありました。私も見に行きました。まるで平安時代の絵巻さながらです。京都の葵祭に似た行列でしたが、行列の性質がちがうせいなのか、牛車や稚児の行列はありませんでした。


 

 樹齢740年のさわらの古木がありました。昔の古い遺跡を見るのが好きです。大昔とは、もちろん風景は変わってしまっているでしょうが、そこに立ち、さまざまなことを思ってみるのが楽しいです。

 

 神社の石段です。 佐竹氏も頼朝の何代か前に枝分かれした源氏です。源氏同士の戦いです。このあと、佐竹氏は戦国時代の末まで常陸太田市に本居を構えていてて、江戸幕府が出来た時に秋田に国替えになりました。

 今の常陸太田市の佐竹というところに本拠を構えたので、源という姓から佐竹に変わったようです。同じ兄弟でひたちなか市の武田というところに居を構えたのが武田氏と言われています。


 

 帰りに、納豆の丘というところがあり、納豆工場がありました。そこでいろいろな納豆を買ってきました。食品を扱っているので、衛生上靴を脱いで上がってくださいと書いてありました。なるほど。

 食べきれない分は冷凍保存できます。これから食事が楽しみです。納豆も大好きです。

 だんだん晴れてきて、帰り道は快晴になり、まぶしいくらいでした。気晴らしができて良かったよかった。

 
 
                                            イワタバコ


      廃 句

         はるばると 金砂(かなさ)の山の せいろそば
         雨の道 車少なく 走り良し
         雨よ降れ 雷がなんだ そば恋し
         帰り道 納豆みやげに 日本晴れ
         雨もやみ 下界は車の 帯となり
         険し道 よくぞ落ちずに 山城へ
         決断が 早けりゃ時間 ロスが無い
         雨が降り 畑の雑草  気にかかり
         きっと出る ぞっくり揃って 草が出る
         草よ出よ 出てみろさっと 取ってやる