初心者のクラシック

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ジャン・シベリウス(第4話)

2007年08月08日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日はジャン・シベリウス(第4話)です。

≪作曲家の肖像≫
シベリウス―写真でたどる生涯
マッティ フットゥネン; 舘野 泉,菅野 浩和
音楽之友社

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こんな本もあるんですね
【Jean Sibelius】

交響詩「フィンランディア」で成功を収めたシベリウス。今日はその続きからです。

(第4話)【交響曲とヴァイオリン協奏曲】
交響詩「フィンランディア」が国民的な大成功を収めると、シベリウスは交響曲の作曲に取り掛かります。第1番は既に1899年に完成し初演も終わっていました。第2番の作曲はイタリアで行われます。

1901年、家族を連れてイタリアへ渡ったシベリウスは、ジェノヴァ郊外に家を借りて作曲を始めます。シベリウスは北国育ちという事もあって、イタリアの暖かい気候がとても過ごしやすく気に入ったようで、作曲をするペンの進みもよく、みるみるうちに曲を仕上げていきます。

イタリアから戻ると一気に曲を完成させます。1902年にはヘルシンキで初演が行われると、第4楽章に開放感のあるフレーズが華々しく作曲されていた事もあり、これが大成功を収める事になります。「フィンランディア」を作曲した作曲家の新作交響曲の初演は、フィンランド国内で高まる独立の雰囲気も手伝ったのか、大人気を博するようになるのでした。

タイミングのよさもあってか、作曲する曲が次々に好評を得るシベリウスが次に手を付けたのはヴァイオリン協奏曲でした。元々ヴァイオリンの魅力に魅かれて音楽の世界に入ったシベリウスだけに、この曲を作曲するにあたっても更に気合が入っていた事でしょう。

そのため、曲もそれまでのヴァイオリン協奏曲とは一線を隔したものにしたかったようで、いろいろと試行錯誤を繰り返して作曲に取り組んでいたようです。1903年に完成したヴァイオリン協奏曲は翌1904年にシベリウスの指揮によって初演されますが・・・、

シベリウス自身が意図したように、それまでの作曲家のヴァイオリン協奏曲とは、あまりにも違っていたため、初演ではそれまでの作品のように好評を得る事はできなかったようです。

その後、1905年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を始めて聴いたシベリウスは、自分のヴァイオリン協奏曲に手を加え、改訂して再度ベルリンでリヒャルト・シュトラウスの指揮で初演を行うと、これはどうにか成功の形を残したようです。そして言うまでも無く現在耳にする「シベリウスのヴァイオリン協奏曲」は、この改訂版で、それ以降、改訂前のいわゆる初稿版はシベリウス自身がその演奏を禁止して封印してしまうのでした。

そんなヴァイオリン協奏曲を作曲する中、シベリウスは1904年にヘルシンキ郊外の街ヤルヴェンパーに妻アイノの名前を付けた「アイノラ」という家を建てて、郊外での田舎暮らしを始める事になります。

フィンランディアで名声を得て、交響曲で実績を作り、ヴァイオリン協奏曲でちょっと苦い経験をしたから、家族で田舎でのんびり過ごそうとしたんでしょうか?しかし、アイノラに引っ越してからもシベリウスの作曲活動は続いていくのでした。


首都ヘルシンキからは北に30kmほど離れた田園都市ヤルヴェンパーに引っ越したシベリウス。このつづきはまた明日。

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