御託専科

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東証の勘違い、取引所の勘違い

2005-12-02 10:21:58 | 時評・論評
黄金株の論議を巡ってはまたつまらぬ話になっている。
前の西武やカネボウの上場廃止論議でも同じようなことを言ったが、要は東証は分をわきまえていないということだ。結論の是非はともかくとして、黄金株を導入するかどうかは株式会社制度に関する国家的意思決定であり、また、黄金株を導入した企業の株式を買うか買わないかは投資家の判断である。国家的意思決定にせよ投資家の判断にせよ、東証は介入すべきことではない。海外の投資家や取引所を引き合いに出すのは筋違いだ。海外投資家が嫌なら買わなければいい。海外取引所は東証と同じく間違っているかもしれない(もちろんこれは国ごとの商法・証券取引法との絡みがあろうから今私は断定できないが)。
以前は大蔵省の手先、というか自主規制機関としての役割が強かったかもしれない。しかし東証はもはや資本市場の番人のひとりではなく、取引所の主催者に過ぎない。自ら株式会社化したいま、彼らは制度を受け取る側であり制度を管理し規制する側ではないのだ。NTTが民営化された後はNTTは国家の通信政策決定の主体ではもはやなくなった。通信の例で考えると、もっと多くの私設市場を設けて東証を「大きいながら1つのプレーヤー」の位置に持ってゆく事が必要だろう。今朝の新聞に出ていたように、東証が黄金株がいやなら他の取引所が黄金株発行企業の株を上場すればよい。独占による専横は醜いことだ。

12/6 追記
・11月号の証券アナリストジャーナルは取引所の特集で、上記の論旨に関係したペーパーがいくつかあった。「証券取引所におけるガバナンスのあり方」大崎貞和 では米SECが自主規制機能と市場運営機能のあり方について「コンセプトリリース」なるものを出しているそうだ。7つの案が提示されており、7番目にSECが自主規制機能、市場運営機能を取引所、という案が提示されている。多分これが概念的には一番すっきりする。ただ、論者はそれほどはっきりした結論は出していない。
・「なぜ村上ファンドは大証の大株主になれないのか」滝田好夫 は痛快だった。自主規制機能と公共性を正面から論議することなく株式会社化し更に上場することの問題点というか知的なだらしなさを痛烈に批判している。一方的に取引所側を攻めてるのではなく村上ファンドについてもその勘違いや知的問題を指摘しており、公平かつ率直なペーパーとなっている。小宮隆太郎氏や小谷清氏みたいに痛烈で的確な論考である。学者さんはこうでなくっちゃね。

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