御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

朝日新聞の展開が面白すぎて仕事や勉強の邪魔になっている件

2014-09-15 09:21:27 | 書評
9月4日に朝日新聞関連の戯言を書いた。その後ゆっくり始末が進んでゆくのかなと思ったら、11日に社長が吉田調書を主に、従軍慰安婦を従とした誤報謝罪記者会見を開いた。吉田調書を政府が発表する当日に謝罪記者会見とはほんとに情けない。ばれた、すんません、じゃあ一流新聞の一角とはとても言えないね。まあともかくそれでなだれが一気に加速したように思う。まだ次の「加速」のきっかけがあるのだろうか。
あるかないか、といえば、ある、ってことだろうね。まだ「プロメテウスの罠」を初めとしておそらく誤報あるいは捏造あるいは不適切なほど強い印象操作は山のようにあると思うし、週刊文春・産経新聞を初めとした取材力のある対抗メディアがこの際と思い取り掛かっている。つい先日も任天堂架空インタビューが露見したしね。もう少し大きいのが出るかもしれない。あるいは中程度のが数発出るかもしれんね。
こんな話ばっかり次々出てくるから面白すぎて仕事や勉強の邪魔になっていかん。週刊誌は「見出し倒れ」だから買わないことにしてたのについつい文春を買ってしまうまでした。早いこと無条件降伏しなさいよ、僕の時間のためにも、って思うね。

まあ、次の雪崩で朝日の中の人たちが本当に反省するようになれば一旦は局面転換だろう。ただしまだまだ足りない感じはする。いじめられているとか攻撃されている、なんてことを言っている人たちがいるみたいだが、そんなのを自業自得と思わない連中がまだいることにあきれる。反省しているがごとき言い方の中でも「権力監視の使命を」云々言っているバカがいるが、誤報の反省は事実に基づいた報道をすることであり、朝日の権力監視なるものはろくでもないことがわかったのだから、出直してきやがれ、ってことだね。さらに付け加えれば、そもそも朝日自体が権力なんだよ。それが周囲の監視でようやく不正を暴かれて、いま往生際悪くのた打ち回っているところってことだ。朝日が「悪うございました、昔のものも含め記事はすべて点検します。改めて評価して不正と思われるものはその旨皆さんに紙上等でお詫び申し上げます。心当たりの記事のある方は遠慮なくお申し出ください。」とでもやればいいのだが、それができなきゃ外の力でぐいぐい押されるばかりだろうね。サヨクたちだってこれまで実のある論議をしてきた人たちではない。なので味方になってくれても論戦の力は全くないだろう。田島さんみたいになんか早くも戦線離脱を図っている(笑)みたいな人もいるし。海外論調もどこまでアテになるやら。まあNYTの田淵記者みたいな思い込みの激しい人たちがいるだろうから多少は縋れるが、まさか朝日は正しかったキャンペーンまではやってはくれるはずもない。よくて中立、悪けりゃ毎日みたいにこっちに向かってくるよ。

それにしてもネットの時代なんだね。昔だったらこんなに急速に旧悪が暴かれることもなかったのだろうね。あるいはたいていダマですごせたかもしれない。権威あるものが不正をすればかなり急速にたたかれる。これ自体はいいことなんだろうね。あとはマナーがねえ。朝日たたきは意外にマナーが守られている気がするが、東電の時なんかひどかったもんねえ。いまでもひどい。朝日は悪意で東電は過失とすれば朝日のほうがよっぽど罪が重いのにねえ。あ、そうか、東電いじめのときは朝日がいじめ側にいたからだね。朝日たたきには朝日はいないわけだ。。。 
ならば朝日新聞大阪社会部、出動せよ! 愛する朝日の面汚しどもを徹底的に追及しろ!! だな、こりゃ。いや、冗談じゃなく朝日の中の人、自社の恥部=朝日の敵 を徹底的に追及してくださいね。それでこそ朝日は再生できるのだから。それが出来なければ外から漂白されるか、あるいは赤旗のようなネタ新聞になっちゃうよ。朝日に誇りを持つのなら頑張れ!

(追記)
丹治さんという朝日の記者の方が以下のようなツイートをしているのを発見した。これはまさに私が(そしておそらく良識ある人の大勢が)求めている朝日の記者のもつべき理解であり自覚である。このような人たちが優勢になれば、了見違い記者たちの追放、過去の罪の正当なる評価と処分、そして再出発ということが案外早く行われるのではないだろうか。頑張れ丹治さん!そしてその同志たち!!

-以下丹治氏のツイートより転載-

再度、今度ははっきり同僚に対して。権力監視や社会の木鐸を仕事の目的に掲げるのはわかるし、それができる面々が多数いるのも知っているけれど、いま朝日新聞に向けられているのは「朝日こそが監視の対象」「木鐸云々以前に事実確認の基礎ができてるのか」という批判。そのレベルの危機感を持つべき。

池上彰さんのコラム不掲載問題にしても、任天堂社長コメント問題にしても、問われているのは「言論・報道機関としての基本動作の劣化」であって、権力監視などという「高度な課題」には遠い。野球に例えれば、試合をやる以前に、キャッチボールも満足にできないんじゃないかという疑問を持たれている。

発言のことごとくがブーメランとして自分に返ってくるのは承知。でもネットに「生息」した期間の長さと、その中の「静かだけれどひたひたと根強い意見」の読み取り方では、社内でも一日の長があると思うので敢えて。「基本動作」に疑問の目が向けられていることは本当に危機的。