御託専科

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朝日新聞騒動に思う

2014-09-04 21:54:37 | 時評・論評
今日は9月4日である。8月5日に慰安婦誤報をなぜか傲慢な物言いで認めた朝日新聞の苦境がますます加速している。最近はネットや雑誌だけではなく他の新聞まで(毎日まで!)砲撃を浴びせるようになった。つい最近は池上彰の批評掲載拒否がきっかけとなったのか、記者たちの自社批判がツイッターでも飛び出してきた。その前の文春などの広告掲載拒否ではそれほど動かなかったかに見える社内が、中立色が強く知名度の高い池上氏を拒絶したことで表面的にも見える形で動いたわけだ。ちなみに池上記事掲載拒否の第一報は文春である。で、ひとしきり騒ぎがあって朝日側は折れて掲載することになった。が、一回拒否したことはいつまでも残る話ではある。それにしてもツイッターや内部のメール(これも文春が暴露)によれば編集長とか社長とかはまだ自分たちがどういう立場にいるかわかってないようだから、まだまだ爆撃は続くし燃えるネタはある。この先どういう燃え方をするのか。それからNYTとか海外メディアはどう反応するのかね。誤解が解けるようにうまくいけばいいのだが。

今回の件そのものについてのこれ以上の仔細はしっかり書いておられる方が多数いるのでそちらに譲るが、今回の件は、自分があるとき戦ってきたこともある朝日新聞的なものについに終止符が打たれようとしているという観点から大変興味を持ってみている。そもそも朝日新聞については、いやらしい顔をした紅衛兵の写真とともに文革をたたえるがごとき記事を出したり、北朝鮮が天国で朴政権の韓国は地獄みたいな記事を書いていたので胡散臭い新聞だと思っていた。ベトナム戦争でサイゴンが陥落したとき、「北ベトナム勝利」ではなく「ベトナム 解放」と大見出しが打たれたのには非常に腹を立てた。ここまで価値観丸出しの報道をしていったいどういうつもりか、「解放」っていったいなんだ!と2-3日立腹していた覚えがある。

こういう朝日新聞の何がいやだといって、要は上から目線でまた非論理的でまた陰湿であるということだ。えらそうに語るが論理の筋が通っておらず、最後は心情的なものまで持ち出して結論を押し付ける、あるいは拗ねる(笑)、あるいはイジけるようなものばかりだった。「こうこうこうだから俺はこう思う、どうだ!」みたいな、自分の立場と考え方を堂々と打ち出したさっぱりした論議ではなくて、ああいう話もありこういう話もあり、だがら一概にそういうことをしてはいけないんではないか、みたいなうじうじしたものが実に多かった。天声人語なんてうじうじした悪文の典型で、論拠の曖昧さや論理の矛盾を指摘せよ、という問題を作るには好適な教材であった(笑)。だから天声人語を写経のごとく有難く写すノートが出たときには本当にびっくりしたよ。

でもこういう話が朝日新聞にとどまるならよかったんだが、そうでもなかったんだよね。大学生のときはまあそういうストレスはなかった気がするが、高校のときは「「ベトナム解放」って偏ってるよね」と説いて回っても誰も賛意を示してくれない。まあどうでも良かったのかもしれないが。日本の会社に入社して社会人になると、「なあにを偉そうに言いやがる」とか「お前論理学ってやつを教えてやろうか」てな話が多すぎて少々驚いた。なんだか全て朝日新聞的に見える。偉そうに、非論理的に語り情緒で結論を押し付ける。こんなんばっかりだったねえ。ただしその方向性は必ずしも左翼がかっていたわけではない。熱血上司なんてのもその類だったかな。そういえば金八もそうだな。僕は大きらいなのは朝日新聞的だったからだな、どうも。その後外資やベンチャーで暮らしているせいか、あんまりそういうのは感じない。まあこういう場所は生き残るのが大事な仕事だから上司も与件、同僚も与件として割り切らなければならないからね。けしからんと息巻く気構えが少々衰えていることは認めるところであるが。

朝日新聞がめでたく変身したりつぶれたりしても、かわらぬ日本の社会が土壌となって同じようなものが栄えるんだろうか?それとも世の中はすでにまともに変わっていて、朝日が偉そうで非論理的で情緒的な人たちの最後の砦、ということなのだろうか。まあ反原発とか沖縄の基地の話とか反安倍デモとかの悲壮感というか孤立感を見ると心情的左翼どももかなり追い詰められていると思われるから、おそらく後者ということを期待したいがね。それは朝日が変わるかつぶれるかしてしばらくしてわかるんだろうな。