御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「帰ってきたヒトラー」 ティムール・ヴェルメシュ

2014-02-10 17:24:05 | 書評
ヒトラーが1945年に地下壕で自殺をしたあと現代で目覚め、50台半ばの、ヒトラーを真似たコメディアンとして世に受けられつつ次第に名声と人気を得て、ついには政界に乗り出そうかという気配まで漂わせたところで終わる。基本的にはコメディである。ヒトラーは1945年と同じく、まじめに国家のことを考えすべてに対応しようとする。ただ、もちろんいまは総統ではないことは理解しており、周囲の味方を増やして影響力を高めてゆこうとするまともな努力をしている。また自分が「眠っていた」65年間のドイツの歩みも十分学ぶ。
くそまじめなヒトラーの認識や言動が現代の人々に誤解されて受け止められながらそれはそれで何とか事態が進んでゆく。アンジャッシュのコントのような話が最初から最後まで続く。また昔気質の人からみた現代の物事に対する鋭くまた本質的な指摘(誤解もあるが)はいちいちおもしろい。いまの政治家たちに対する批評も現代ドイツ政治をもっと知っていれば恐らくもっとおもしろいのだろう。まあしかし、煎じ詰めて言うなら政治家のひどさは日本もドイツも一緒だなあ、と感心しつつ安心した。

そんな本だが、これはすばらしく示唆にとんでいる。著者も言っているように、ヒトラーは熱狂的支持も得た人物であり合法的に選ばれた人物でもある。そのような人物が魅力がないはずはなく、戦略的思考にも優れているはずである。そうであればいま蘇ってどう生きるか、今の目から過去をどう振り返るか、ということを本人の視点から語らせるのは大変意味のあることだと思った。
日本でも応用が出来るのではないか。戦前の大物を蘇らせてその目から現在と過去を振りかえらせる。適切な歴史の見直しになるのじゃあないかなあ。

「楽しんできます」とか「楽しむことが出来ました」だとか、ほんとに思っているの?

2014-02-10 16:53:06 | 時評・論評
ソチ五輪が始まった。まあ僕はあんまりウィンタースポーツのマニアではないんだが、こういうときしか見られないスキーの滑降だとか大回転だとか、ジャンプなどには素直に興味を引かれてついつい見てしまう。スピードスケートもそうかな。残念ながら人気のフィギアスケートは今ひとつスポーツとも思われずそれほど興味がもてない。マスコミがこぞって立派なアスリートを捕まえて「真央ちゃん」なんて呼ぶのもとてもいらいらする。あ、そうか、そりゃスポーツじゃないってことかな?

じゃあスポーツってなんだよ、とふりかえると、要は一定のルールの下で定められた目標の最大値を競うもの、ということである。制約条件つきの最大化を競う。それが高さ・遠さであったり速さであったり。フィギアみたいなのには「美しさ」ってのが入るんだろうけど、それは競技的な美しさってことにして欲しいよね。そもそもなんだよあの音楽とかコスチュームとか。審査員の目を幻惑しないために統一の制服にしちゃうとかね、そんなことがあってもいいんじゃないかねえ。

なんかフィギアスケート批判になったけど本題はそんな話ではない。今回のオリンピックに限らず、最近は日本選手がよく、「楽しんできました」とか「楽しみました」とか答えていることが多いが、これははっきり言ってとっても聞き苦しい。本人の言葉ではなく、なにやら場の空気が言わせているような気配がにじむ。どうにかしてくれ、というのが言いたいこと。

いや別に竹田恒泰氏みたいに「負けたのにへらへらと「楽しかった」はありえない」とかそんなことを言っているわけではない。国費を使っているのだから楽しむなんて事を言うなよ、と言うわけでもない。選手は個人としてその資質の高さと厳しい訓練によりオリンピックの地を踏んだのである。そこに選ばれるために大変な努力をしたわけであり、国としても周囲の人間としても余人をもって代えがたし、と判断して選んだのである。その意味ではそのこと自体を誇りに思ってよいわけだ。国や周りの人に感謝はするものの、そんなにいちいち恩に着る必要はない。お互い様である。

でもね、やっぱり思うことを言おうよ。「楽しんできます」というのはやっぱりとってつけたような言葉だよね。自分の言葉じゃないよ。もしその手の言葉があるとすれば「なんだかわくわくしますね、ええ」ぐらい言ったらいいんじゃないかなあ。終わったあとは「クッソくやしいです」「いけるとこまではいったと思うので満足です」「最高です」「超気持ちいい」って言えばよいじゃん。まあインタビュアーがどいつもこいつもボケばっかり、という問題はあるんだけどね。欧米の選手の言い方とかマスコミの期待に無理にあわせることないよ。あなた方の一世一代の晴れ舞台なんだから。