御託専科

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「カラマーゾフの兄弟」ドストエフスキー

2009-07-20 12:52:16 | 書評
2年前入院中に読んだ際の感想はけっこう辛いもんで、「大審問官のところなんて世間で騒ぐほどのもんかい」というような感想を持ったりしている。そうね、でもこれらは結局のところ、作者への反発じゃあなくて作者をありがたがりそれによって自分の価値も(それを理解しているということで)引き揚げようとする俗物知識人への反発だったな、確かに。 ただ、それを除いても話題が多岐にわたりすぎるしみんながおしゃべりすぎて、散漫な印象を与える作品ではあろうと思う。たとえていえば大審問官なんて本筋とどう関係するんだ?哲学的断章の連鎖というのならわかるが、エセーではないのであるから筋の面白さと運びの快適さというのは小説には求められることであるには違いない。

と、批判的まえおきが長くなったが、気になることがあって今回エピローグを読み直し、少々感動してしまった。ちょっとおかしな元大佐の息子イリューシャの葬式の前後での父親の大佐の独りよがりでピントが外れているが実に息子への哀惜に溢れたうろたえぶりの描写と、カラマーゾフの3男アリョーシャの、子供たちへの語りはすばらしい。

「たとえ僕たちがどんな大切な用事で忙しくても、どんなに偉くなっても、あるいはどれほど大きな不幸におちいっても、同じように、かつてここでみんなが心を合わせ、美しい善良な感情に結ばれて、実にすばらしかったときがあったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情を寄せている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを、決して忘れてはなりません。」
「あの子の顔も、服も、貧しい長靴も、不幸な罪深い父親も、そしてあの子が父親のためにクラス全体を敵にまわして、たった一人で立ち上がったことも、おぼえていようではありませんか!」

まだまだ沢山あるが感動する。上の二つ目を書いてるときは涙が出そうになった。奇麗ごとに聞こえないのは物語を覆う暗さゆえか。

大審問官とおんなじだがこのエピローグのためにはカラマーゾフ父と長男を初めとする4人の息子たちのさまざまな確執という本筋は実はほとんど関係がない。細部に物語の神は宿るのだ、と改めて発見した。三島で十分わかっていることなのにね。ま、これからも再発見・再再発見は続くのだろう。