御託専科

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三島由紀夫 「豊饒の海」四作品

2008-04-24 09:52:07 | 書評
4月下旬は豊饒の海を読んでいた。

冒頭に出てくる日露戦争の戦死者追悼の会の写真を手始めとして、そこかしこに出てくるやたらと精密な視覚像の描写(景色、絵画、装飾、人物の外見など)は秀逸である。また、登場人物の内心の声として語られる思想や内的な感覚の描写は、我が意を得るもの、意表をつくものに溢れており、線をひき出すときりがなくなる。作者の精神生活の豊かなこと!どこから読んでも面白い小説であるといえよう。

その一方でストーリーに関してはどうかなあ、と思う部分がある。特に最初の二巻。結論を先に言うとこの二巻はまるでバレエのストーリーのようだ。バレエというのはストーリーは純粋で他愛もないが、これを語る際の音楽や踊りがすばらしい。音楽や踊りに当るのは上で言った精密な視覚像の描写や思想・感覚の記述に当る。
第一巻の「春の雪」は、まあ美しい悲恋の物語と言えようが、それでも清顕は聡子にもともと惚れていたとも言いがたく、聡子と結ばれるチャンスが十分に広がっていた時点では煮えきらずまた聡子への対抗意識も強いのだが、宮家と婚約したとなると急に行動が大胆になる。聡子を欲したのではなく禁忌を犯すことを欲した、ということである。終りのころ、出家直後の聡子に会おうとするところはいかにも悲恋らしくなるが、それでも自分のからだを痛めつけながら敢えて成算のない無分別な行為をしているように見える。
第二巻の「奔馬」。勲は神風連に心酔した同志とテロを企てるが父親や堀中尉など周囲の大人たちに「大人の解決」をされてしまい逮捕される。開放された後単独で財界の大物を刺殺し自分も切腹して果てる。不可解ともいえるのは単独で行なったテロの理由が「伊勢神宮での不敬」ということだ。その大物はおっちょこちょいな面があり神事の最中に玉串を尻に敷いてしまった。それを理由とするのだがまあ命かけるほどの大罪でもないし勲自身もそれほど怒っているわけでもなさそうだった。だからちょっと納得が行かない。

ただし第三巻、第四巻では俗人本多が中心となり、ストーリー展開も少しドロっとしてくるのでそれまでのようなあからさまな違和感はない。むしろ心象と現象の有機化した記述となり、ストーリーはあまり大きな問題ではなくなってきたように思われる(相対的に、だが)。心象の記述はより深く濃密になってきている、と思う。特に三巻のそれは熱帯のタイやインドを背景とするためか猥雑で豊かである。前半のベナレスの聖と汚辱の一体化した姿の記述が実に印象に残った。その一方でよく解説などで重視される唯識思想は、まあ賑わいのひとつではなかろうか?これがあってもなくてもこの小説は成立すると思う。

さて、最後の、聡子の対応のなぞ。清顕をしらなかったという聡子、それに激する本多に清顕を幻のごとく言う聡子。もう少し経たないと思いが熟さないが、心象さまざまであること、個人的過去の恣意性を言う大森荘蔵などにも通じる話を示したのかなと、いまのところは思う。