一度読んでいたが映画ができたというので思い出しのためみたところ非常に面白く再度通読した。
まず、これを映画化するのは大変だろうという思いがある。12歳の男の子の、やれやれ感も含めた内心の呟きをエコーさせないと頑固一徹オヤジの面白みが十分に出ないだろう。映像化するとなると大変かなあ。あと、頑固オヤジの行動の背景にある思いは、まとめれば下の引用のとおりだが、意外に陰影が深いので、それはうまく出るものだろうか。また、いろいろとテーマが重く出てくるがこれをどこまでうまく取り扱えるか。環境運動を行なう連中をせせら笑うオヤジなどのいい分をそのまま出せるものかどうか。
最初はそうは思わなかったが、読み返すごとにいろいろと思いが出てきそうな良い本だ。あるいは、僕はカラマーゾフあたりから小説と言うものを見直し初めているのかもしれない。
なお、頑固オヤジの真情は次の一言に尽きる。
「・・お父さんの中にはな、自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと自分が自分じゃなくなる。・・・」
僕はこのオヤジ同様「活動家」というのを軽蔑している。箱庭で暴れるわがままで傲慢な連中だと理解している。箱庭、というのは、だれも彼らに機銃掃射をしないことを知ってやっているからだ。しかし、活動家であれ、その真情を、思想ということでなく「腹の虫」として語ってくれれば、それは理解をし、同情さえしても良いと思っている。
(付記:反安保世代論としてのサウスバウンド)
あとで思ったが、活動家、70年代安保世代への軽蔑というのもこの物語の背景をずっと流れている。下らぬ対立に精を出し、純情な若手を使って人まで殺す(前半)。そうして最後には沖縄まで流れ着いて資本とも地元とも関係のない勝手な環境運動をしている。「左翼運動が先細りして、活路を見出したのが環境と人権だ。つまり運動のための運動だ」とオヤジはあっけらかんと切り捨てている。
面白いのは、活劇上はそれほど出番のないこれらの元左翼がさえない脇役として案外露出が多いことだ。それだけ著者は左翼のウソごまかしねばつきがきらいなのだろう。同年代の僕としては全く同意する。
まず、これを映画化するのは大変だろうという思いがある。12歳の男の子の、やれやれ感も含めた内心の呟きをエコーさせないと頑固一徹オヤジの面白みが十分に出ないだろう。映像化するとなると大変かなあ。あと、頑固オヤジの行動の背景にある思いは、まとめれば下の引用のとおりだが、意外に陰影が深いので、それはうまく出るものだろうか。また、いろいろとテーマが重く出てくるがこれをどこまでうまく取り扱えるか。環境運動を行なう連中をせせら笑うオヤジなどのいい分をそのまま出せるものかどうか。
最初はそうは思わなかったが、読み返すごとにいろいろと思いが出てきそうな良い本だ。あるいは、僕はカラマーゾフあたりから小説と言うものを見直し初めているのかもしれない。
なお、頑固オヤジの真情は次の一言に尽きる。
「・・お父さんの中にはな、自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ。それに従わないと自分が自分じゃなくなる。・・・」
僕はこのオヤジ同様「活動家」というのを軽蔑している。箱庭で暴れるわがままで傲慢な連中だと理解している。箱庭、というのは、だれも彼らに機銃掃射をしないことを知ってやっているからだ。しかし、活動家であれ、その真情を、思想ということでなく「腹の虫」として語ってくれれば、それは理解をし、同情さえしても良いと思っている。
(付記:反安保世代論としてのサウスバウンド)
あとで思ったが、活動家、70年代安保世代への軽蔑というのもこの物語の背景をずっと流れている。下らぬ対立に精を出し、純情な若手を使って人まで殺す(前半)。そうして最後には沖縄まで流れ着いて資本とも地元とも関係のない勝手な環境運動をしている。「左翼運動が先細りして、活路を見出したのが環境と人権だ。つまり運動のための運動だ」とオヤジはあっけらかんと切り捨てている。
面白いのは、活劇上はそれほど出番のないこれらの元左翼がさえない脇役として案外露出が多いことだ。それだけ著者は左翼のウソごまかしねばつきがきらいなのだろう。同年代の僕としては全く同意する。