御託専科

時評、書評、そしてちょっとだけビジネス

「運」が取り持つ連帯意識

2006-12-04 10:47:43 | 時評・論評
昔々、バブルの前に僕が大手金融機関に入社した頃。保険会社なので有価証券部門はもちろん、融資も含む「財務部門」への配属は少なく、多くが支社または本部でも保険営業がらみの部門に配属された。
そのなかで僕は新入社員の憧れのポジションの一つ、株式部に配属となった。研修所の先輩から「あんまり表立って嬉しそうにするなよ」といわれた。それからしばらくして同期と話していても「株式はどうだい、1カイ2ヤリの世界か」と聞かれ返答に困ったことがある。1カイ2ヤリなんて板の状況を告げるだけの話しだし、株価を見てすばやく売買するのとは程遠い、政策投資と半ば自己満足の「長期投資」をやっている部門にいることをどう説明すればよいのかよくわからなかった。それ以上に、その同期生の物言いや表情にこめられた羨望と切望にどう対処するかという悩みがあった。
どう答えたかは忘れた。しかし概ねこの手の質問に対しては「たいしたことはやっていない」というメッセージで答えていたのでおそらくその線でものを言っただろう。半ば本気でそう思っていたし、それ以上に羨望する魂への鎮めが必要であると感じていたと思う。こんな風に、かつては「プロ」の株式運用・資産運用とは普通の人にとってあこがれでありまた容易に到達できない「高級な」何かであったのだ。そうした障壁に守られた先輩たちの無自覚な傲慢、不遜そして不勉強(モジリアーニミラーさえ誰も知らなかった!)に苛立ちつつ、その一方で憧れのポジションを与えられたことを名誉に思い働いていたと思う。その後役所への出向、株式運用、債券運用・分析、投資顧問出向と自分のその会社でのキャリアは最初の配属から系統だっている。その後比較的容易に転職できたのもそのキャリアのおかげである。何の志もなく金融機関に入った人間の初速というか初角が、その後の多くを決めたと言って間違いはなかろう。
でも、同期と一緒なんだ、たまたま僕はこういうことを割り当てられているのだ、という意識は、次第に薄れつつも最後まで残った。自分もそうだがほかの人にも何とか納得してもらわないと困る、という感覚はあった。それから、自分だっていつ畑を移るかわからない感覚も残っていた。
僕に問いかけた同期はどんな気持ちだったのだろう?おそらく、運としてあきらめ自分の分野にまい進していたのだと思う。不本意な結果を運のせいにできることで気分を新たに日常に取り組めたのではと考えたりする。かく言う僕も、振り返れば上司・同僚に恵まれなかったと思う。これは出世という面でもあり、知的な向上という面でもある。だから自分の今の到達を(ポジションも知的水準も)運のせいにできる(笑)。もちろんこれは両方の意味で、もっと悪くならなかったのも運である。

もちろん、運を嘆いたりその中の特定の登場人物をうらんだりということはあるだろうし、僕自身もそういう心境であったことはある。現状の境遇にある程度満足しているので上のような振り返りであり、不満が大きいときは嘆きや恨みが出てくるのであって、実はこういう話の因果の関係は一筋縄ではない。しかし、それでも人のせいにしたり運のせいにしたりできる余地がある。これは幸福なことなのだろう、と思う。

それにしても、こんな風に人生を振り返ることがこれからの人たちにもできるのだろうか?能力であれ実績であれ、本人の力による選別過程がニュアンスとして前面に出てくれば(実態は機会均等からは程遠いのだが)、全ては本人のせいであり功績である。敗者の嘆きも悲しみも前より大きいだろうなあと思うし、勝者の満足と傲慢も大きいのだろうなあ。
格差拡大というのはこういうことなのかもしれないと思ったりする。敗者は嘆き悲しむけれど「自分のせい」だから声を上げない。勝者は自分の功績だから容赦なく分け前を取る。「運」が媒介した、ささやかな連帯意識はもはやどこにもないのである。ならば。「運」とか「縁」とかの復活が「幸福の総量」を増やすだろう。もちろんこれまでの「運」とか「縁」には好ましからぬ不純物がたっぷりあり、ここ10年あまりはそうした不純物の排除が行われてきたともいえる。できれば懐古趣味一辺倒でない、より本質を浮き立たせた「運」や「縁」の復活が望まれるのだろう。